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妖怪ウォッチで思い出した、子ども騙しに子ども騙されてた甘苦い記憶

じゃあちょっと、これ伝わるんかめっちゃ怪しい話しますね。

セクシーコマンドー外伝 すごいよ!!マサルさん』って漫画の中で主人公のマサルが学校机の上でまんぐり返しのポーズで寝てたら突然「モンテスキュー!」って叫んで「夢か……」って残念がるシーンがありまして、当時小学生の僕は「なんだよそれ!意味わかんねぇ!(笑)」って大爆笑してたんですけど、これ僕は完全に語感と勢いだけで笑ってただけで中学生になってモンテスキューっていう三権分立の概念を考案したおっさんがどうも過去にいたらしいぞって話を初めて知りまして、初めてそれを知った時に何だか恥ずかしいというかもどかしいというか、なんか内心サーッと青ざめちゃいまして、モンテスキューっていうおっさんが実際に過去存在していたのなら夢の中にモンテスキューが出てきて二人でシーソーの両端に跨ってなんか三権分立の話なんかをしてたら「ありがとう」って寂しそうに笑ったモンテスキューがスーッと消えてしまいそうなところで目が覚めて「モンテスキュー!」って叫んじゃうのって別にあるんじゃないかなと思って、そういう夢全然見うるなと思って。種が割れてしまえば面白くも何ともないとまで言うつもりは全然ないしたぶん当時あれ読んだモンテスキューについて既知の中学生高校生大学生も大爆笑してたと思うんでそれは別にいいと思うんだけど、少なくとも「なんだよそれ!意味わかんねぇよ!(笑)」って笑ってた僕に関して言えばそこまで意味わかんなくはないだろ単にお前が無知だっただけじゃないかみたいなことを思って、当時「わからない」ことを笑っていた自分がちょっと恥ずかしくなってしまったんですよね。たぶん、基本はこれと同じ話になるのかなぁと思いますので、この段落のこの感じがわかんない人はもうこの後ぜんぶこいつ何言ってるのかわかんない可能性全然あります。

盆なんで帰省してたんですけど、「じーちゃ~~ん参りに来たやで~~」つって帰省してたんですけど、甥が持ってましたよ例のアレ、妖怪メダル。僕、実はけっこうな田舎の家系の生まれでして親戚の中には隣の家が何km先みたいな山奥に住んでる人なんかもいたりするんですけど、そこの甥まで夢中なんだからこれはすごいぞ妖怪ウォッチと思って、コンプしてるやん!と思って。妖怪メダルをコンプしたい子どもを全国にコンプしてるやん妖怪ウォッチ!と思って、もうその親戚の住む土地なんて流行来るのたぶん一番最後の方だよってくらい田舎だから、星のカービィスーパーデラックスの洞窟大作戦でいうと○○にあたるくらいの田舎だから、あそこに浸透してるんだったらたぶん日本全国津々浦々古今東西万遍なく流行ってるんじゃねえかなと思うんでやっぱすごいんだな妖怪ウォッチと思って、しかも妖怪ウォッチの半端ない流行り具合を言うのに持ち出した喩えが星のカービィスーパーデラックスとかいう20年近く前のゲームで洞窟大作戦を普通に初回プレイしてたらよくわからんけど一番最後にゲットするアイテムみんな同じになるあるあるなうえに肝心のアイテムの名前がいくら記憶を掘り起こそうとしても全然出てこないってことで、もう俺もおっさんだなと思ってるわけですけど。まぁそういうわけで普段子どもと接する機会なんてないもんで流行ってることにすらぶっちゃけ半信半疑だった妖怪ウォッチに子どもたちがどれだけ熱狂しているのかを肌で感じる良い機会だと思って、来年から小学生に通う小僧のレクチャーがっつり受けてきましたよ、大人の社会見学です。

で、ここでまぁネットで聞きかじれてるような話をなぞって「いや~よく出来てはるコンテンツですわ~」なんて話を僕がしても仕方ないかなと思うんですけど、まぁすげーよく出来てるなーとは思ったんですけど、すげえ引っかかったのが妖怪ウォッチのパロり方というか、元ネタからの距離感というか飛躍力が思ったよりすごいな、って話で。たぶんそれはそれでそういうパロり方飛躍の仕方が大人にも「なるへそ」と思われる一因だとは思うんですけど、大人なら当たり前のように知ってる元ネタをうまいこと子ども向け妖怪ウォッチの世界観に当て込んでてそれはそれで上手だなって感心はするんですけど、それを一次ソースとして受け取っちゃう子どもからするとそれって後々どうなんだろうかみたいなことを考えちゃいまして。例えば、(ごめん、詳細間違ってるかもしれないんですけど)見つけた妖怪がどんどん登録されていく図鑑の名前がウキウキペディアで、どこにどんな妖怪が出現するか分かる地図の名前がグールグルマップなんですよ、大人ならニヤリ、というほどでもないですけどまぁなるへそなってなるじゃないですか。でもこれ子どもたちからするとwikipediaの存在もgoogleマップの存在も知らないまんま、ウキウキペディアとグールグルマップを受け入れてるわけじゃないですか、単純にダジャレをダジャレと知らずに受け入れるのってめっちゃ恥ずかしくないですか? ここらへんはまぁ全然いいんですけど、妖怪ウォッチを発明した妖怪が、スティーブ・ジョーズっていう黒いタートルネックを着たサメやったりするんですよ。子ども、ジョブズ知らんやろ、もっと言えばジョーズも知らんやろ、ていう。それらを知らんままにスティーブ・ジョーズを一次ソースとして知ることってどうなんやろなーていう、「いや、どうもせんやろ」って言われたらそれまでの話なんですけど。

なんつーんすかね、ジバニャンっていうピカチュウ的なポジションの妖怪がいるんすけど、腹巻しててね、夢が世界一の大剣豪で声優が確か中井和哉だったかな……?まぁなんかそういう妖怪がいまして、たぶんそいつの進化系だと思うんですけど小僧が「これふぁサファイニャンで、これがトパニャンだよ」って教えてくれるんですけど、「もしかしてダイヤニャンもいるの?」って聞いたら「貴様なぜそれを!?」みたいなリアクションをするわけですよ、妖怪ウォッチのヨの字も知らないおっさんに俺が妖怪ウォッチのいろはを叩きこんでやるぜみたいな感じで意気揚々とムック本開いて説明してくれてた小僧からすると何も知らなかったはずのおっさんがダイヤニャンのことだけはなぜ知ってるのかよくわからんわけですよ、つまり一次ソースとして脳に知識を積むのってそういうことだと思うんですよね。いや、書いてて自分でもどういうことなんか半分くらいわかってないですけれども。ムリカベっていう妖怪がいるらしくて、こいつに取り憑かれると友達の嬉しい誘いにも「無理ー!」って言っちゃって険悪になる悪い妖怪なんですけど、友達と仲良くしようっていうスローガンを啓蒙するには大変有意義な妖怪だと思うんですけど、もうほとんど名前を借りてるだけでぬりかべ要素がゼロになってるわけじゃないですか、ただのダジャレじゃないですか。ほんで、ムリカベの倒し方について熱弁する小僧にそれとなく聞いてみたところ、元ネタであるぬりかべの存在についてはそもそも知らないっぽい様子なわけですね。ここで僕が言いたいの、別に水木しげる先生のヌリカベに敬意を払えとかそういうジジ臭いことではないんですよ、ダジャレとかしょーもないんじゃボケって話でもなくて、ただただ純粋に妖怪ウォッチに夢中だった子どもが年をとって色んな知識を蓄えてった時に本来のぬりかべの存在を知った時、かつて大好きだった(いやそんなムリカベ好かれるキャラなんか知らんけど)ムリカベを自分の記憶の中にどういう風に位置づけるんだろうっていう興味というか、まぁ興味の話なんですよね。人面犬っていうかつて一世を風靡した都市伝説を知らずに、それより先にイケメン犬っていう顔がイケメンの犬を受け入れてしまった子どもというやつは、本来の人面犬の存在を知った時にどう処理をつけるんだろうみたいなことを思うわけですよ。すごい極端な例を出せば、サザエボン以外のキャラクターに関する情報を全部遮断して、8歳くらいまでサザエボンに囲んで育てて、そんなうまくいくんか分からんけどその子どももサザエボンすげえ大好きになって、9歳の誕生日に「実はサザエさんバカボンっていうみんな大好きな国民的キャラクターがおってな、それを組み合わせたのがサザエボンやねん」って教えてやったらその子どもそこそこグレるんちゃうかな、みたいなね。

「いや、別に普通に受け入れるんじゃないの?」って言われたら、まぁお前は普通に受け入れるんだろうなとしか言えないんですけど、なーんかここんところがすごいモヤモヤーってしてまいまして、例えば僕が子どもの頃にロックマンをプレイしてたとするわけじゃないですか、炎は氷を溶かすから氷を操るボスは炎の技が弱点なんだ、とか重力ひいてはブラックホールを操るボスは闇属性だから光の武器が良く効くんだとか、ある程度は理に適ってるわけじゃないですか。なので事象事象の力関係の実際のところに触れる前にロックマンを一次ソースとして仕入れてしまった僕としては、「ある程度ロックマンの弱点武器の関係はある程度は現実に即してる」みたいな感覚があるわけで、そういう心構えでやってると鼻がドリルのサイを倒すとドリルを射出できるようになるんですけど、それが電気を操るナマズにめっちゃ効くのね、なんで……?みたいな。なんで……?って思うと同時にそれでも「電気はドリルに弱い」っていう間違った知識だけちょっと俺の記憶にこびりついてるのね、なんかあの感じ。『地獄先生ぬ~べ~』が子どもの頃好きでね、コミックスには妖怪の元ネタ解説なんかもついてて僕あのコーナーすごい好きだったんですけど、ぬ~べ~に登場する妖怪はある程度出典があるぞっていう前提で読んでて「へぇこんな妖怪もいるんだ」と思って読んでるんだけど、たまに完全に作者が思いつきで考えたオリジナルの心霊エピソードが出てきたりするの。やっぱそれが出典ない作者のオリジナルって気づくまでには何しかタイムラグが発生するのね、そこでなーんか心のどこかに残る「なんか大人に騙された感」ね。別にそれが自分の中で全然許せる時もあって、そこの境目ってなんなんだろうかって考えたらよくわかんないから、喋ってるこっちも弱っちゃうところではあるんですけど、子どもの頃に触れた色んなコンテンツのことを思い返すに、俺は、ところどころ「俺はあの頃、子どもだましにすげえ子どもだまされてたな」っていう記憶、俺をひねくれさせるような記憶として固定化されてるようなものがあって、それはそれで完全に今の俺を形作る一要素なんだけど素直に感謝できねーなーみたいなそういうコンテンツってみんなないもんなんですかね。もし俺が今五歳で妖怪ウォッチにドハマリしてたとしたら、もし俺だったら将来そういう「俺子どもだまされてたわ、大人に良いように踊らされてたわ」的な記憶の筆頭になりそうだなーみたいなことを小僧の解説を聞きながら思ったのであった。

だからこれを以て妖怪ウォッチあかんわ、元ネタ崩しすぎやわ、ダジャレしょーもない、とかそういう話じゃなくてね、向こう数年考えた時に「騙された感」が発生しやすそうだなーと思って、そういうコンテンツにとんでもない人数がハマってるわけでしょ、少数ではあるかもしれないけれども十年後とかそれくらいに「なんやったんや妖怪ウォッチ」って話題を現在ちびっこ後の2ちゃんねらーがしてくれるわけじゃないですか、それが今から楽しみ、みたいなそういう話。「なんで俺こんなんコミックスで集めてたんや」みたいな話をやるとすげー面白いわけですよ、『オーマイコンブ』とか『学級王ヤマザキ』とか持ち寄って読み返せば「つまんねーな」って言いながら大爆笑できて、今読んだら本当につまんなくてこんなもんでゲラゲラ笑ってたの恥ずかしいんだけど、当時笑ってたのは事実なんだから仕方ないんだけれども、なんかむかつく、愛おしいか愛おしくないかで言うと愛おしいんだけどどうにも腑に落ちない、みたいな。なんかそういうのあるじゃん。いや、子どもの頃から今まで変わらずずっと仮面ライダー大好きな人に「それはお前がひねくれてるだけだろ」って言われたら何も言い返せないんだけども、とりあえずまー妖怪ウォッチはそういうジャンルにおいても次世代のエースになりそうだなーと俺は感じたし、なぜなら俺がおもしれーから、実際にそうなってくれねえかなぁみたいな、そういうことを考えました。以上です。