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男女の性犯罪についての認識の差異とかそもそも性差とかで考えてること


前回、上記をめっちゃマジメに書いたので今回めっちゃテキトーでいいですか。テキトーにいきますからねマジで。少なくとも前回のを読んでる前提でいくんで、そこんとこだけよろしくお願いします。

男女が愛し合う一つの形としてセックスというセーブポイントだかターニングポイントだかスタート地点だかゴールだかがあるわけですけど、そもそもセックスとかマジでなんなんですか。やり方によっては両者気持ちよくてやり方によっては不快でともあれば人間の尊厳を傷つけかねないとか、一体なんなんですか。属人性強すぎるでしょ。しかもまぁ、産む産まないは個人の自由としてもね、子ども作ろうと思ったら基本的にそれが避けては通れないマストのフローとかね、それならもっと属人性に依らず誰がどうやってもうまくいくようにしておけよ、貴社の業務体制どうなってんだ、神よ。まじでね、そういう現場で起こるイレギュラーを排除しようと思ったらね、セックスなんておちんちんの根元をギュッて掴んで根元の方向にカチッて言うまで押し込んで回したら取り外せるようにしておいて、それを女に持って帰ってもらって解散とかそういう仕組みにしておいた方がよっぽど不幸な事故は起こらないわけです。取り外して本体から一定距離離れないと大きくならない安全装置とかもつけておけばいいんですよ。そういうリスク排除のための努力を貴方が怠ってきた結果がこの世界なわけです、どうしてこんなややこやしい世界を我々は遣り繰りしなくちゃあならんのですか、わかってますか神よ。

前回、犯罪を行う意思の有無ではなく犯罪を実行する能力の有無で考えようって話をしました。これで考えると、男女がセックスに漕ぎつけてセックスを成し遂げるにあたって一般的に男性の方が加害者になるリスクを抱え、女性の方が被害者になるリスクを抱えているという傾向があります。なので、被害者になるリスクを抱えた側は常に警戒を怠るわけにはいかない、警戒せんで済む世界であればどれだけよかったか、しかし神はこの世界をそうは作ってくれなかった。おっと、ここでそろそろ一度明言しておきましょう、僕の主張は安易に男の肩を持つ男擁護ではありません。「男はそういう生き物だから仕方ないんだ」とかそういう話をしたいわけではありません。すごく危なっかしい区域に裸足にスキップで突っ込んでる自覚はあるんですけど、まぁ頑張って変にならない感じに書けるよう頑張るので頑張って読んでください。読んでもらえるなら僕は何分でも熱湯に浸かるよ。お尻が浴槽の底につくように浸かるよ。

男は加害者になりうり、女は被害者になりうる。もちろんこれはそういう風に見える角度もあるという一般論に過ぎず、そうではないケースも多々あります。男より女が腕力が強いケースもあれば、腕力以外の部分で男を消耗させる術に長けた女もいれば、男が男をどうにかするケース、女が女をどうにかするケース、男女問わずより弱い老人や子どもをどうにかするケース、その他まぁまぁ無限のバリエーション、被害者と加害者の関係が実際に発生する場合は性差とか関係なくほんと神様なんでここだけ頑張っちゃったかな、コンプリートするの難しいくらいの実に様々なバリエーションがありうります。しかしそもそも私たちが目指すべき方向というのは、どちらが加害者でどちらか被害者を裁定することではなく、加害者/被害者という区別とは無縁の関係性を築くことであります。なのでここで、そういう個別のケースを考えたりとか「いや、むしろ男が被害者になるケースもあるだろ」とかそういう話は一旦置いておいて、単純に男女が(あるいは男女のうちどちらかが)コミュニケーションを試みて失敗した場合に相対的に強い男が加害者になり相対的に弱い女が被害者になる場合が多い。そのような失敗を回避して、良い関係を構築するためには一体双方にどんな努力が必要であろうか、そういう風に考える必要があるんじゃねえかなと思うわけです。そして、そういう努力を一緒に行えると思えない相手は十分に警戒すべきだし、それで「犯罪者みたいな扱いをするな」とか怒る奴は、まぁ頓馬なわけです。

で、ここで話は、「そういう努力をある程度共にやってきたパートナーですら、性犯罪の話になるとやけに男の肩を持ったり腹を立てたりする」みたいな最近ネットで見かけた話に飛ぶわけですけど、僕はそういうタイプの男性の気持ちというかそこでそういう態度に出ちゃう流れってのもまぁなんとなくわかるんですよね。たぶんそういう態度になっちゃう人ってのは、ここまでに話してきたような「男性は加害者になりうる」ということに割りと自覚的な人なんじゃないかなと思うんです。本当にもうまるでそこらへんで嫌な思いをしたり傷ついたりしたことが全くない女性の方がよっぽど少ないだかいないだかと聞いておりますので、こういう言い方をすると気を悪くされそうなんですが、「好意を示そうと行動して匙加減をミスると加害者になりうる」っていう設定のなかで誰かを好いて愛そうとするってのはそれはそれでプレッシャーだったりするもんですよ。一回熱湯入りますね、一回熱湯入りますけど、これは「貴方が好きでやった行動なんだからいいじゃないか」って開き直りたい話ではありません。そこで「いいじゃないか」と思えるほどの馬鹿でもないからプレッシャーなわけです。そして、自分がそういうプレッシャーのなか選択してきた過去の行動すべてが相手を傷つけたか傷つけてないかっていう答え合わせってのは完全に信用できる形では死ぬまで提示されることはないのです。もちろんそれが満点で一度も傷つけたことがないなんてこともないでしょう、これは別に男に限った話ではなく誰だってそうですけど。誰だって人を傷つけるかもしれないなか、それで何もしないでいても仕方ないので、恐る恐る人と関わっていってるんじゃないでしょうか。それは「過去に傷つけてしまったかもしれない、今も傷つけているのかもしれない」と思いながら生きていくということでもあります。そういう恐れのような感覚が、そういった話題に直面した男性を意固地にしてしまってるところがあるんじゃねえかなぁと思うんですね。違ったらごめんね、ただ俺はそういうところあるんだ。

餅食いたいとするじゃないですか。そうなると一人が杵で餅突いて、もう一人が突いた餅を捏ねて、っていう役割分担が必要になってくるわけです。二人で杵担いでも二人でもち米捏ねても餅はできないわけです。役割分担しないと餅はできません。で、ミスした時に怪我する可能性が高いのはもちろん餅捏ねるほうになるわけですけど、やべダジャレになっちゃった恥ずかし、絶対どっちかがどっちかをやらなくちゃならない。二人で話し合って決めれればいいんですけど、男女の関係においては男が杵を持って女が捏ねる側に自動で回されちゃうようなケースが多いんだろうなーと思うのです。これでタイミング間違えて、捏ねる人の手を突いちゃったらそりゃあ杵突いてた人が悪いよ、多少捏ねる人がどんくさかったとしてもよっぽどの故意じゃない限り傷つけちゃったほうがそりゃ悪い。けど、これってうまく餅を作るための努力を杵持った人だけが全部やらなくちゃならないって話にはならないじゃないですか。どうせ餅がうまくできなかったり、自分が怪我したとしても杵の人が悪いんだから杵のお前がどうにかしろよこの野郎って感じで鼻くそほじりながら餅を捏ねてたら、そりゃあうまい餅はできないに決まってるじゃないですか。男女うんたらの話を見かけて、たまに僕が男性側としてイラッとする場面として、そういうのはありますねー。

と、別に男女問わずコミュニケーション全般に言えるような例え話だったかな今の、っていう自分でもあんまよくわかってない感じになっちゃいましたけど、翻って性犯罪うんたらの話になると、まぁ杵持ってる奴に近づくときは十分に警戒すべきだよね。すごい杵突くの下手なやついるからね、リズム感ゼロか、みたいな。そういう人と餅は突けないよね。あと自分のペースで突くやつね、全然こっちのペースを把握してくれない人、お前が俺に合わせろみたいな人、これも危ないね。あと普通かなと思ったらいきなりこっちに振りかぶってくる人とか、そういうのもいる。なので、残念ながらそういう危険は被害者になりうる餅捏ねる側が警戒するほかないところはある。知らない人の臼の半径5m以内には近づかないことだよね。でも別に悪い人ばっかりでもないから、怪我させないように慎重に二人でおいしい餅作ろうねって人は別にたくさんいるから、まぁそいつらのみんながみんな餅突くの上手いわけじゃないんだけど、二人のリズムを作ろうって努力できる相手ってのはなんぼでもいますし、そうやって一緒に餅を作る相手を見つけてくしかないんだろうけど。で、そうやって餅突き相手見つけるわけだけど杵の人の中には「俺の餅の突き方本当にだいじょぶかな」って不安に思いながらやってる人もいるだろうから、そういう相手に「しかし杵を振り回す馬鹿がいて怖いね」って話をする時には「貴方はいつも相手を怪我させないように考えて杵を振るってくれているけど」くらいの枕をつけてみてもバチは当たらないでしょうし、パートナーとそういう性犯罪対策の話をする時もなんぼか対話しやすくなるんじゃねえかなぁ、と僕は思います。もしそれで「いちいちそんなこと言わなきゃならないとか男まじめんどくせぇ」って思った人がいたら、俺はその人と一緒に餅を作りたくないのでもういいです。

まぁ身体的接触が関係する部分と、単純なコミュニケーションにかかる部分と、別に男女に限らず当てはまるような部分と、色んなところに言えるような話がゴチャゴチャになっていて、わかるとしても「なんとなくわかる」ほかないような仕上がりになっておりますが言いたいことは大体そこらへんで。自身の加害能力に無自覚な奴はタチ悪いよなって話と、そういう奴らがいる世の中を生きていくためにはせめて横にいる自分以外の自分と違う性別や立場や考え方の人くらいとは一枚岩になりたいよなぁっていう、それだけの話でした。以上です。