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「まだ」と「もう」の話

twitterでフォローしている人が、二歳の娘が英語では同じyetと訳される「まだ」と「もう」を混同して誤用するんだけどどういうことなの?というようなことを言っていて、なるほど、わかるようでわからんけどどういうことなのだろう?と考えた。

以下は別にそういう言葉のなりたち?仕組み?についてまるで門外漢の僕が徒手空拳でとりあえず考えあぐねているだけの話になるので、一家言ある人は是非ともフォローをお願いしたく存じ候。

ところで、「読めるけど書けない」というのは学習習慣に乏しい馬鹿にありがちな事象で僕はこれの準一級を所有していたために中学や高校の漢字テストではさんざん馬鹿にされていたのだけれど、それも今から考えればまだマシで、大人になってからはもう目も当てられない有様だ。主な要因はパソコンや携帯電話などで文字を打つことが当たり前になったことで、それまでだってもともとひどかった「読めるけど書けない」になお一層の拍車がかかり遂には「読めないし書けないけど打てる」という残念な境地に辿り着いた。何の話かというと僕は今なんでもない風に「いっかげん」と打ち込み変換を施したわけだが、僕がこの正しい手続きを踏んで「一家言」という文字列を入力できる確率は恐らくそんなに高くなく、今シーズンのイチローの打率に比べればまだ見劣りしないかもしれないが、全盛期のイチローに出てこられたらもう相手にならないだろう。「いちかげん」「いちかごん」「いっかごん」などと打ち込んでは一発変換が出てこず「いち」「いえ」「いう」バックスペースとやって、それをコピペしてgoogle先生にお伺いを立てて「なるほど、いっかげんと読むのであった、次こそは」ということを何度も何度も繰り返して「まだ覚えられないのか」と嘆き、たまに正しく入力できて「そうだ、いっかげんだ、よし覚えたぞもう大丈夫だ」と思ったのもつかの間、次の機会にはまた「いっけごん」とか打ち込んでいたりする。今、そのようなことを文章に起こしながら脳の全然別のところで同時進行的に考えていた「一家言は怪獣ではない」という情報を海馬に刻みこんだので、次回以降はもう末尾が「ごん」の誤答はしなくなるのではないかと思う。

それで「まだ」と「もう」のことを考えて僕が思い出したのは、あれは僕と嫁さんがまだ結婚する以前の話で、今はもう同じに家に住んでいるけれども当時はまだ別々に暮らしていたものなので、待ち合わせのようなものをする機会が頻繁にあった頃の話だ。たしか、その日は土曜日か日曜日でその前日の夜、具体的にそれが夜の何時だったかはもう覚えていなけれども僕はまだ彼女が起きているであろうと思い彼女に電話をしたらやはりまだ起きていて僕が彼女に明日の予定を訊ねると梅田に買い物に出るというのでならば僕も起きたら合流して梅田に向かうようにするよという話になり、その後なにか話していたのかもしれないけれどもそのうちに彼女がもう寝るというので電話は終わり、僕はまだ寝るには早い時間だったので酒でも飲んで過ごし、やがて寝た。寝た僕はやがて起きて梅田に向かい彼女に電話で「着いたよ」と連絡して合流したが、そこでどうも彼女の機嫌が悪い。彼女は「もう○時だよ」と言った。これが11時だったのか12時だったのか13時だったのかはたまた14時だったのかはもう覚えていない。とにかく彼女は僕の来るのが遅いと怒っていたのである。それに僕は「まだ○時じゃないか」と言った。繰り返すが何時だったのかは今はもう覚えていない。今なら僕ももう良い大人なので12時ならまだしも14時だったら彼女の怒りは最もでさすがに結構苦しいぞと思えるのだが、当時の僕はまだ頭が悪かったので14時だったうえでなおそんな論陣を張った可能性も全然否定できないのが辛いところだ。もしこれが14時であった場合、この文章を読んだ嫁に「記憶があやふやなのを良いことに11時であった可能性まで並列して示唆するとは何という面の皮の厚さだ」と糾弾される可能性があるので今ちょっと削除を検討している。過去のことについて僕にはもうどうすることもできないが、それをこうして語る今の僕にもまだできることはある。11時の可能性の撤回である。

そういうわけでこれが12時半だったのか13時だったのかはたまた14時だったのかはもう覚えていないのだが、兎に角僕は、来るのが遅いということで彼女に機嫌を損ねられてしまったわけだが、ここで僕は素直に謝らず、「まだ○時じゃないか」の一本槍で挑むことにした。こういう時はなるべくイノセントな顔で言うのがコツである。「もう○時だという君の言い分はわかるが、僕にとってはまだ○時だ。そもそも何時に待ち合わせだと厳密な約束をしていたわけではないのだから、目を覚ました後に家でダラダラしていたならまだしも起きたらもうすぐに身だしなみを整えて家を出た僕が非難を受ける謂れがない」というようなことを大真面目に主張するのである。そして想像してごらん?と促すのだ。「まだ○時じゃないか。これから二人でできる楽しいことを数えてみよう。こんなにもたくさんある。ほら、今日はまだ終わっちゃいない。もう○時なんかじゃない、まだ○時なんだ」となるべくイノセントな顔で言うのである。なんなら「今から、まだUSJに足を伸ばすにだって遅くない時間のはずだ」くらいのことまで言っていた可能性がある。詳細はもちろん覚えていない。とりあえずそんなようなことを粘り強く言っていたら「まぁ、USJに行くにはもう遅いかもしれないけど、梅田で遊ぶにはまだ十分な時間があるわよね」みたいな感じになって何となく事なきを得ることに成功した。この手のエピソードを披露するうえで一番恐ろしいところはこの「何となく事なきを得た」という結論すらも僕の記憶の改ざんである可能性があることだ。楽観的なイノセントは、長所にも短所にもなりえる。

この話からも分かるように、どうやら「まだ」と「もう」という言葉が用いられる時、そこにはその話者が想定する「適切なあるべき量や程度や基準点(ある時刻)」などが言外に存在しているということが推察される。「もう20時だから帰らなくちゃ」「まだ20時じゃないか」という言葉ではそれぞれが想定している門限が大きく異なる。「まだ二杯じゃないか」「もう二杯も飲んだ」という言葉ではそれぞれが想定している適切なアルコール摂取量に違いがある。「まだ」は想定に及んでいない場合に用いられ「もう」という言葉は想定を過ぎた場合に用いられるのかと思われるが、なんか細かく検証していくと例外もあるような気もするし一概には言えないのだけれども、日本語に不慣れな子供や外国人などは、自分の想定と現状にズレがあることを言い表そうとした時にどちらを使えばいいものか混同してしまうのかなと思った。

僕は以前、深夜の棚卸のバイトをしていて、それは閉店後の小売店に赴き店内に陳列されている商品の数を翌日の開店までにすべて数えるという仕事だったのだけれど、タイムリミットがあるため店舗の規模によって相応な人員を投入する必要があり、その采配は社員の人がしていたのだが、繁忙期は毎日結構な数の店舗を一つの営業所がこなす必要があったため連携が不十分になることも少なくなく、現場監督が「まだ来るはずなんだけど……」と言っているのに一向にスタッフを積み込んだハイエースが来る気配がなく「この人数でどうやって終わらせるんだよ……」という状況になったり「もう来ないはずだけど……」と言ってるところにハイエースがもう一台やってきて仕方ないからみんなで数えてたら午前2時くらいに仕事が終わってしまってこれはこれでどうするんだよとなったりすることがよくあった。業務は1時間半ごとに30分の休憩をとって行われるのが基本だったが現場監督が「まだ3時だから」とか言い出すとだいたい休憩時間が15分に減る。

それでは最後に、金子賢(新人)と安藤政信(新人)の名言を引用してお別れしましょう。

シンジ「マーちゃん、俺たちもう終わっちゃったのかな」
マサル「馬鹿野郎、まだ始まっちゃいねーよ」
――『キッズ・リターン

以上です。

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