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『キスまでいける』雑感

ザ・クロマニヨンズ 『キスまでいける』 - YouTube

僕にとって永遠の「近所にいる一回り上のすげえかっこいい兄ちゃん」こと甲本ヒロトの新曲が発表されてました。いつものように深い感銘を受けたのでめちゃめちゃ気持ち悪い文章を書きます。読まないでください。

相変わらず少なくとも俺にとっては恐ろしく深く感じられる歌詞世界。クロマニヨンズになってからますますなお一層「ポジティブでもネガティブでもなくただただ純粋にすべてを肯定する」感じに磨きがかかってきたなぁと感じる。もうわけがわからない。どのような思考を経ればこういう言葉の紡ぎ方ができるのか俺には皆目見当がつかない。しかしその言葉から逆算して彼の思想を追いかけることはできる。それをどれだけ深いレベルでやったところで彼のような言葉の紡ぎ方が出来るようにはないのだけれどもそれで問題ない、僕が中学生の頃からずっとやっているライフワークだ。

依怙贔屓というか単純に年季入ってるから俺はもうヒロトに関しては普通の人(普通に甲本ヒロトにあまり関心がない人)にはどういう風に見えるのかを常識的に想像する能力が全く欠如されてしまってるんですけど。普通に見てこれってすごいのかな、すごくないのかな。もうまるで全然わからん。とりあえず俺にとってはすごい。「俺の目はまだまだ曇っちゃいないぜ」みたいな台詞があるけれど俺は逆で好きなものに関してでいえば「もうこの件に関しては俺の目は完全に節穴だ」って言えちゃうくらいまで好きになれた方が嬉しい。これはこれでなかなかなれないから。だってね、見てよ「誰かが笑って 僕らは走った」、主語は「誰か」と「僕ら」で形としても対句法には一応なってるんだけど「笑った」と「走った」だよ、この二つを対句法の中で並べようってなるには何をどういう風にどういう順序で考えれば並べようって結論に辿り着くのかよくわからない、よくわからないが兎に角完璧だ。「悪魔さえもう見えない暗闇」も一度こうやって提示されてしまえばうまい表現だなってなってしまうけれども、なかなか辿り着けるもんじゃない、ああ、あの僕が逃げ出してごまかして何とかやっていたアレは「悪魔さえもう見えない暗闇」だったんだって思うし、そこをヒロトは逃げずに向き合い続けたから「悪魔さえもう見えない暗闇」という表現に辿り着いたのだなと思う。気分の在り様をどう言い表そうかと考える時、大袈裟と的確は意外と紙一重だ。ヒロトのなんつーかわかんないけど暗い部分、孤独というやつは全然逃げ切れるもんじゃないけれども孤独はそれほど悪いもんじゃない、いや悪いんだけど、たまに死にそうになるほど辛いんだけど、でも孤独はあるんだから、辛さを脱するために「孤独はない」とか「孤独は解決できる」なんて簡単に言ってはいけないんだ、みたいななんかそういうようなやつがヒロトにはあるよなーと思ってハイロウズの『ナンバーワン』とか『サンダーロード』、クロマニヨンズの『スピードとナイフ』とか『雷雨決行』なんかがそこらへん顕著だよなーとか思うんだけど、『炎』を最初に聴いたところで「あれ、決着がついたのかな?」なんて少し思ってたんだけど今回これ聴いて「あ、やっぱ全然決着ついてないわ」てなったけど、ごめんこれは言葉が足りないもんでとりあえず決着ついたついてないって言ってるんだけどほんとは不適切で決着はついてるとも言えるしついてないとも言えるし永遠につかないとも言えるしそう思ってるんだけど、まぁなんつーか「一つの形」がたくさんあるんだと思う、『恋のダイナマイトダンス』の歌詞に「心はまるで帽子 毎日どれか一つ」なんて下りがあったけどまさにそういうことで心や気分は毎日変わるんだから決着なんてつける必要はない、その日の気分気分によってそれぞれしっくりくる「一つの形」があって、その日の気分に合う帽子を毎日毎日色々被ればいいのだ、なるほど最近マイブーム終わったけれども一時期僕が口癖のように言いまくっていた僕らはたった一本の時間の矢に跨り口は一つだけ一秒間に一つのことしか喋れない、というやつを僕はどちらかと言えば悲観的なニュアンスで口走っていたのだけれども、それをポジティブに言い換えれば心はまるで帽子ってことになるのかもしれない。それはそれでわかるんだけれども、それでもやっぱり僕は帽子は毎日どれか一つだけで本当はもっとたくさんの帽子を持っているのにそのすべてを貴方に同時に見せてあげたいのにそれが出来ないから傷つけあうことが割と本当に残念だと感じる瞬間があったりする。心が毎日どれか一つなのは、それはやっぱり心が一つしかないからだ僕の心はいつだって一つぼっちだから、こういう問題が発生するわけで、だからやっぱり僕の心も誰の心も、寂しいのだろうと思った。

「信じられない事が 起こってしまうのは 世界中誰も 信じられなかったから」歌詞にも登場する『翼よ あれがパリの灯だ』はリンドバーグっていう世界で初めて大西洋を飛行機で横断した兄ちゃんを描いた映画のタイトルだなんだけど、これまでもヒロトの歌詞には「世界で初めて成し遂げた人」がよく出てくる。分かりやすいところでは『バームクーヘン』とか。あ、やっべ、僕っていっつも構成とか何も考えずにテキトーに文章書いて「次俺の指なに書くのかなー」くらいのノリで白目剥いて書いてるんですけどヤバいです、ここまでこんなに頑張ってきたのに俺の指が書こうとする次の一文、すっげえありきたりです。何でおれはこんなにつまらないのか、本当にガッカリです。たぶんヒロトが明日の自分の気分も分からんし他人の明日の気分なんてもっと分からないのに絶対に信じているのはきっと人間の可能性なんですね。自分が他人が何考えてるのかなんか分かりっこないし思い通りになんてなるわけないしそもそもそんなこと望んでもないし、それでも人間ってのは「やるやつだ」って信じてるんだ。『翼よ あれがパリの灯だ』の終盤でリンドバーグ30時間くらい飛んでるからめっちゃ眠いんだけどそのうえエンジントラブルまで起こっちゃって墜ちるんちゃうか死ぬんちゃうかみたいなピンチに陥って「God help me!」って叫ぶのね、でもリンドバーグってもともと宗教に熱心なわけではないのよ、神父さんに「あいつ当てになんねえから」とか言ってたりするのね、じゃあリンドバーグもう死ぬかどうかのキワッキワでもう他に頼れるものもないから観念して神にすがったのか神に叫んだのかっていうと俺はそうは思わないのね。じゃあ何なんだって時に思ったんが、『雷雨決行』に「夢が俺たちを見張ってる」ってフレーズがありまして、俺いまいちこれがピンとこなくて、「夢ねえ」なんて思ってたんだけど、もしかするとリンドバーグが「God help me!」って叫んだ相手の誰かと、このヒロトが「見張ってる」とした誰か、たぶんこれは同じ奴なんじゃねえかなと思ったんだな。それを神と呼ぶ時もあれば、夢と呼ぶ時もあれば、ロックンロールと呼ぶ時もあるのだろう。

てな感じで、どうにも昔からしつこいくらいに夢が夢がと叫んでいたヒロトの夢って結局何のことを言っているのだろうかということがやっとこさ僕の中でボンヤリと輪郭が見えてきた。あの時ああ言ってたのはこういうことだったんだなってのはいつだって少し遅れてやってくる。そんな感じでもう15年とかヒロトの歌を聴いている。そこらへんこそが永遠の近所にいる一回り上のすげえかっこいい兄ちゃんが永遠の近所にいる一回り上のすげえかっこいい兄ちゃんたる所以です。すげえ尻切れトンボなんですけれども、ここで無理に結論を急いだところでどうせ明日になればまた違うように感じるだろうからそんなことする必要はないわけで、本当は誰の言葉だって誰の顔だってそれくらいのもんに考えて、とりあえずやっていきながら時にはやってやればそれでいいのだろうみたいな、今はなんかそんな気分です。以上です。

 

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