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自分の葬式はどんながいいか

 もう3年近くも前の話になるのだけど結婚式と結婚披露宴というものをやったのだけれど、当時の僕は今の僕よりもいくらか偏屈なやつだったが更に遡ること数年前の僕よりはいくらか話のわかるやつだったので、二十歳もそこそこの頃は「結婚式なんぞ誰が挙げてやるものか」と考えていたが結婚式をいざやろうとなったその頃には「いいよいいよ、君が大事にしたい結婚式ならできる限り良いものにしたいね、君のしたいようにできるよう頑張ろう」というスタンスであった。しかし、その後に続く言葉があって、それは、「ただし、その分、俺の葬式だけは絶対に俺の好きにさせてもらうけどな」であった。

 葬式なんぞしみったれてるのも馬鹿馬鹿しいので馬鹿馬鹿しけりゃ馬鹿馬鹿しいほどなお良い。案はいくつかある。

 例えば、ムービーを流す、読経を終えていよいよ出棺というところでムービーを流す。目の色も肌の色も違う色々な国の子どもの顔のアップが次々に映し出され、その誰もが俺の名を呼ぶ。これは泣ける。背景も雪が積もってたり常夏だったり砂漠だったり、世界中の様々な子どもたちが笑顔で俺の名を呼ぶ。これは絶対に泣ける。そしてムービーが終わったかと思ったら棺の陰に猫を放し、自由となった猫は参列者の足の合間を掻い潜り会場を走り去っていく。その猫、俺っぽい。まだ火葬もされてないのにフライングで転生した俺っぽい。そしてこれは絶対に泣ける。

 あるいは市民会館とか貸し切って表には縁日を開いて欲しい。市民会館の吹き抜けの糞高い天井に吊るされた俺の棺。バレーボールをぶつけると面白い音が鳴ってチケットがもらえる。ヨーヨー釣りも綿あめもフランクフルトも全部タダだ。これは子どもが喜ぶ。子供が喜べば大人も喜ぶ。世界平和。会場のBGMはビートルズ。子供も大人も喜ぶ空間にビートルズコムサファミリーセール感がすごい。これは泣ける。

 火葬を終えたら遺灰は各自に配ります。交換制になってるのでみんな米一合を忘れずに持ってくるようにしてください。頂いた米はあとで炊き出しにしますので、みんなでサフランライスを食べましょう。サフランライスで全然本格的じゃない普通のボンカレーを食べよう。米一合と引き換えに各自に一握りの遺灰をお配りしますので、後日、各自面白いと思うところに撒いてください。「やっと帰れたな」とか言って海に撒いたりしてください。俺、内陸地の生まれで海とは縁もゆかりもないけど。

 とか、そういうことを考えると本当に楽しくてニヤニヤする。楽しいんだけど最近は別に本当にやらなくてもいいかと思ってきた。それは非現実的だからとか面白くないからとかじゃなくて(残念ながら本当に面白いと思って言っている)、もうその時は俺いないんだもんなぁと思ったからだ。

 俺の葬式だから俺の好きなようにさせてくれよと思ってたけど、その時は別にもう俺はいねえしなと思って、じゃあ遺されたやつが納得するように好きにしてくれればいいや。もちろん自分の希望としては馬鹿馬鹿しいのがいいんだけど、その馬鹿馬鹿しいのじゃあどうにも俺を弔った感じにならないと遺された人が思うのであれば、納得するように好きにやってくれればいいし。もちろん馬鹿馬鹿しい葬式を馬鹿馬鹿しくやりきってそれで弔った気分に昂揚できるような人と一緒にいれればそれで一番いいのかもしれないけど、何もそういう相手って葬式の好みで選ぶわけじゃねえから。少なくとも俺は「葬式の好みがピッタリだから一緒にいるんです」って奴らは見たことがない。

 というわけで、遺された奴らの匙加減に任せるからテキトーにやっといてってのが今の考えで、そういう風に僕は自分がいなくなった後の世界についても考えることができるようにやっとこさなってきたし、ともあれどんな葬式を挙げるにしたってあんまりな死に方じゃあしみったれた葬式になるのは仕方がないところなので当面の目標としてはまぁ死んでも仕方ないね悔いはないねと周りが思う程度には健康に長生きする必要があるわけで、まずはそっちを頑張る必要があるのであった。ニンニン(なんでそこで忍術に頼るんだよ)。以上です。

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