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どうせなら俺は俺の好き嫌いで人を嫌いたいし嫌われる際にもそういう基準で嫌われたい

いつもこのブログをご覧頂いてる方はご存知かなと思うんですけど、とりあえずズイショさんやたらめったら性格が悪い。どっちかっていうと滅多矢鱈に性格が悪い。君やあいつや貴方の悪いところを数え始めると両の指じゃ足りなくて眠れなくなる。視界に入るものすべてに平等に唾を吐き掛けたい一心で梅干とにらめっこする毎日だ。前門の虎、後門の狼がいたとするならばとりあえずどっちに唾を吐きかけてやろうかと右視界の端にいた兎の首根っこふん掴まえて肉球をデコピンで優しく弾く毎日だ。え、兎って肉球あるの?知らない。どうにもこうにもこの糞捻じ曲がった性格を辞めることはどうやら難しいようで、一応リセットボタンのようなものは目をすんごいグググーッと閉じて眼球をグググーッって圧迫してそれがピークに達するとなんか瞼の裏にボヤッと光が見えて「光見えたっ!」てなった瞬間、閉じきった瞼の裏の左視界の端に何やらそれらしいリセットボタンが見えることもあるけれども、その赤いボタンがリセットボタンであるらしいことは何となく直感でわかるもののどの程度リセットするのかがイマイチ判然としない。理想は、理想で言えばそりゃあ俺のイヤなところだけリセットしてくれるボタンなら最高だ。良いところは残して他のところだけリセットしてくれるならばそんな素晴らしいことはない、最高だ。けど、そういう部分まるまるリセットされた俺って何なのみたいな話になってくるじゃないですか、そこで消去されない俺の部分って何なのよ、そんな俺を思い当たらない俺こと僕です。そのボタン押した瞬間にさ、いかにもセル画な解像度の低い煙がブワンと立ち込めてさ、やっとこさ煙が晴れたと思ったらそこで俺が声帯を切除されたチワワになってたらどうするよ。犬なってんじゃんよみたいな、俺が俺の考える人間らしさみたいな部分って漏れなく糞だったんだ、本当に性格が悪いどうしようもない部分だけが俺の俺にとっての人間味で、悪いところ除去したら俺は人間じゃなく犬なんだ、そのうえ吠えることすら許されない愛玩動物に成り下がって、俺はこれからの人生、人間様にかわいがられるか舌を出して体内の熱を逃がすかの二つ以外特にすることがないのかみたいなそういうことを考えると大変辛くなるよね。俺からイヤなところを引くと、俺はチワワだ!わおーんすら言えないチワワなのだ!!

とそういう風に考えるとチワワなんぞに堕ちるわけにはいかない。犬畜生になるにしたってチワワはあんまりだ。給食も食べ終えてみんなうつらうつらしている五時間目の校庭グラウンドをウロウロするにしたって、チワワじゃあんまりだ。俺の記憶によると、そういうとことに出くわすのは大抵柴犬だったよね。少なくとも柴犬っぽかった。秋田犬かもしれないし、あと北海道にはアイヌ犬なんて犬種もいたね。とりあえずグラウンドを悠々闊歩するのはその手の耳が天をピンとつく、そういう犬だった。小躍りするように闊歩してそれがサマになる、そんな犬ばかりだった。つまりチワワなりうる俺はそういう立派な悠々さ昇り立つそういうお犬様にはなりえないわけで、じゃあチワワになるのなんかごめんで今のまま何とかやりくりしましょうか、人間として明日も土踏まずは土を踏まないままに生きていきましょうかとしか思えないわけです。そこから逆算するに僕は、犬化するならばその際には浄化されるであろう何かしらを「俺」として取り入れなくてはならないわけです。ハンディをバネとして帳尻合わせざるをえないわけです。バネにしなくちゃならない部分がすごい。俺から声帯を切除されたチワワ分を引いて残った部分、そこが俺の糞的要素であり、俺のバネです。ほぼバネやん。ロックマンシリーズで言えばスライディングでほぼほぼ攻略できる動き方しかしない俺こと僕です。スプリングマンです。

古谷実の漫画だったかな、何かのセリフで「おっぱいを揉んで、幸せを感じる。こんな幸せなことなんてない」みたいな下りがあって、俺は「ほんとそうだよなぁ」と思ったし「くっそ先に言われた俺だってそう思ってたし糞が」とも思った。俺が俺なのかチワワなのかスプリングマンなのかは割りとどうでもいいのだけれども、俺をアレだソレだと言う貴方が、貴方じゃない場合に大変俺は気に食わない。

書いてるこっちとしては今めっちゃクライマックスなのだけれども、読んでいる貴方の体感は知らない。僕のチワワじゃない部分、こそが俺なんだろうなぁと俺は思うわけですけど、そういう部分こそを俺を俺糞たらしめる部分、人間じゃない部分と罵る部分。を地球の中で担当している人たちがたくさんいる。彼らは、何なんだろう、たまたま受かったんだろうね、取り締まる側の採用試験に。自分の中の好き嫌いと、社会規範のようなものがたまたま一致したので「社会規範に背くからダメだ」と言う理由で、自身の善悪・好悪に齟齬が生まれることもなく伸び伸びとやってるんだろうなと思うんだけども、チワワとしてはねキャインキャインと尻尾はね、人と喋る時振れちゃうんだ常に。キャインキャイン申し上げるならば、少なくともその貴方がダシにしているそれらはね、貴方を肯定するためにあるのではなく、ただたまたまそこにあっただけで貴方が生まれながらに備えた好悪と相性がよかっただけに過ぎないのだ、だからそれを味方と思うのは余り上等な道筋ではないよ、と。

そこで掲題に戻るわけですけど、まーみんな忙しいから、自主的に自力で判断して人を嫌うのめんどくさいから大変だよなーとかは思います。以上です。