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「義足の性能の進化」をナメていた

 違ってたら言ってください。

 なんか義足の陸上選手が健常者の記録を越えたんだけど、これどうすりゃいいの?って話があるらしい。そしてみんなが色々なことを思って言っているらしい。で、これマジョリティとマイノリティの問題と考える向きが一つあって、もう一つコンピューター将棋強くなりすぎ問題的な側面もあるんだなと思った。

 もちろん健常者の側になんらかの差別感情があってその端々が口をついて露見してる部分ってのはきっと少なからずあってそれにはそれでちゃんと向き合って乗り越えていかなくてならんとは思うのだけど、技術の進歩が想定外にヤバくて人間の感情が追いつかなくてヤバいってのも世の常だなと思う。この話題で僕らが向き合わなくてはならない感情ってのは一つじゃなくて少なくとも二つあるんだということを確認したい。まあ実際にはそんな一つ二つとケチ臭いこと言わずもっとたくさんあるのだろうけど。

 義足の選手が健常者には出せないような記録を出してみんな戸惑っている。

 これは単純にそんな高性能な義足を作れる技術なんて出てこねーだろってナメてたところがあったんじゃねえかな。だって俺もファミコン将棋の長考にうんざりしてた時、プロ棋士が普通に負けちゃうみたいなことになるなんて思ってなかったもん。足が無い人間を見くびっていたわけじゃない、足が無い人間に本物の生身の足以上のすごい足を人間如きが与えられるわけがない、と人間の技術を見くびっていたところがあるんじゃないかなと思う。と、その背景に生身の肉体至上主義みたいな信仰がもしあるのなら諸手を上げて肯定していいものか、それもまた立ち止まって考えるべきところではあることは了解しつつ、そう思う。

 クローン技術の話題とかで「神の領域に踏み込む」みたいな言い方があるけれども、もちろん義足の選手のハンパない努力があるにせよ健常者がこれまで出せなかった新記録の達成に義足の性能の向上が寄与している部分があるのならそれだって十分に神の領域に踏み込んでるよなと思う。というかまあどの分野に限らずあらゆる技術の進歩ってザックリ言うとそういうことなのでしょう。なので、人間は思ってたよりすごい技術に辿り着いちゃった時にそれをどういう風に扱えばいいものか足踏みをして考える必要がある。

「越えられないと思っていた健常者の記録を義足の人が越えた」ってのはきっとそういう話なのだろう。 

 盲の人にとって白い杖とか盲導犬とかってのは道具ではなく身体の一部なんだ、って言い回しを見たことがあって「そうなんだ、じゃあそうなんだな」と思っている。この件についてもこの論理を採用して正式な記録として認めていいし健常者の大会に参加して優勝したっていいだろうって言い方だってしようと思えばきっとできないことはない。

 けれども、道具ではなく身体の一部なら何でもアリなのかって話ではある。

 その論理を以てどこまでも突っ走っていくと、最終的には将来甲子園に出たいなら中学入るまでに肩に反物質加速装置を埋め込まないなんてナンセンスみたいな話になっていく。反物質加速装置が何なのかまったくわからないで言ってるけど。今はコンタクトレンズやメガネをかけてスポーツをするのに文句を言う奴なんてどこにもいないだろうけど、将来ものすごい義眼が出てきて視神経と筋肉を動かす神経が直接つながっていてものすごい精度での肉体コントロールが可能とかになった時その義眼の人がアーチェリーの大会に出場してマトの真ん中を目から出したレーザーで撃ち抜いたらどうなるだろう。失格?そうだね、レーザーは失格だよね。

 ギャグで言ってるようで、どうせそのうち作ろうと思えば作って作れないことはないみたいな話になってくる。

 と、まぁ、じゃあスポーツという範疇内でどこまで技術を使っていいのか、技術の介入具合によってどう区分けすればいいのかっていうレギュレーションを引くべきだねという当たり前の面白くも何ともない結論になってくると思うのだけど、それはやっぱり「技術をどう取り扱うか」という話であって「健常者と障害者の関係はどうあるべきか」という話とは別だよね、もちろんそっちはそっちで考えなくちゃいけないけどね、という感覚が広く共有されればなと思う。

 厄介なのは「障害者の努力(とそれをサポートする技術者の努力)を可能な限り認めてあげなくては」って感覚で、それを以って無制限に技術の進歩を肯定しよう許容しよう使えるだけ使おうって考えるのはちょっと怖い。「認めてあげなくては」という感情の裏にはきっと何かしらの「うしろめたさ」があると俺は思うのだけど、「うしろめたさ」から目を背けて「これでいいのだ」と邁進するとろくなことにならないみたいなことは歴史の教科書にうんざりするほど書いてる。

 人間はこれからも嘘でしょ(笑)って勢いで進歩していくのでしょう。でもそれは嘘じゃないので、本当にどうしたらいいのかいちいち考えていくほかないのでしょう。余談ですがこのエントリは最初、乙武さんのエントリ『義足は「ズルい」のか!?』を受けて『義足はこれからますますズルくなる』というタイトルにしようかと思いましたがやめときました。昔ならそのままいってたでしょう。そういう風に僕も少しずつ進歩していきたいです。以上です。