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柔軟な思考が難しいなら、違う思考をする「別の顔」を増やせばいい

僕はネットリテラシーが極めて低く日頃から蒸し暑い夜なんかになるとアイスケースの中で寝てなおかつ自撮りしてツイッターにアップする自己愛が強いタイプの人間なのでここでおもむろに本名を告白してしまうんですけど、僕の本名は、ビスコのカスこぼし太郎って言うんですよ。これまで28年間ほど生きてきて様々な人と出会い、別れてきたわけですが、思えば出会ってきた人と同じ数だけというと些か言いすぎにはなりますが、僕には様々なニックネームがありました。

ビスコ、こぼし太郎、ビスちゃん、ビスコボ、カス、カス太郎、ビスコカス、ビスカス、TSUTAYAビスカス、コボちゃん、カスコボ、カストロ、スコッチ、コボ太、ビッチ、スポポビッチ、ヤムー、コボッカス、ボカスカジャン、ビスコのパッケージの生気のない顔のガキ、マズい菓子、マズ菓子太郎、苺味マズ太郎……瞳を閉じて過去呼ばれてきた名前を反芻してみればセットで、そのニックネームで僕を呼んでいた友人たちの顔が次々に浮かんできます。

時たま高校の頃の友人と電話などして、今では日頃すっかり呼ばれることのないコボちゃんなんて名前で呼ばれたりすると(会社では普通にカスって呼ばれてます)、青春時代のあれやこれやが思い出されて懐かしくなるのと同時に「コボちゃんってどういうやつだっけ?」などと自分ながらに考えてしまったりするのです。しばらく喋っていると「ああ、そうだコボちゃんはこんな奴だったんだな」などと他人事のように思いながら何年振りかに話す電話越しの相手との波長が徐々に共鳴してくるのを感じ、会話がより一層弾むわけですけれども、そこで僕の口から飛び出す言葉というものはいつもの僕の口から飛び出す言葉たちとは何処か違うわけで、それでもそれは間違いなく僕の口から出た言葉なわけです。

大学の同級生と久方ぶりに飲むこととなり、「最近どうなんだよスコッチ?」なんて言われながらカルーアミルクを喉に流し込む(ビスコと合うんだこれがまた)。スコッチは仲間内では飄々とした楽天家で通っていたので「まぁボチボチだね」なんて軽愚痴を叩いていると向こうが「スコッチ、実は最近俺さ…」と職場での対人関係の悩みなんかを話し始める。僕はビスコを頬張りながら(カスがまた落ちるんだこれが)耳を傾けていると、それはほとんどそのままカスこと会社におけるビスコのカスこぼし太郎が抱えている悩みだったりする。けれども今スコッチと呼ばれている僕は飄々とした楽天家で通っているわけなので「なんだ、パピコしゃぶりの介、お前そんなことで悩んでいるのかよ。いいか、そんなことはな……」と如何にもあっけらかんとした説教を始めるわけだが、スコッチとして言葉を紡ぐビスコのカスこぼし太郎こと僕は「そうか、俺が悩んでたのはこんなに簡単な話だったのか」と、内心自分で感心していたりする。

カストロ先輩、実は最近彼女と喧嘩しちゃって……」、ビスコのカスこぼし太郎ことカストロ先輩を愛妻家と思っている後輩が喫煙所で唐突に愚痴り出す。「お前そりゃ向こうも怒るさ、女の側からしたらそんなこと言われりゃこう感じるに決まってるんだから」、大上段から講釈を垂れる僕は内心「そうか、俺も同じようなことで嫁を怒らしたことがあったけどそりゃあ怒るよな。帰ったらもう一回謝ろう」なんて思ってたりする。

「そりゃおかしい、お前の言うことはいつも大雑把すぎるんだよボカスカジャン」、十年来の付き合いになるこいつは酒の席になると結局最後はいつも俺に突っかかってきやがる。「俺の言ってることの何が間違ってるっていうんだ、いいか、もう一度よく聞け、つまりだな」、何とか相手を言い負かしてやろうと熱っぽく話しているうちに自分の中でもどんどん自分の考えていることがハッキリとしてきて、「ああ、俺はこんなことを考えていたんだな」なんて思って、今日まではちょっと自分の中でもあやふやなもんだから飲み込んでいた言葉を、明日からは少しだけ言えるようになるかもしれない。

要するに僕は行く先々で様々な名前を持っていて、対面している相手によって微妙に違う顔を見せていて、そしていつも言っていることが微妙に違う。それを八方美人だとか自分のことを棚にあげてだとか思う人もいるかもしれないけれども、どこで喋った言葉も全部俺の口から出た言葉であることに疑いの余地はなくて、それは全部嘘でも詭弁でもないのだろう。実際問題じゃあこのたった一つの身体と心で何をすりゃいいのかどうすりゃいいのかってのは、色んな考え方を踏まえたうえでのどうにも一言では言い表せないバランス感覚を信じて、一言では言い表せないからこそその身体で実践するほかないのだけれど、「じゃあどうするんだ」と問われた時にどうしても口は一つで一秒間に一つのことしか喋れないわけで、そこでいつも同じ言葉ばかり口にしていては、その口にした言葉に引っ張られて身体が意固地になってうまく動かせなくなってしまう。身体を動かす瞬間瞬間で自由に最適な選択を都度都度できるような柔軟さがあれば苦労はないのだけれども、そんなことができるスーパーマンは世の中のほんの一握りで、どうやらみんなそんなに自由にはなれないようで、実際に口にした考えたことしか実行には移せないのだ。人は言葉に縛られている。

一つの顔にはたった一つの口しかなくて、同じ顔じゃあいつも同じことをノタマウしかないのなら、それならばもう顔を増やすしかない。僕自身が埃臭い一つの考え方に留まることもできないくらい、目まぐるしく違う顔で違う言葉を紡いでいくほかない。そしてそれをやるにはどうにも僕一人じゃあ難しいようだ。僕の対面に誰かがいて、その誰かが僕の名前を呼んで、その誰かの顔を見て、誰かの言葉を聴いて、初めて僕は自分でも見たことのないような顔つきで、自分でも思いもよらなかった言葉を口にして、そうして紡いだ言葉はきっと僕の人生を面白おかしくやることに一役買ってくれるのでしょう。以上です。

 

あ、こっから余談なんですけど、そんなビスコのカスこぼし太郎こと僕の持つ数あるニックネームの中の一つにズイショさんってのがありまして、ニックネームっていうか自称なんですけども。このたびズイショさんが大阪舞洲オフっていうのに参加することになってまして、今参加者募集中なんですよ。

日時と場所と参加費だけザックリ決まってて、内容は決まってないです。むしろ半分くらいまでしか決めない予定です。なんかライトニング・トーク?とかダルいじゃん?傍聴者の顔とか日頃やり飽きてるしわざわざオフ会でする必要ねえじゃん?みたいな。そういうわけで特に誰が仕切って誰が講釈を垂れるとかでもなく、なーんか話したいことを各自持ち寄って自由にくっちゃべるみたいなそういう流れになりそうです。何の話すっぺかみたいな話も当日まで掲示板かなんかでダラダラくっちゃべって「うわ、こいつこの話したそー」とか確認しあいながら、当日蓋開けてみたらどんな顔で鉢合わせてどんな話になるだろうかね、みたいな。もちろん聴くだけでいいやって人はそういう顔で来てくれればOKです。人生が変わるほどの出会いなんて生きてて早々あるわきゃねーですけど、ブログなんて袖振り合う縁もなければ会うこともなかっただろう得体のしれない人たちと顔でも合わせて喋ってみれば、あー俺こんな顔するんだ、あー俺こんなこと言うんだ、ってことの一つや二つくらいはあるかもしれんでしょ。それで十分でしょ。みたいな。そういう緩い感じで。とりあえずお喋りだけは存分にできるように取り繕う予定ですので、興味のある人ございましたら、どうぞご検討ください。

あ、なんかとりあえず10月10日(金)で締め切るらしいです。


以上です。