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ババアが一人でやってるちっちゃな居酒屋

トピック「思い出のレストラン」について

 

 大学の近所にババアが一人でやってるちっちゃな居酒屋があった。先輩がよく使っているという理由で僕もよく連れて行かれることとなり、やがて僕は一人でも足を運ぶようになった。テーブル3つとカウンター席が5つほど、たぶん厨房含めて8畳とかそこらの小さな小さな店だった。ババアはいつだって家のテンションで店に鎮座しているので、訪れた僕たちはいつだって家に来た客人のテンションで出迎えられる。まずその日のババアのハイライトを聞き果せないことにはドリンクのオーダーが通らない。お前らは俺の息子だと言い放つ教師やバーのマスターはテレビで見たこともあったが、本当に客を息子のように扱うババアは自分が喋りたいことを喋りきるまで酒を出してくれないのだなということを、職務をおいそれとはすんなり果たしてくれないのだなということを、僕は初めて知った。真っこと漫画から出てきたような如何にも大阪のババアらしいババアは片田舎から出てきた僕の目には大層新鮮に映り、若気の至りの馬鹿も手伝い、忽ちにババアは僕の大阪の母となった。

 ババアはババア故に非常にめんどくさくうるさい人であったが、ババア故にとても甘え甲斐のある優しい人でもあった。なので、名実ともにガキである僕たち学生はもとより誰かに甘えたい近所のおっさん連中などもその店を訪れていた。愚痴を言いワガママを言うおっさん連中を相手にババアはいつもテキトーな相槌を打っては、おっさんどもが帰った後に相手をするのも一苦労だと愚痴ってはいたのだけれども、ババアの彼らの扱いを見る限りおっさん連中も僕ら学生もババアからすれば大差ないようで、きっとおっさんなんて僕ら学生に毛が生えた程度の存在としか思っていないようだった。ババアは、月日を重ねて老獪だからこそのババアなのであって、本当に僕なんかからすると大したババアなのである。いつだったか、酔っ払いのおっさんが店でちょっとした揉め事を起こし、その連れ合いが「こいつ酒飲んでるからごめんな」と詫びを入れた際にババアが言った「そんな言い訳通るわけないやろ、ここに来る人みんなお酒飲んでるよみんな一緒や」という切り替えしは、正直その瞬間大いに痺れたが、その後50回くらいその時の話をババアの口から武勇伝としてリピートで聞いたので、あの時の痺れた感覚は今はもう随分薄れている。

 学生当時の僕は今以上に傲慢で、口が悪く、それ故の失敗も多く、そのリカバリーもその日のうちにはどうにも出来ない人間だった。つまりは日がすっかり沈んだ頃には落ち込んだ気分になっていることが多い、そういう人間だった。なのでそういう時、僕はたびたびババアの店を一人で訪れた。僕は元来お喋りで、口数も多ければ口の悪い人間で通してはいたが、実のところそれでも僕は状況を良くしようと思って口を開くばかりの人間のつもりでいたので、ババアの店を一人で訪れた時は特に何も言わず一人でグラスを傾けるような、そういうつまらない飲み方をするお客を気取っていた。ババアといるその空間を、状況を、好転させる気は特になかったからである。ババアはいつもそんな時、そんな僕を尻目に漫画のキャラのババアみたいに阪神タイガースの試合結果を報じるテレビを見守っていた。僕はこの店における俺が、ババアにどう思われようと俺は。どうでもいいと思ってテキトーに構えていたが、頬杖ついて阪神の行く末を見守っていたババアが何を思っていたのかは未だに知らない。

 いつだったか、その日も僕は一人でババアの店を訪れていた。その日も失敗をしていて落ち込んでいた。どんな失敗をした日だったのかは今はもう覚えていない。兎に角僕はいつものように、口を不用意に動かしたせいで誰かと擦れ違って仲違えたことを自覚しながら、自覚してないような死んだような顔でその店ののれんを潜っていた。ババアの10分ほどのオープニングトークに生返事を打ち、ビールを頼み料理を頼み、やがてビールと料理がやってきた。ので、僕はいじけた顔でそれらを口にし始める。たしかその時頼んだのはおでんか何かだったかだろうか、ちくわぶでも頬張りながら僕はババアも見ているテレビに目をやる。『ガキの使い』がやっていた。ダウンタウン二人が長年やっている番組だ。その日やっていたのは世界のヘイポーが主役の回で、女性タレントとの共演でロケを行うヘイポーが相手方にセクハラをかましてしまいセクハラ丸出しの謝罪を施すというコーナーだった。ざっと書いてみたものの説明すげえ難しい。ヘイポーっていうキモい変な男性がいて、そいつが女性タレントに収録中セクハラをして、女性タレントが怒って帰って、それにヘイポーが謝罪文で謝るんだけどその謝罪文がセクハラなので余計ひどい、っていうのを2度3度繰り返すみたいな規格なんだけど、ともあれそういうやつをやっていた。僕はその日、随分落ち込んでいたので、当然くすりともせずにぼんやりと頬杖をついてテレビを眺めていた。その一方でババアは、もちろん僕に話しかけているていで、随分その番組を楽しく眺めていた。

 実際の番組を見ていないとあんまり伝わらない気もするけど、ババアが言っていたのはこんなようなこと。

「あー、あかんわこれは、わかるわ。こういうやつはな、絶対またやるねん。さっき謝ってたん絶対覚えてないねん。やるやろ。やるでこれ絶対、あかんねん、そういうことやってまうからこんなんやねん。ほらやったやろ~、やめられへんねんこういう人は、ほら、それで謝る言うても、絶対でけへんねんこういう人は。何が悪かったのかわかってないねん。ほら、これやろ~、そら怒るで相手の人も! こらしめなあかんやろ! な~。」

 ババアは恐らく純粋に、テレビを楽しんでいた。いや、ちょっと自信ないけれど、ともあれ随分いつもどおりだった。しかしその日の僕はどうにも違うテンションで、ヘイポーを笑うババアが随分僕にはつらかった。失敗は一緒くたに失敗で、ヘイポー同様に僕が失ったあれやこれやもどうにも取り戻しがたいように思えて、それで僕は肩を震わせていたのだろうと思う。涙をこぼしていたのだろうと思う。ババアがそういう時、ともすればとてもめんどくさそうな顔をすることも知っていたのでそんなつもりはなかったのだけれども、僕はその時、随分弱っていたのだろうと今となってはおもう。

 ババアはそんな僕を見てとてもつまらないことを言った。「あんた、そんな知らんけど、あんた賢いんだから大丈夫やって」と、とてもつまらないことを言った。その後は特に何も言わずタバコを吸ってヘイポーがいたぶられているのを見ていた。

 その日はテキトーに金を払って帰って、それ以後学生をやり、卒業をし、なんやかんやあり、定職を持ち、結婚し、今をやっている。なるべく、面白おかしく、そうできるように心がけているけれども、ちょっと嫌なことがあった時とか、どうにも頑張らなくちゃならんなとなった時とか、そういう時に自分のやる気だとか自信だとかをかき集めなくてはなとなった時、あのババアの「あんた賢いんだから」を俺だか誰だかがどこかから持ってきて、俺が、真に受けたりしている。ヘイポーが賢いのか賢くないのかは未だに知らないが、あの時あのババアと僕の間でそういう話があったのだなと思う。

 何せネタには事欠かない愉快なババアであったので、一応いくつかオチっぽい結びは考えながら書き進めていたのだけれども、それはさておきもう一回くらいあのババアに顔を合わせる方策をちょっと発揮しようかななどと思った。ので、明日以降テキトーに発揮しようと思った。赤の他人に感謝がある。以上です。