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山崎彬 作・演出 『また愛か』 感想文

また、すごいものを見てしまった。

2008年に初めて観劇して以来、途中離脱してた時期はありつつもズイショさんが馬鹿の一つ覚えみたいにパワープッシュし続けている山崎彬率いる劇団・悪い芝居。3000円強とかそこそこの値段で買った席に座って2,3時間じっとしておけば、なんだか普段なかなか味わえない気分にさせてくれると俺の中で専らの評判で、ズイショさんがブログを始めて以降は観劇したら感想文を書くのがライフワークとなっており、「好い加減コンビニのコーヒーの一杯くらい奢ったってバチは当たらないんじゃないの」と言いたい程度にはこのブログをキッカケに公演へ足を運んだ人も二桁に届くとか届かないとか(ほんとコーヒーがせいぜいだな)。

そんなわけで今回は悪い芝居本公演ではないのですが、山崎彬が作・演出した『また愛か』の感想文です。

よくわかってないんですが、今回僕が目撃したソレは、京都芸術センターって人らがくわだてた「演劇計画Ⅱ」って企画のようで、「二幕の悲劇」をテーマに3年かけて劇作しなさいっていうアレで、それに山崎彬さんのコメカミが白羽の矢に立ったってことで今回上演されてたコレだそうですね。そして僕の眼前で上演された「二幕の悲劇」は、正しく、見紛う事無く、「二幕の悲劇」でした。「悲劇の一幕」と「その悲劇に寄り添う一幕」の、計二幕でした。それは完全に「二幕の悲劇」だったと僕には思われます。

観終わって、僕が思ったことはこうです。

僕たちは、自分で思っているよりも多くの大事なことを知っている。何が愛おしいか、何が大切か、何が楽しいか、何が悲しいか、何がかけがえないか、何が途轍もないか、みんなみんな、自分で思っているよりもよく知っている。ただし、その愛し方を知らない。抱きしめ方を知らない。 それは、明らかに悲劇だ。 僕たちは愛すべきものを知っている。しかしそれを正しく、見紛う事無く、愛することができず、それを愛の不在だと嘆く。 それは、明らかに悲劇だ。 しかし、実際はそうではない。僕たちは、既に何が愛おしいのかを心の底から知っている。けれどそれに気付いた瞬間、それに近づかずにはおれない渦中に陥ったその時から、愛おしいそれの愛し方を見失ってしまう。 それは明らかに悲劇だ。 しかし、そこに、愛はある。明らかにあるのだ。それを知覚する術は無い。それを知覚できるような外野から、当人にそれを伝える術もない。 それは、たしかに悲劇だ。 しかしそれは、愛の不在を意味しない。悲劇は、愛の不在ではなく、愛が在るゆえの悲劇なのだ。本来、その事実を悲劇そのものに伝えることは不可能で、それゆえに悲劇は悲劇であったわけだが、その不可能を可能にしたのが『また愛か』であり、劇空間である。そういった意味で、アレはやはり正しく、見紛う事無く、「二幕の悲劇」だったのだと思う。そこには、愛おしいという気持ちがあり、しかし愛する術を持たないという悲劇があった。その悲劇を、演劇は抱きしめた。そのようにして、そこに愛そのものが存在することを示した。それを目撃した僕は、愛し方を知らずとも、何が愛おしいかくらいは了解している自分に、もっと自信を持たなければいけないと思ったのだ。それはお前らもそうだよ。と、言いたい気分の俺なのだ。

たとえば、本を読んで悩みが吹っ飛んだこと、本を読んでわかった気になって前に進めたこと、そういうことってまああるんじゃねえのと思う。そういうのあるって聞く。よくはわからんが、それって物語が読み手を抱きしめたってことなんじゃないかと思う。そうして物語が人を抱きしめるように、 僕の眼前で 演劇が物語を抱きしめた。僕はその現場に立ち会えたことをとても幸せに思う。それは明らかに、僕が貴方を抱きしめられる可能性を示唆した。それはあくまで可能性にすぎず、貴方と僕が出会う目処はまるで一つも立っていない今だけれど、僕の一生と未だ出会わぬ貴方の一生が、溶けて一つの一瞬になるような、そんな瞬間がくるんじゃないかって可能性を思わせるそんな一瞬を、僕は舞台上に見たのであった。

そういえば、内容にはビタイチ触れずに喋ってますけど、この作品には「被害者遺族」が出てきます。僕はそれで、『嘘ツキ号泣』という山崎彬さんが以前やってた芝居を思い出しました。6年くらい前かな。同じように「被害者遺族」が出てくる話でしたが、その行き着く先はずいぶん違うくて、僕はなんともあの時とは違う顔で劇場を後にしました。僕は以前に山崎さんの話を人としていて「あの人はきっと、眼前に頑として明らかにある絶望から目を背ける人にむかついているのだよ。だからあんなに暴力的な作風なのだ」と言っていたのですが、今回『また愛か』を見て、「ああ、あの人は絶望から目を背けることもできない人に寄り添いたいんだ。優しいんだ」と思ったのでした。優しいのはまあ別に今に知ったことではないのだけれども。

 

なんか2日ほどお休みで、その後はもう2015年10月28日(水)~2015年11月2日(月)までひっきりなしに毎日毎日上演するようですね。京都の、えーと烏丸御池の近所とか、そういうところでやってるみたいです。興味と時間のある方は是非。僕は、芝居に足を運ぶ時は、完成度ちょっと追いついてないかもみたいなリスクは省みず割りと公演が始まってすぐに立ち寄りたい性質で、つまりその後、僕がほかの何かをしている時でもまた誰かがアレを目撃してるんだと思うと悪い気がしないんです。アレが僕の目の届かないところで、また人の目に触れて上演されているということに悪い気がしないんです。そういうわけで、まだまだ日数ございますので、これ読んで興味湧いたヤツは思い切って行ってみなさい、悪くないアレが目撃できますよ。貴方がアレを目撃したという事実が、また僕を破顔させます。そうして僕と貴方は、僕と貴方の悲劇に出くわす時を心待ちにするほかないのです。以上です。