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インプットできる領域の広さ深さとアウトプットの手軽さの乖離

ツイッターのTLを眺めていたらこういうツイートが流れてきて、とりあえずまあこういうこと言っちゃう男の人って大なり小なり「自由恋愛主義以前のがちがちの男尊主義社会だったら俺だってもうちょっとマシな良い思いができたのに」くらいの意味合いでしか言ってないんだからあんまりいじめたげないであげなよとも思うんだけど、まあそういう意味合いでしか言ってないことがあんまりいじめちゃいけない理由にならないこともわかるので仕方がない。で、ここまで書いた段階で日付見て「あれ、これ2年半前のツイートじゃん」ってことに気付いてどうしよっかなってなってますけどね。このツイートが生まれた2013年3月16日を早速ググってみるとヤディエル・ペドロソっていうキューバの野球選手が交通事故で亡くなったって情報が出てきて、その人が俺と同じ生まれ年なので怖っ!てなったっていう。それで、このまんま「死ぬの怖い」って話にシフトしてもいいんですけど既にタイトルもつけちゃってるしここまでの文字数ももったいないので、2年半のツイートを起点に話を始めるのはどうなのってのは置いといて続けますけど。

この、ネットで馬鹿なことを言って怒られるってのはまあ昔からある伝統芸能ではあるんですけれども、ラーメン・犬・炎上の感じでみんな大好きなインターネッツの主力商品だとは思うんですけれども、掲題の通りのある種の歪さを感じるんですよね。

ここで書かれている話と同じようなことなんだろうなと思うんですけど、例えばこちらでも取り上げられてる件の痴漢の話題で炎上したブログなんか見てて思ったんですけれども、あれにみんながあんなに爆裂怒ってたのって、もちろん彼がずいぶん馬鹿なことを言っていたというのも勿論だとは思うんですけど、それ以上に「いや、だからここんところ、そういう考えじゃあかんわけよって話をさんざしてたじゃん」って気分があったんじゃないかなと思うんですよ。あの記事も結局、痴漢の話題が盛り上がってるから突っ込んでいったわけじゃないですか。ただ「なんか盛り上がってるな」と遠目に眺めていただけで、そこでどういう議論が為されて盛り上がってたのかまでは確認してないんですよね。だってもし確認してたらあんなこと書けないはずだもの。なので、あの話題にきちんと関心を抱いていた人ほど、自分の思うところを二言三言発信していた人ほど、そこであんな馬鹿なことを言われてしまうと自分らの議論は無意味なんだ届かないんだ読まれないんだって無力感とか徒労感を滲ませて、腹を立てるほかなかったんじゃないかと思う。

それで、ただただ僕が思ったのは、馬鹿なこと言っちゃう人を擁護するつもりはないのだけれど、なかなか大変な時代だなということですよね。調べて読んで理解するのってとても面倒なことなんですよ。熱意と誠意がないとやってられませんよ、誰にだってできるようなことじゃない。それに対して、何か思いついたことをワールドワイドウェブで全世界に発信するのが簡単すぎる。

ググレカス」なんて言葉があるわけですけど、「ちゃんとググれば分かること」の領域って昔に比べてどんどんどんどん広くなっていますよね。時間と熱意と誠意さえあれば無料で捕まえられる情報ってすごく多彩だ。ただ、その時間と熱意と誠意を捻出するのが難しい。対して、それらの必要な過程をまるまるすっ飛ばして「なぜなにどうして?」だとか「俺すごいこと思いついちゃったんだけど」だとか軽々しく言えちゃいすぎる。「半年ROMれ」なんて言葉があったけど、その頃はその板だけROMっときゃ必要な所作はすべて学べていたけれども、今やインターネットは広大で、どこからどこまでROMればいいかを把握しようとするだけでもかなりの努力が求められる。この、ちゃんと押さえるべきところを押さえようと思ったらどこまでも手間暇がかかるインプットと登録1分ですぐにでも始められるアウトプットと、それぞれを行うのに必要なコストの乖離ってのは結構うまくやれない人にはおっとろしいなみたいなことを思ったんですよね。

繰り返すにこの文章は、別に馬鹿なこと言っちゃう人の擁護ではないんですよ。多少の馬鹿なことは大目に見てやれよなんて言えませんよ、ネットに何か書くってのはそういうことですよ。それこそ赤子みたいなまなざしでググった誰かが馬鹿なこと言ってるそのエントリに辿りついて、誰もそれを否定していないようだったら真に受けちゃうかもわかりませんから、「それはおかしい」と思った一人一人がたなごころ無しにふざけんなと言った結果、そういう人が殺到して蜂の巣みたいになってるみたいな一枚絵を完成品とするのはある意味で仕方ないというか、そういうもんだとは思うんですね。なので、なぜ今こんなことを書いているかというと、「気をつけろよ」ってことですよね。この文章を今読んでいる貴方たちの中に、現段階で本当に一つも、ワールドワイドウェブにテキストの一つも発信できない、何のアカウント持ち合わせてもいない人なんて居やしないと思うわけです。だから「気をつけなはれや」ってことなんですけど。「調べること」に比べて「調べずに発信すること」が簡単すぎるこの状況をもっとヤバいと思えよってことなんですけど。言っとくけどものすごく不思議ですからね、この現状って。

なので、まー、そこで具体的にどうすりゃいいかっていうと、あんまないんですけど、まず「ググって分かることは書かない」ってことですよね。なんかイケてるメディア運営者とかが「ググって分かるような情報には価値がない」みたいなこと言いますけど、どっちかっていうと、ググってわかるような情報は丁寧にググれる奴に間違いを指摘される可能性がありますから、ググりようがない話題をやって煙に巻いときゃいいんですよって意味ですからアレ。いやギャグじゃなくて本当に。誤りが即あかんとなる専門性を擁する話題には近づかない、「人それぞれ」の領域でやっておく。そこならある程度、好き放題やっても文句言われませんから。ただ、それでも怒られる時は怒られますからね、そういう時は開き直りの一手はとらずに自分の言ったことを見詰めて悪いと思ったらきっちり侘びを入れるってことですよね。今「あれ、ズイショさんがそれ言うのちょっと面白くない?」って思った人、それ合ってるんで全然笑ってくれていいやつですけどね、書き始めた時はそんなつもりなかったけど「しくじり先生回」みたいなニュアンス入ってきてますから。ここらへんの話するうえで「ま、僕はノーミスですけど?」みたいな顔をするつもりは別にないので笑える人は笑ってくれりゃいいと思うんですけど。インプットできる領域が広すぎてアウトプットに追いつかないってのは要するに想像できる領域は只管に限られてるってことですから、想定外の出来事は想定外として扱うほかないですよ。それを「想定内の批判だ」と見栄を張るから、よけいドツボに嵌る。想定外には潔くうろたえましょう、そして自分が何を想像できていなかったのか想像しましょう。それで次からはいくらかマシになる(かもしれない)。

そういうわけで、とめどなくあてどなくふんわりと広い話をしていますけれども、まー間違いないことを言う難易度とテキトーなことをテキトーに言う簡便さの格差は今後広がる一方ですから、生半可な自制の才能で「間違いないことだけ言う」なんて曲芸はこなせないわけですから、これからはそれを踏まえたインターネットの歩き方ってのを意識したいですねって話です。以上です。