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人と悩みを共有して乗り越えるってのは公約数を探すってことなんだな


これ読んで思いついたのでサクッと書く。

まぁ僕も今の嫁さんと恋人になって結婚してぼちぼち長いが、どちらかの悩みか或いは二人の悩みかをどうしたもんかと二人で考えなくてはならないタイミングというのはそりゃあある。

二人とも重大な問題だと受け止めて悩んでるときってのは実はそれほど難しいことはなくて、むしろその悩みをどれだけ深刻に考えているかってところでお互いにズレがあるときの方が我々コンビにとって重大で危機的な問題であると解釈すべきだろう。

僕にとっては些細で「こう解釈して終わりだろ」って問題が彼女にとってはどうにも割り切れない話であったり、彼女が「どうしてそこが問題になるの」と思うところが俺にとっては納得できるまではテコでも動かんぞこの村をダムの底にはさせんぞって問題だったりする。

そりゃあ言及元の話で出てるような「こう考えりゃ解決なんだから悩む必要ないだろ」とか「自分を責めたところでしかたねえだろ」とか相手に思うこともある。昔は思ったままに言ってたこともある。それじゃうまくいかないので学習して最近はなるべく言わないようにはしてるし今後もより一層気をつけたい。結局それをゴリ押しするのって「俺にとって問題にならないことで悩まれるのは俺が不快だからやめろ」って言ってるだけであんま役に立たないから。

で、僕は何と言うかひねくれた人間で自分の感情については大変敏感だが他人の感情というものに非常に鈍感で、なんというか共感力が低い。共に笑い共に泣き相手が辛い時に相手の辛さを感知して相手と同じだけ辛い気持ちになって共に乗り越えるみたいな共感力の高い人を見ると素直に羨ましいなぁ、と思う。僕そういうのすごい苦手なので。

じゃあ自分はそういう時どうやってんのかなぁ、てのを考えた時に思いついたのが掲題の感覚だ。例えばある問題があって、それは二人にとって共通の問題なのだけれどその問題の受け止め方って人それぞれだ。俺にとってその問題は49くらいの大変な問題だけれども彼女にとっては100くらいの問題だったりする。単純に数が大きいほど深刻に考えてるってニュアンスじゃないのが分かりにくい喩えなんだけどまぁ、なんとなく続きを聞いてくれ。

ここで僕が絶対言っちゃいけないのって「どう考えてもこの問題は7で割り切れるだろ」って言い張ることなんすよね。100だと思ってる彼女からするとどう考えても7で割り切れないので。当たり前の話なんだけど自分にとってはどこからどう見ても49なのでついつい「7で割れば終わりじゃん」って言いそうになってしまう。7で割り切れないと言われるとなんなんだこの野郎、と思ってしまう。

なので僕がまず最初にすべきことってのは、自分にとって49にしか見えない問題に何とか1を足して50にして、「50で割ってみよう」と提案するか、彼女の100の悩みから何とか2を引いて98にしてやってから「49で割ってみよう」って提案するかのどっちかなんだよね。彼女の気持ちに共感してジャスト100まで持ってけない俺は、たぶんそうやるほかないからそうやってきたし、今後もそうやっていくのだろう、と思った。

俺はもう「そういうことなんだ」ってわかったから、「わかったからそう心がけよう」ってなったから、もう全然他人には伝わらなくても全然いいんだけど、せっかくだしメモがてら書いといた。別に伝わらなくても俺はわかっててこれから実践するだけなので別に困らないしいいや。

なお今日のマッサンは朝に二人で見て「まー悲しい」って騒いでたんだけど、その後テレビ点けっぱなしにしてたら12:45にまた麦の唄が聴こえてきて「また悲しいの始まったで!」って言ったら嫁がわーつってテレビ消したのがめちゃめちゃ面白かったです。以上です。