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『東京タラレバ娘』を2巻まで読んだ感想文

 結婚して良かったなということは色々ありますが、その中の一つに「絶対俺が手に取らない本がなんか家にある」っていうことがありますよね。あと、色んな味のたこ焼きが食べれる。俺なんか放っておくと一番ノーマルなソースばっか食べてるから、そういう僕は右に倣え的な保守的なところがありますから赤と黒のギンガムチェックのシャツを全部ちゃんとズボンの中に入れてソースのたこ焼きを食べてるみたいなところがありますから、嫁がいなかったら一生ポン酢も塩マヨも知らずに生きてた可能性全然あるわけですよ。それで幸せならいいけど絶対それで文句言ってるからね。「ギンガムチェックすら似合わない俺はもう死ぬしかない」「ソースの味しかしないたこ焼きはしょせん豚の餌」とかそういう文句を言いながらギンガムチェックのシャツをシャツインしてたこ焼き食ってますから、一番あかん消費の仕方ですよね、愚者感がすごい仕上がりですけど、幸いにも嫁さんがいるおかげで嫁さんの好みが僕の消費活動に反映されてくるわけでちったぁマシな消費活動になってるわけでテンガロンハット被って素肌にオーバーオールを履いてカレー味のたこ焼き食ったりなんかもするわけです。それめっちゃついでにチョビ髭も生えてそう。

 つまり何の話なのかというと、『東京タラレバ娘』という漫画の1巻2巻を読んだ感想をこれから書くけど、なんか家にたまたまあったから読んだだけで俺が積極的に楽しみにかかったわけじゃないんですよってことですね。

東京タラレバ娘(1) (KC KISS)

東京タラレバ娘(1) (KC KISS)

 

 

東京タラレバ娘(2) (KC KISS)

東京タラレバ娘(2) (KC KISS)

 

 この漫画は、なんか33歳とかの未婚の恋人もいない女性3人が、「はよせな」って思って何かしら奮闘するような漫画なんですけど、「はよせな」っていうのは『セクシーコマンドー外伝 すごいよ!!マサルさん』に出てくるめそっていう毛むくじゃらの生き物が、実は毛むくじゃらの生き物じゃなくて着ぐるみだったんですけど中身が二体だったんですね。それで「はよせな」って言うんですけど、『サトラレneo』という漫画がまた別にありまして、思考を他人に読まれてしまうという障害を抱えた一方で天才的な頭脳を持つ「サトラレ」という人々が頑張るそういう話なんですけど、この中で複数サトラレがテロリスト(?)的な何かしら武力でいいようにしてやろうと考える奴らと対峙するシーンがありまして、サトラレというのは本来自分がサトラレであることを悟ってしまわないよう厳重に保護されておりましてサトラレの隣人はサトラレの思考が流れ込んできた時にそれに絶対リアクションをしないようと徹底された仕組まれた隣人でもあり、そもそもサトラレは自分がサトラレであることを知らないわけで、それであればなおさらサトラレ同士が出会うなんてことはあってはならないことで基本それは本当にそうなんですけど、たまたま幸か不幸か自分がサトラレであることを自覚してしまっている3人のサトラレがテロリスト的な何かと相対することになりまして、近接格闘で挑むわけですけど、3人は3人とも超絶的な頭脳の持ち主で、しかも互いに互いの考えていることが伝わってくるということで、お互いの動きと狙いが手に取るように3人の身体が一個の生命体であるかのように襲い掛かってくるわけです。もちろん彼らの思考は、襲い掛かられる側にも伝わるんですが凡人には処理しきれない。そんな感じで格闘技には何ら精通してないサトラレは敵を打ち倒すわけなのですが、僕が言いたいことはというと、ワレワレは、サトラレではない。

 好き嫌いの話でいうと、僕はこういう独白?モノローグ?みたいなのが頻繁に出てくる恋愛漫画がすげぇ苦手なんですよ。恋愛漫画以外ならいいんですよ、スポーツでも芸術でも哲学でも、恋愛以外の話であるのなら幾ら心境を述懐してくれても何の文句もないんですけど、それがこと恋愛の話になってくるとイライラしてしまって、あんまり好きじゃないんですよね。要約するとそれは「口じゃなくて手を動かせ」って話になるわけですよ、お前サトラレじゃねえから、自分ひとりで想って気取ってても相手には伝わらねえからそれで時間を埋めて何か進めた気になっても全部気のせいだから、そんなことよりアクション起こせよとしか思わなくて、あるいは割り切れよと思うんですよね。そういう夢想する時間を夢想する時間として享受しているんだっていうことに本人が自覚的であれば幾らでもそうしてくれと思います、僕も昔はよくしてましたよ、あんなこといいなできたらいいなあんな夢こんな夢いっぱいあるけどつって不思議なポケットに手ぇ突っ込んだり突っ込まなかったりしましたけど、それが無意味で独りよがりなオナニー的行為であると自覚してるんだったら別に何の文句もないんだけれども、そういう思考する一人で内省することで一歩前に進んだ気になるみたいな感じが僕はすげえ嫌いなので、この漫画の登場人物メイン3人がすげえ嫌いというか、あんまり嫌い嫌い言うと逆に好き的な解釈を生みかねないなとも思うわけえですけど、そういうわけじゃなくてもう少し具体的に言えば「嫌い」というよりかは「酒がまずくなる」って感じなんですね。そういうわけで、あんまり読んでて面白くもないわけですけど。

 僕から言うと「口じゃなくて手を動かせ」の一言に尽きるわけで、それはこの漫画を読んで「わかるわー」とか言ってる人にも言いたいことになってくるんですね。作中で3人の女性がいっつも一緒に酒を飲んでなんやかや騒いでるわけですけど、この3人はいつだってそこそこに意気投合してるわけですけれどもサトラレとは何か違うんですよね。サトラレは胴が3つ腕が6本のファンネルみたいな化け物として連帯行動してたわけですけれど、タラレバ娘3人組はどうもそこまでの感じじゃなくて、どうしたって胴が1つ腕2本が3人並んでるだけの3人組なんですよ、そいつらがファンネルみたいな顔でたむろして自分の思考を確認しようとしてるんだからイヤイヤそんなんできるわけないでしょと思って、「タラレバ娘」と銘打っている通り、例えばそれは「あの時ああしていれば」「あの時ああしていたら」とか「将来こうなれば」「将来こうなったら」とか、過去とか未来に思いを馳せている人たちが今同じ場所にいるだけで、今現在その瞬間に考えていることを共有できるサトラレとはもうそりゃもう決定的に違う存在なわけですよ。「口じゃなくて手を動かせ」、口は何だって喋れますが、現在のことを喋られる人だっていないことはないのだろうけどそれができるのはよっぽどの才能がある人だけで、大抵の人は過去か未来のことしかその口では喋れないのではないかと思う、大して手は嘘をつかない、手は今にしか触れることができず、手は過去でも未来でも物語でもなく今・目の前にあるものにのみ触れることができる。

 というようなことが、読んでて考えていたことなのだけれど、まー1巻は全然つまらなかったんだけどやっぱ物語が動き出すと2巻は面白かったですね。やっぱり思うのは、年齢を食うと辛いっていうのと仲間がいると辛いってことですね。僕が一番好きだったのは小雪さんが既婚男性に抱かれに行くところだったんですけど、「そこそこええ年齢だからこっちも色々理解してそのうえでちょっと遊んだってんで感」と「そういう色々酸いも甘いもを報告できる友達がいる感」が後押しさせたよなーってのをすごい感じたんですよね。それこそ、独白?モノローグ?的な自分解釈の話を現実に組み込める素養というか。ダメで居続けるには、ダメで居続けてもいいような気になれる環境が必要だよなと思うし、ダメ臭い状況に飛び込むには、ダメを応援してくれる仲間が必要だとなと思うし。

 コミックスのカバーを外したところを見ると英語での副題として『TOKYO ifIFif GIRLS』とあるわけですけど、これでいうと「GIRLS」、複数形のsがついてることがポイントで結局こういうメンタリティを一人でやり続けるのはしんどくて、何人かいるからこういう生き方が選べてしまって、それで本人が良いならそれで良いんだろうけど、どうにもそうでもないみたいでそうなっちゃうとやっぱ辛いよなぁみたいなそういう話なのかなと思って読んでいます。あとこの段落、全体的に嘘で、そんな副題ないです。僕はそういう話なのかなと思ってるだけの話です。

 そんなこんなで、まぁ全く大好きではなくて、盛大にぶっ叩きたいわけでもなくて、なんかその、藻がぶっかかったたこ焼きを食う感じで、ズルズルと啜るほかない感じで、3巻を楽しみに待とうかなと思っております。以上です。

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