←ズイショ→

ズイショさんのブログはズイショさんの人生のズイショで更新されます!

「貴方が心配」って要するに「私が不安」って言ってるんだよね

「心配」というマジックワードでエゴを押し付けてくる人たち - インターネットの備忘録

読んで思ったことを書きます。思っただけでそこまで実践できてる自信はない。

「貴方のことが心配だ」というフレーズがエゴイスティックに機能するシーンってのは「だから、貴方の行動とか振る舞いとかを改めなさい」がセットで続く瞬間なんだろうなと思った。

というのも「心配」というと何だか思いやりがあって調子が良い言い回しなんだろうけれどもこれって言い換えればつまり「貴方の行動や振る舞いによって私は不安である」ということに過ぎない。実は「心配」を発語する貴方がどうこうしたいのは彼や彼女の行動や振る舞いなどではなく、単に貴方は貴方の「不安」を取り除きたいだけなのである。もちろん彼や彼女が行動や振る舞いを改めることが結果的に貴方の「不安」を取り除くことにつながるというケースは往々にしてあるが、それはあくまで「不安」を取り除く方法の一つに過ぎない。数多ある方法の中からそのただ一つの方法を押し付けた瞬間、「心配」はエゴになるんじゃないのかなぁ。例えば彼や彼女が貴方の「不安」を打ち消す材料を次々に提示することによっても貴方の本来的な問題である「不安」を取り除くことは可能なはずだ。そして貴方の「不安」を打ち消すための共同作業を、貴方と彼や彼女が丁寧に行ってもなお「不安」を打ち消すのが難しかった場合には、彼や彼女は自ずから行動や振る舞いを改めるか/貴方と決別するかのいずれかを選ぶことになるでしょう。僕はそれはとても健康的なことだと思うのだけれども、そういうプロセスを億劫がった瞬間、人は「心配」を理由に人の行動や振る舞いを直接的に咎めてしまうのではないかなと思う。

ここからは余談。

そもそもこれ読んでなんか書こうかなぁと思ったのは、俺あんま人のこと心配しないなーと思って。そりゃあ俺だって下犬歯が唇より手前に描かれる勢いで伸びてるような鬼みたいな人間ではないので、人によっちゃあ「心配だ」と言い表すような気分になることだってある。でもそれを「心配だ」と言っちゃあお仕舞いだって気もする。「心配だ」とも言えちゃいそうな気分を僕は日頃どう言い表してるだろうか。「お前がそれでは俺にとって面倒だ」「お前がそうなると俺はつまらない」「そんなお前とうまくやるのはちょっと俺には難しい」、まぁ俺はいつだって俺の話しかできません。それで良いと思うし、「一緒に考えよう!」つって、安易に俺と貴方が「一緒」とかいう一つのよくわからない何かになってしまう方がよっぽど気持ち悪いし危なっかしいと思う。それならば俺は俺として、貴方は貴方として、俺と貴方の間に揺蕩う何かを整理しあう方が随分マシなんじゃねぇかなぁ。