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『ちーちゃんはちょっと足りない』感想文

なんだかそこかしこで「おもしれぇ」と評判の、いや、「おもしれぇ」と評判の、は嘘ですね、読んでしまったからには二言三言あーだこーだと言わずにはいられない誰かの内側、世界以外の誰にも関係のないところに留まることができなかった声をそこかしこで見かけてそんなに「おもしれぇ」のかなと気になっていた『ちーちゃんはちょっと足りない』を読みました。ので、その感想文です。

単行本一冊で完結するコンパクトな漫画なんですが、なかなか読み応えがあるというか手数の多い漫画でして、僕は後半ページを捲るたびにゲラゲラ笑ってました。5秒に一回笑えたんでコスパとしてはかなり良いですよね。別に漫画のリアクションは一つじゃないですからね、笑わないにしたって、ページを捲るたび5秒に一度は誰だって何かしらが去来するのではないかと思われます、なのでこれは非常に手数が多くてコスパの良い漫画なのではないかと思います。

ところでとりあえず読み終えたんでふふふ~んとテキストエディタを開き感想文を書き始めたわけですけど、そういえば僕はまだこれを「読んでない人」に向けて書くか「読んだ人」に向けて書くか、実はまだ今のところ決めあぐねています。それによって今後のこの文章の展開は結構変わってきそうですよね、どちらにしようかな神様の言うとおり、と当たり前のように口ずさむ僕ですが、その両方を選ぶことは僕にはできないのでしょうか。僕たちはどちらかを選ぶことしか許されないのでしょうか。どちらかを捨てないことにはシバキ回されるほかないのでしょうか。僕がこの作品に見出したテーマというのはまさにそこらへんで、私たちは何を選び何を捨てるのかというルールを常にエモーショナルに改変しながら日々を過ごし、そのルールの改変によって自分の取り巻く環境、具体的には周囲の人間が自分に向けるまなざしの性質までもが変容し、そうして主観的人生は続いてゆき、個々人の主観的人生の総体であるこの世界は回っていくのだという至極当たり前の昨日も今日も明日も私たちの眼前に立ち上がるこの毎日、そこで私たちができること、私たちを受け止める世界、それを描いてるのがこの漫画なんですなと思ったわけです。

この話は、この世界の縮図でもなければ、この世界の本質でもなく、ありのままのこの世界そのものでもなく、正しくこの世界の断片です。いいんだけど、僕ちょっとヤダなと思ったのは「貧乏」みたいなものが概念として割りと強調されてるんですけど作品中で、そこはなぁ、別に要らんのじゃないかなぁと思った。いや、要らんは言い過ぎだし、「貧乏」という概念があるゆえのストーリー展開ってのはもちろんあるんですけど、でもそれは「そのせいじゃないんだ」ってことを示すためにそういう環境因子が必要でたまたま「貧乏」が採用されただけなのかなーと僕は思ってるんですよね。それでも「貧乏」って結構強烈で身につまされるところがありますので、ちょっと強くて、「貧乏」は別にどうだっていい本質のところが薄れてるようなそこまででもないようなみたいなもどかしさが僕の中にあります。

さて、「自分ルールの改変」をテーマとして挙げた僕ですが、これは主にちーちゃんの引き起こした騒動に伴う周囲の人間たちの関係性の変遷を指してそんなことを言いました。そして「貧乏」ということは特にこの話には関係ないんだよということも言いました。僕がこんな二つのことを間髪入れずに並べ立てた意図はなんなのだろうということを考えるに、僕がこのお話から感じたことというのは要約するに「自分を規定するなよ」ということです。自分というものの性質をこういうものだと規定して、そのすべてをその規定に沿うように解釈するな。自分に限らず自分の目に映ったものを、自分の尺度に規定してその範疇で解釈するな。規定するということは、それが善意であれ悪意であれつまらないことなのだ。その規定を取っ払った先の景色が拡がる終盤ではその事実が殊更に痛感されます。終盤、登場人物のうちの一人の少女がやたらにクローズアップされるわけですが、彼女は頑なに自分を規定して物語にひとまずの幕を下ろします。彼女は殊更に自分を規定するからこそ、自分の一瞬の気の迷いを、自分の元来の性格に依拠する規定された性質だと考えています。それこそが彼女をそんな彼女たらしめる由縁なわけで、そんな規定をやめてしまいさえすれば、どうとでも世界は変容していく。ちょっと足りないくらいはちょっとの変容でちょちょっと埋めれることは既に彼女のいないところで示されており、それにより変容を始めているちーちゃんは変わらず彼女の隣にいる。ちょっと変わり始めたちーちゃんは、ちょっと変わっただけでも今でもちょっと足りないままなのだから。そんな風に僕は楽観的に、アレをハッピーエンドと捉えたのだけれど、ハッピーエンドとは言わないまでも、エンドではなく普通に穏やかに続いていく世界の断片と捉え、絶望以外が見えないような狭窄な地平にはどうにも見えなかったのです。狭窄な地平というか、それは単に地平だったのです。以上です。