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卑近な例で理解しようとするのが大事なのかなと思った


これ読んでなんか書きたくなったのでババッとメモ。

僕らが日々扱う概念はそれぞれ難解さとか複雑さとかいうパラメーターを備えているわけだけれども、それらのパラメーターとそれを習得する難易度は完全な相関関係にあるわけではなくて生活の中での接触頻度にも寄るだろうし単純に人によっての得手不得手などもあるよね、という話。

確かに例えば文章を読むにしても何となく掴める話と何だかなかなか掴めなくて頭に入ってきにくい話とが僕にもあって、まぁ得手不得手なのかなと思って半ばあきらめていたのだけれども接触頻度によるよねと言われるとなるほどその通りだと思って、じゃあ僕が不得手とする話というのは接触頻度が低いんだから仕方ないよねという話かというとそうではなくて「ああ、アレと同じようなあの手の話か」みたいな正しい保管場所を割り振れてないから毎回いちいちイチから考えなくちゃならないはめになり結果として理解に時間がかかるんじゃないかみたいなことを思った。

「手順を覚えるんじゃなくて仕組みを覚えなさい」とか「コツさえ覚えちゃえば」とか言うとあんまりにあんまりな手垢についた言い方になるけれど、ここに「接触頻度の高いものは上手く扱える(はず)」という前提を付与してやると、自分がよく使ってる概念を基本ユニットとしてそれに何がくっついているのかみたいに把握してやれば自分がいつもやってることの延長として新しい概念を把握できるので要領を掴むのも容易になるんじゃないかなみたいな。

サッカーやバスケなどの球技を専門にしている人は何をやらせてもそこそこにこなす印象があるけれども、球技がまるで駄目な陸上部員なんかは想像しやすい。「身体を思い通りに動かす」というイメージで身体操作の訓練をしている人と、「一瞬でも速くゴールに辿り着く」というイメージで身体操作の訓練をしている人の差、とかああいう感じかな(もちろん例外は多々あってすごい雑な喩え)。

アレはああだねという話をした後に、「じゃあコレはどうなの?」と言われて、アレはああだと言った後にコレがどうなんだという疑問が出てくる理由がそもそもよくわかんねぇよと相手に思うシーンはよくあるし、逆に自分が相手に思われてるシーンもよくあるんだろう。

例えば1缶で10平方メートルを塗れるペンキがあったとして、それである壁を塗ってみたところちょうど1缶なくなったのでどうやらこの壁は10平方メートルの面積があるようだ。そこでメジャーを使って壁がそれぞれ高さ2m幅5mであることを調べればどうも高さ×幅が面積になりそうな気配がするというあたりに辿り着けそうではあるのだけれども、そこに気付けなければ次の壁の面積を測るためにまた彼は黙々とペンキを塗りたくるだろう。厄介なのはペンキを塗りたくってその使用量で面積を測ってやろうという試みもそれはそれでなかなかの知恵なのだ! そのうえ長方形以外の形の歪な壁にもこの方法は有効で確実だったりするので、ますます高さと幅を測ろうなんて発想は頭から抜け落ちてしまう。

なんか今の話は今の話でそれなりに大事なことではあるかもしれないけど、ちょっと今してる話とはまた別の話じゃんとか書いていて思ったんだけれども、結局は何をするにしても概念の首根っこを捕まえるというかモーメント中心を見極めるというか、そういう一番ラクできそうなところを押えるのが大事なんだろうけれども、それを見つけるのが何故大事なのかというとそれが一番効率的でラクだからではなく、慣れ親しんだ概念を起点にした方が理解が早くてラクだからだ、と言い換えればまぁ言ってることは同じなんだけれども新しい概念に触れる時の気構えがいくらかラクになるんじゃねえかなと思った。ここで60年ミシンを踏んできたババアのドリフトがヤバいみたいな嘘逸話をしようと思ったんだけどめんどくさいのでやめる。よくよく考えてみるととんかつDJアゲ太郎とかも要はそういう話に思える。

とまぁ書いてみれば当たり前すぎる話を何故わざわざ大真面目にこうして書いてみてるのかというと、僕にとって一番慣れ親しんだ道具が言葉だったからである。以上です。

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