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ぶっちゃけ鼻でカブトムシ飼ってる社会人を軽蔑している

基本的に身だしなみは個人の自由だろうし彼らを攻撃したいとか禁止にして欲しいという意図はないのだが、あくまで私の個人的な意見を率直に述べたい。

私はぶっちゃけ鼻でカブトムシ飼ってる社会人を軽蔑している。

先日同僚との酒の席で鼻でカブトムシを飼ってる社会人の話になった。現在私が勤めている会社にもそういう上司が一人いるのだが(ちなみにその人か飼っているのは日本でも最もオーッソドックスなヤマトカブトだ)、その上司は説教が長い。しかもその説教は取り立てて内容があるわけでも順序立てがあり論理的であるわけでもなく、ただ同じことの繰り返しであることがほとんどだ。

つまりこの上司は何か目的があって説教をするのではなくみんなの前で説教をして自分の優位を見せつけたいから説教をしているだけなのだ。このような屈折したプライドの高さは鼻でカブトムシを飼っている男性に共通して見られる特徴だ。

本人はそうして鼻でカブトムシを飼い、説教を繰り返しすことで自尊心を増長できるのかもしれないがそれに巻き込まれたこちら側は堪ったものではない。いつ終わるともわからぬ説教、下手に視線を外すのも相手の神経を逆撫でするかもしれないのでできないのだがその鼻にはカブトムシ、まったく人を馬鹿にしているとしか思えない。一度羽を開いて閉じた時に内側の羽がうまく畳めず外側の硬い羽の隙間から半透明の内側の羽がピロッと飛び出ている状態になっている時は殺意すら覚える。

このような例に限らず、私の知る限り鼻でカブトムシ飼ってるタイプの人間は特に目下の人間への攻撃性が高くそれは自身では維持できない低い自尊心を補いたい裏返しの行動だ。

カブトムシのカブトとはそもそも戦国時代の武将の絢爛豪華なカブトから連想してこのような名前になったわけなので、彼らのような自分を強く見せたい人間が鼻でカブトムシを飼おうとするのはむしろ自然なことなのかもしれない。しかし一方で戦国武将たちは兜で相手を威嚇しながらも実際に敵方を打ち倒すために身体を鍛えたり戦い方を勉強したりなどの努力をしてたはずだ。果たして鼻でカブトムシ飼ってる社会人はそれだけの努力をしているのだろうか?私の知る限りではそんな人間は見たことがない。

日々の生活の質や張り合いというものを大事にするのであれば、一定の自分を認められる感覚が必要だということに異論はない。しかしその感覚を手に入れる方法に良し悪しがあると考えるのはそんなに悪いことだろうか?

そういうわけで私は鼻でカブトムシ飼ってる社会人を心から軽蔑している。

朝わざわざ早く起きて鼻の頭に樹液を塗って出勤前に森に佇むくらいなら資格の勉強でもしたほうがよっぽど有意義だろう。もちろん彼らがそうしたいのであればそうすればいいだけの話なのだが、僕にはやはり理解できない。より効率的に優先度を考えながら生きていくことが重要視される現代において、鼻でカブトムシを飼う社会人が他人にどう見られるのか少し考えればわかることだ。

この件に限らず、自分の中でそれを正解だと思い込むあまりそれをしたら他人にどう思われるかまで頭を回すことができず迷走している例は枚挙に暇が無い。もしかすると自分も知らず知らずのうちにそうなってしまうかもしれないと思い、今回は自戒を込めて鼻でカブトムシを飼う社会人について思うところをエントリにしてみた。僕個人の意見であり他意はないのだが、このエントリがみなさんの自分の考え方を見なおす機会の一助になれば幸いだ。