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僕が外人の感覚を理解するために必要だと考えている二つのこと

あ、すいません。ノリでなんかそれっぽいタイトルにしたんですけど基本的に以下は「わかったからそんなに興味あるならちゃんと勉強とか、しろよ!」みたいな話にしかなりません。

結局おもしろがったもん勝ちだよなーみたいな考え方が最近あって、昔は選り好みもそりゃあしましたけれども結局のところは如何に俺が俺の脳で面白がれるかがすべてで面白いだのつまらないだの文句は言ってますけど、俺が面白がれるかどうかが本来的には一番大事なはずで言うなれば小学生の頃に「鳥は卵を肛門から出すよ」って知った時のワクワク感。「え、なにそれ!?」っていうあの感じの興味の抱き方で万物を包み込めればきっと面白いぞみたいな思いがあって、宗教とか政治とか生命とかの入り組んだ問題を「鳥は卵を肛門から出すよ」と同じノリで受け止めてハシャぎたいなみたいなところがあるんですけど。

で、僕映画は専ら邦画を好んで見るタチで、洋画とかテレビでやってたら見るけど嫁がDVD借りてきてたら一緒に観るけどあんまり積極的に自分からは観ないってところがあるんですけど、最近立て続けに何本か観て、その結果やっぱりピンとこない部分がある。これはたぶん「メリケンおもんないぞ」って話じゃなくて、たぶん僕の方が「メリケンの肛門の何たるか」を理解できてないんだろうなってことを考えていて、たぶんそこの勘所を押さえることができれば・メリケンのケツの穴のシワをにのしのろのやのとっと段飛ばしに数えることができれば・きっともっと面白がれるんじゃねえかなみたいなことを考えていて、努力をしたいんですけど、とりあえず思い当たるところが二つばかりあるんですよね。

一つは、キリスト教をわかってないってことで、一神教~?いや全然わかんないよね。例えば先日、テレビで怖い話をしていて、「婆ちゃんが神棚に買ってきた観音像を置いたんですけど」みたいな話をしていて、僕はその時点で「うわ、あかんあかんあかん」とか言うててその後は順調にその婆ちゃん怖いメに逢いましたみたいな話をしてたんですけれど。いや、神棚は神様で、観音様は仏様やろ、一緒に置いたら喧嘩するからあかんねんぞ!ってオチが分かるから僕は「あかんあかんあかん」言うてたんですけどキリスト教を信仰してる外人からするともうそれが分からんってことなの? よくわからんですわ。あとこれは嫁から聞いた話なんで合ってるのか知らないんですけど、西洋人(アメリカ人かな)は、ダサい服を着てる奴は家でも外でもダサい服を着ていて、逆に外でイケてる服を着ている奴は家の中でもイケてる服を着てるらしいですね。そういう感覚も一神教というか「神は常に見ているぞ」のノリに起因するものなんですかね。僕もそりゃあええ歳した社会人なんでソトではちゃんとした格好くらいしますよ。常に紋付袴を着てますけど、紋付袴で一輪車に乗ってますけどね、家では高校の指定ジャージを未だに履いてますよね。このソトではオシャレで、ウチではダサくていいみたいな使い分けをする日本人の感覚が外人にはあんまよくわからないらしいですね。一輪て!てなるらしいですよ。外人はウチでもソトでもジープを乗り回すってことなのでしょうか。説明する下りなのにボケを挟んだので意味わからんくなってますけどね。なーんかイメージとしては外人はあいつら常に自分のことを被写体だと思ってるんだろうなってのはどことなく合って、翻って僕を筆頭とした俺族、俺族は常にヘルメットを被ってCCDカメラで目線の先を撮影してるんだろうなってイメージ。いわゆる他人の視線を気にするってことですよね。それが俺族のイメージ。日本人全般のことは知らん。

もう一つは、いわゆるケガレと呼ばれる概念が日本にしかないってことね。これについては純国産の金玉で俺元年を宣言して純国産の股から飛び出た純国産の俺の立場から言わせてもらうと「え、ケガレの概念がないとか、そういうことあるの?」っていう話になってきますよね。ないらしいよね。まずアイツら土足で家の中ウロウロするから。ビックリだよね。外人の家、陰毛すごそう。いやもちろん土足と陰毛に因果関係はないはずですけれども、土足だと陰毛がよく落ちるとなれば渋谷の交差点とかどうなっちゃうんだよって話になりますから。トラックのタイヤが陰毛巻き込んで立ち往生しかねない勢いで皆一様に土足履いて歩いてますからね渋谷の交差点。そういう意味で因果関係はないはずなんですけれども、家で土足履くとか考えられないし陰毛すごそう。俺にこう思わせる感覚こそがケガレという概念なのでしょうねお前もそう思うよな!犬!!

犬「わん!」

僕も大抵の日本人と同じくケガレなんて言葉をそのままに用いる機会なんてそうそうあるはずもないんですが、ケガレという概念を解釈してケリをつけてる機会っていうのは枚挙に暇がないと思うんだ。例えば一番よくわからないのが、この前『ウルフ・オブ・ウォールストリート』って映画を観たんですけど、あの中で描かれてるアレなんなんだろ覚せい剤なのかな?コカインとか?とにかくよくわからないんですけれども、あそこらへんのドラッグ及び危険ドラッグ?を、どれくらいのノリで摂取してるのがよくわからんわけですよ。事実として依存症があるんでしょうけど、それをケガレに近いものなんだなと解釈して接することが当事者以外に関してはですけど日本では普通だと思うんですよ。そういう概念がないからあいつらは躊躇いがないのかなみたいなことを考えたりしつつ。ついでに言えば、「水で清める」みたいな概念が日本人に特有なものなのかどうかもよくわからん。僕すごく好きで大好きな話で、予備校の先生がしてた話なんですけれども、欧米のどこだかにホームステイに行って晩飯を終えて、皿洗って寝るかって段になった時にステイ先の外人が皿を洗剤でゴシゴシと洗った先から洗剤を水で流すこともなくそのまんまボンボンボンボン積み重ねていくんですって。で、先生も泡食って「流したほうがいいんじゃないの」って言うんだけれども「洗剤で洗ったんだからキレイになっただろう。流す意味がわからん」と返されて食い下がるをえなくて、夜中にこっそり起きて全部すすいだって話を聞いて、僕はなんかこの話が本当に大好きでなんなんだろうと思うわけですけど。あと例えば雪辱って言葉がありますけどね、「辱」を「雪ぐ」と書いて、「雪辱」ですよ。これを外人に説明するのすげえ難しそうだなとか。どう言えばいいんですかね。「雪」はsnowでしょ? 「辱」って何て言えばいいの? fuck? 「snow fuck」? どうしたもんかなと思うわけですよね。あいつらだって、「キレイな水はうまいし良い気分になる」くらいの感覚はないことはないと思うわけですよ、クリスタルガイザーとか売ってるじゃないですか。あの水がアメリカなのかヨーロッパなのか全然わからないけどね。ウンディーネとかもいるわけじゃないですか、聖水みたいな対ドラキュラの切り札もあるわけじゃないですか、「水がキレイ」ってのはあると思うんですけど無いことはないと思うんですけど。滝に打たれようとはならないんですもんね、あいつら。

そういうわけで、そこらへんの関心ごとでいうと「一神教がよくわからん」ってのと「俺らがケガレと呼ぶものがあいつらの中でどうなっててどう処理されてるのかがよくわからん」ってのが俺にとってよくわからんので、勉強しようと思います。「なんなんだよ」と思った人は文頭に戻ってください。以上です。