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『デート ~恋とはどんなものかしら~』感想文

いやー今期、追いかけてるドラマとかアニメの数があんまり無くて目ぼしいのが無いから数が無くてしょぼくれてたんですけど追いかけてるのがどれも面白かったのでよかったよかった。とりあえずみんな観てた? 『デート ~恋とはどんなものかしら~』観てた? とりあえず最終回を迎えたので今回はそれの感想文です。

最初観てなかったんですけど、なんか話題になってるなーってのは一話の時点から色々見かけて、オードリー若林の姉だと思ったら妻だったでお馴染みの杏がロボみたいに規則正しい糞マジメロボ女役で主役で、相手方の男が長谷川博己でこれがまたニートひきこもりの文学青年で。一方は父親の望みを叶えるためにも三十歳までに結婚希望、もう一方は母親が死んだ後の寄生先希望ってことで両者の思惑が一致したってことで結婚を目指す話なんですね。これが序盤なんかでは、何せ二人は契約結婚を目指してるもんなので既存の恋愛至上主義を徹底的に攻撃しまくるってんで話題になっていて、そんなに面白いなら見てみようかなって僕が観始めたのがたぶん三話とか四話だったのかなぁ。最初から観ときゃよかった。ともあれ途中から観始めたものの、そんな既に蔓延ってるものを皮肉っただけの単純な話じゃなくてなかなかどうして面白いドラマだったんですよ。

物語の後半では実は杏演じる依子さんはずっと恋がしたかったんだなんて展開になるわけですけど、実はこの依子さん、幼い頃に死別してる母親の幻影が見えるって設定があるんですね。この母親ってのが、依子さんのロボ的長所、研究者としての実力も依子さんも上に立つような大層出来た人で、そのうえ父親ともよろしく仲良くやっていた随分出来た妻でもあったそうで、父親も母さんの話を今でも繰り返す繰り返す。そんな中で結婚を目指して奮闘する依子に対して母親の幻影は「あなたには無理よ」「あなたにはできっこないわ」と繰り返す、まぁこれ端的に言って毒親のマイルドな表現だろうなとか思うわけです。もちろんこの物語内においては母親の幻影はあくまで娘が見た母親の幻影なわけで、このお母さんが実際にそんなに嫌な奴だったのかは知りませんけれども、親が望んでか望まずか、子どもの恋愛観に多大な影響を及ぼすっていうのはまあありがちな話で、詰まるところ契約結婚を目指す依子の心境というのも「母親のような恋愛結婚は私にはできっこない」っていう理由で無理に恋愛を遠ざけていた節があったんだなということが次第に明らかになるわけです。

その後、結婚ではなく恋愛をしようと決めた主人公カップル二人は袂を分かち、それぞれ別のパートナーを拵えてデートを堪能します。普通に好感が持てる良きパートナーにエスコートされながらあるべき普通のデートを噛み締め、これが自分の求めていた恋愛だったんだと心を震わせたところで最終話。これどうすんねんまさかそんな主人公カップルがそれぞれ別の相手と引っ付いて終わりってことはないだろうと思って見守ってたわけなんですけれど、なんと杏の即席パートナーが杏にプロポーズしてOKまで貰ってるじゃありませんか。この段階で残り放送時間が30分少々、この段階でこんだけ尺を余してるってことはやっぱり主人公カップルがくっつく展開になるのだろうけれども、一体どうするんだ。たった30分でここから二人をくっつけるなんて芸当、どうやったら可能なんだと思ったんですが正解は「二人で泣きながら土下座をした後、二人でリンゴを貪り食う」でした。なーんだそんな簡単なことだったんだ、それをやるだけでたかだか20分程度で二人をくっつけることができるだなんて驚きだ。あ、今もう白目でバーッて書いてるんで、本編ドラマを観てない人はたぶんついてこれてないだろうなと思ってるんですけど、だって本当にこれが正解なのでどうしようもないんですもん。俺は何も嘘を言ってないんですけど。

リンゴを二人で貪り食うっていうのはまああまりに分かりやすすぎるモチーフで、説明するのも恥ずかしいわけですけれども、他の人の感想なんかを見かけると恋を知らなかった二人が恋を知ってその道を行く覚悟をしたんだみたいな解釈が多くて、僕ちょっと「え、そっち!?」ってなったところがあって。いや、それはもちろんそうなんですけど、僕があのシーンを見ていて感じたのは、「ああ、この二人は世界で初めての二人なんだな」っていうそっちの方だったんですよね。恋愛至上主義を攻撃する形で始まったこの物語なんですが、別になにも恋愛そのものを否定していたわけじゃあない。例えばテレビとか、例えば雑誌とか、例えば誰かが言ってたような、例えば自分の母親のような、そういう自分じゃない誰かに押し付けられたステレオタイプな恋愛観に基づいて恋愛したって仕方ないんじゃないのって話だったんだーと思って。AVみたいなセックスで気持ちよくなろうとするのは馬鹿馬鹿しいけど、セックスってじっくり向き合えばそんなに悪いもんじゃないんですよ、っていうそういう話のように思えたんですね。

思えばこのドラマの毎週の構成自体にそういう思想があって、というのも毎週この物語はある場面から話がスタートしてそこで何かがうまくいったりうまくいかなかったり次にどうするか決めなくちゃならなかったり、そこで過去に戻ってお互いその日まで何を考えてどういう準備をしていたのかが描かれて、そして現実に戻って擦れ違って、また二人が擦れ違うキッカケの行動をとるに至ったのかそのヒントになる過去のシーンに戻って。例えばある種の恋愛マニュアルのようなものをみんなが求めるこの時代、こういう時はこうするのが一番相手に好まれるよねとか、男ならこんな時はこうしよう、女として絶対に押さえておくべきうんたらかんたら、そんな誰かのアドバイスが実際どれだけ役に立つのか、目の前にいる相手は自分の目の前に現れる直前までこの世のどこにもいなくて出会ったその瞬間にポンとこの世に出現したわけじゃない。出会う前からずっとこの世にいて、ずっとこの世を生きていて、ずっと考えて、ずっと悩んで、その結果目の前にいるのが今・自分の目の前にいる相手なんだ。っていう風に考えた時にマニュアルなんて糞の役にも立ちませんよね、目の前の相手のことを考えて自分がこうした方がいいんじゃないかと思う風に動くほかない。そうして始める二人の恋は、誰と誰とも似つかぬ二人が世界で初めて紡ぐ恋で、それって二人はアダムとイブってことじゃない。

みたいなそういう風に受け取った。ので、「結局好き同士になってくっつくだけなんかい」っていう風に受け取って、折角の恋愛風刺ドラマなのに結局そうなっちゃうんじゃてんで期待外れだったななんて感想も見かけたりするんだけど、そういうこっちゃないんだよ、そういうこっちゃないんだよなーと思ったりしたのであった。

まー何にせよ依子ちゃんがめちゃめちゃかわいいのね。杏、最近見かけるなーと思いつつどうでもいいやと思ってたんですけど、依子ちゃんがかわいすぎてこれはちょっとガツンとやられすぎて反動で今後急激に飽きてくる可能性があるので心配です。そう、ちょうど失恋ショコラティエが終わった後、鏡月のCMもどうでもなくなった時のように。ほんと今更、花咲舞の続編とか言われても困るんですけど。

みたいな感じでねー、グダグダ言うておりますけどもねー。この『デート』もそうだったし、『マッサン』の感想もまた折を見て書きますけど、恋愛っていいですねー結婚っていいですねーってすげえ普通に思う29歳既婚男性、どう? こんな俺どう? ドラマの感想から最終的に「俺どう?」って聞く、この投げやりな終わり方どう? 以上です。

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