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夫婦別姓を選べても「家」の概念は無くならない

最高裁がうんたらみたいなのが出たとのことなので掲題のあたりを喋るんですけどまぁ門外漢がうだうだーっと思ったことを書くだけなんで気にしないでください。あんまワイドショーみたいなのは見てないけどタレントのコメントとか結構ぐちゃぐちゃなってそうですよね、「家」ってやっぱそれなりにみんな思うところあるわけでだからこそみんなガタガタ騒いでるんだと思うんですけど。ちなみに一応言っとかないと気持ち悪いかなというところで確認しておくと僕は既婚者なんですけど今は嫁さんが僕の姓になってますね。特に話し合いを必要とする感じもなく、普通にそうなりました。たまたまそこで他の選択肢を検討する必要もなく僕は悠々と同じ姓を名乗り続けてますが、それがこの話に首を突っ込んではいけない理由になるとは考えてません。もし相手が姓を変えたくないと考えていたならそれなりに僕も悩み話し合い何かしらの結論を出していたと思いますが、たまたまその機会がなかっただけです。姓を変えることに抵抗がない相手をわざわざ選んだわけでも勿論ありません。たまたまです。

で、僕個人は選択的夫婦別姓をやりたい奴が普通にできるのが望ましいと思う立場なんですけど、この「普通に」っていうのは「法律的に可能」って意味に留まらず本当に普通にできないとどのみちしんどいよなぁってのがあって、もちろんそれは法律的に可能になれば「普通に」なんてそのうち後からついてくるだろって話になるのもわかるんですけれども、その法律的に可能にしようって流れになかなかならん程度には「普通に」からほど遠い現状なんだろうなぁみたいなのがあって、じゃあそこ埋めましょう「普通に」に近づけるためには何のお話をする必要があるんでしょうねみたいなことを思うんですね。

それで僕思うのは、「家」ってなんだろうみたいな根本のところもうちょっと擦り合わせないと選択的夫婦別姓だけ導入しても新種の揉め事が増えるだけなんじゃねえのみたいなのは思うんですよね。「家」っていうものについてのいくつかの解釈をパターンとして整理して、どの解釈を採用したうえで同姓でいきます別姓でいきますみたいなそういう持ってき方のモデルがないと大変そう。まぁ勿論制度ができりゃ徐々にできあがってくんだろうけど、「やってみなけりゃわからない」だけじゃなくて、やる前に考えてみたっていいだろ。

ほんと単純なアイデンティティの問題で名字変えるのどうしてもイヤなんですってのは清々しいと思うんですけど、そうじゃなくて夫婦別姓という新しいものを望んでいながらそれを望む動機自体は保守的な「家」の概念に基づいてるケースなんかもあるじゃないですか。そこで夫婦別姓を希望するってのは結局子供の代に問題を先延ばしにしてるだけだよなぁとかは思うんですよね。「子供が父と母どちらかと違う名字になるのはかわいそうだ」、これは別に僕思いません。家族の絆ってのは名字によって育まれるものではないでしょう。けど、「自分の方の姓を絶やしたくないから」って理由で夫婦別姓を選択したい人らは自分の方の姓を子供に名乗らせたいわけですよね、そうなるとやっぱ揉めない?揉めるよね? 「姑に『どうしても夫婦別姓を名乗りたいなら許してやってもいいけど第一子の名字は絶対こっちだからね!』みたいなことを言われてます、産むのは私なのにおかしくないですか?」みたいな相談が絶対発言小町に投下されますよね、目に浮かぶようですよね、むしろ俺が書き込みますよ。選択的夫婦別姓が認められるようになった翌日に俺が釣りにかかりますけども。「待望の第一子が生まれてその子は自分の姓になったんですけど、ただでさえ旦那が育児に非協力的で参ってるっていうのに義理の両親から『二人目はまだか、うちの姓を受け継いでくれる二人目はまだなのか』とせがまれてもう限界です」みたいなの絶対出てくるじゃないですか。望みどおり二人生まれりゃそりゃ願ったり叶ったりだけど、そうなるかはわからないじゃないですか。そういう時のこと考えてんの?ってのはすげえ普通に思う。それあんま考えてなくてなんとかなるっしょって調子で子供一人で打ち止めになって、それで家同士が後になって揉めるとかになってくるとそれは「子供がかわいそう」にはなってくる気はする。そこは俺を生む前にクリアにしといてくれよ。

先に挙げた二つは選択的夫婦別姓を自ら選択した夫婦に起こるかもしれないことになりますけど、別に選択的夫婦別姓を希望しない人たちにも新手の揉め事は起こりえますよね。例えば既存の「96%が夫側の姓を選んでいる」状態であれば「まぁそれじゃ仕方ないか」で済んでいたもののそういう制度があるのならばと欲が出て、夫婦別姓にしてくれと娘にせがむ親とかも出てきますよね。で、そのせいでご両家が対立して本人らはどっちでもいいのに同姓名乗るのでいいやって気満々なのに無駄にこじれる糞みたいなロミオとジュリエット的シチュエーションもきっと想定できますよね。そういうの出てくるからダメだ夫婦同姓でいいんだって話じゃないですよ、ただそういう出てくるだろう問題の話をあんまりみんなしたがらないよねって思うんですよ。選択的夫婦別姓は「家」を破壊する、という反対意見はあってそれはそんなわけねえだろと思うんですけど、選択的夫婦別姓を採用しても「家」という概念は無くなりはしないってことには目を向ける必要があるわけです。そして現状「家」は姓というものをすごく大事にしてる(と考える人も少なくないらしい)。

そういうどのみちまた直面するであろう「家」の問題だとか、選択肢が増えたために更に起こるであろう「家」を巡るトラブルとかとりあえず全部棚上げして「個人の自由で誰に迷惑かけるもんでもないから」で制度的に可能にしろってゴリ押しするのはけっこう「通しちまえばこっちのもん」的な印象があるよなぁとも思ってしまいます。「うちの夫婦は何かしらうまいことやるよ、他の奴のことは知らん」ってのが本音だとは思うんですけど、「他の奴のことは知らん」を言っちゃうと向こうもオウム返しにそう言うより仕方ねえからなぁ。そうじゃなくて、そういう選択的夫婦別姓がある世界でまた起こるであろう色んな「家」を巡る問題ももちろん社会みんなでうまいこと考えてやっていこうね、「家」というものを大事に思う思わないというどちらの価値観も含む多様性を認め合う準備はできてますよって雰囲気がないと、どうもうまいこと話進まなさそう。

めちゃくちゃなことを言いますけど、「家」は「家」で大事だけど個人の名前に持つアイデンティティはもっと大事、だから選択的夫婦別姓には賛成、でも「家」というつながりも大事だからお中元お歳暮文化を並行して盛り上げよう!くらいのことを言ってもいいと思うんですよ。年賀状を盛り上げるために干支を151匹に増やそう!とか。それで本丸の選択的夫婦別姓への気運が高まるなら別に良くない?ていうか、そういうのどんどん廃れちゃったもんだから「家」に幻想を見てる人らにとっても姓が最後の砦になってる感じもするよね。そういう人は賛成派にも反対派にもいる気がする。それがもう全部くだらねえって人もいるんだろうけど。しかしどうしたって人間は一人じゃ生きてけねえしガキからジジイババアまで全部ひっくるめて社会は回るわけで何かしら人とつながらざるをえないわけで、レヴィなんとかっていう熟成肉みたいな名前のおじさんの言うことには人間は譲渡とか交換によってつながりを確認するわけでしょ?よく知らねえけど。じゃあ代案とは言わないけど、姓は譲れない時に何を譲り合おうかどうやってつながろうかどれくらいつながろうかつながらなくていいのかなってところまで含めて「家」のことをみんなで考えないと、平行線のままというか、選択的夫婦別姓を実施したところでお互いの「家」を守る陣取り合戦の戦略が複雑になるだけで変わらずギスギスする気はするんですよね。

あと、たぶん最悪でも20年とか経ったら今いる年寄りみんな死んで普通にアリになるだろくらいに思ってたんですけど、今回の最高裁に関するみんなのリアクション見てたら現状断固反対してる年寄りみたいに20年後なってるであろう若い人らも結構いそうだな、と思った。ので、やっぱもっと議論してうまい持ってき方しないとキツいなって思った。以上です。