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花子とアン見てます

嫁が世界名作劇場的なもの大好きだった影響もありまして遂に我が家にも朝ドラ文化がやってきましたよ! あまちゃんごちそうさんもスルーしてたのにとうとうやってきました。そもそも僕は能年ちゃんがもともと超かわいいなと思ってて、いやみんな思ってたんでしょうけど「カルピスウォーターの女の子バリ糞かわいい。いや、うんこ食いたいとかそういう意味じゃなくてバリ糞っていうのは鬼みたいなそういう強調の意味しかないから」とかそういうことをしばらく言い続けるつもりでいたのにあまちゃんがあんなに大ブレイクしてしまって今更「能年ちゃんかわいい」なんてとてもとても言うも憚れるムードが何時の間にやら出来上がってしまっていてそのうえ俺はあまちゃん見てないからね。俺はカルピスウォーターの、主にポスターで静止画の能年ちゃんがかわいいと思ってんのに「能年ちゃんかわいい」なんて口にしようものならあまちゃんの話になるに決まってるじゃないですか、別にしたくないんですよそんな話は。そんなわけで朝ドラ見てないのに朝ドラの影響で振る舞いを制限されてとこれまでとばっちりしか受けてきませんでしたので、少しくらい恩恵受けてもいいんじゃないのかってことで今回たぶん15年以上ぶりくらいに朝ドラを欠かさず見てるのが今やってます花子とアンになります。

赤毛のアン」を日本で最初に翻訳した何とか花子さんという実在する女性の半生を脚色加えてお送りするような内容になるんですけど、まぁ俺は赤毛のアン読んでないんでよくわからないんですけど嫁の聴いたところによると黒板でボイーイフレンドの頭を殴ったりとか間違えてお酒を飲ませちゃって吸ったもんだがあったりだとか赤毛のアンの作中にあるエピソードをパロったようなエピソードが挟み込まれてたりとか何だか愉快で楽しいとのことです。主役は日本が誇る次世代の憑依女優・吉高由里子、なんだかいつも途轍もないパフォーマンスを発揮していて前もブログで言ってた気がするけど美丘っていう糞脚本のドラマでみんな棒演技してる中、糞みたいな陳腐なセリフをすごい生々しい質感で発声しててなんじゃこりゃこいつは何なの人間を越えた人間より人間らしいアンドロイド役なの? と疑うレベルの良い女優さんです。この人たぶん演技で必要であれば生理とか止めれるタイプの人だと思う。まーここが安定してるので上手だしかわいいしすげぇ見やすいです。話の内容もまぁ今のところ特に腹立つところもなく楽しく進行しています。でもあれだ、思ったのは、子供の頃から朝ドラって割とそんなに好きじゃなくて、お母さんとか大体朝ドラ好きだったりすると思うんですけど、やっぱ朝ドラは元気な女の子が逆境を撥ね退けて頑張るんだみたいな話が多いので貧乏で不自由する女の子とかが割りと起用されがちなんですね。子供ながらにそういう話をテレビで見るにつけお母さんとかお父さんが言うわけですよ「ほら、お前こんな風に大変な子供もおるんやで」とか言うわけですよ。今はもうええ大人だし、そこらへんについて大なり小なりありますけれども一応マトモの範疇の人間に育ってそれは親のお陰もそりゃああるわいねと思えますけど、当時はやっぱそういうの言われるとちょっと居心地が悪かった、どうにもケツが落ち着かないみたいなところがあったな、っていうのを、花子も例に漏れず貧乏の出なんですけどそういう描写見てるとそんなこと思い出したりしたんで、「あ、やっぱ今でもそういうのむず痒いし居心地悪いんだ」っていうのはちょっと自分の中で発見した感じで面白かったですね。まーここらへんの話は、今度は別に運が良けりゃあ俺が親にだってなりかねないような状況には陥ってるわけで、当事者としての立ち位置はどんどんズレて行きながらも死ぬまで考えていくほかない問題なんだろうと思って諦めてますけどね。

テレビもドラマもアニメも嫌いじゃなくてちょろちょろ色々見てはいますけど、朝ドラ自体はやっぱりだいぶご無沙汰で、月~土の間、毎日15分ずつって形態は慣れてないのでやっぱり面白いですね。たかだか15分の間に山場なり引きなりをしっかり用意してそれが六話続いて一まとまりになるっていう形式は大変っちゃ大変なんでしょうけどこれはこれですげー見やすいし面白い。がっつり半生記やりますよーってていがあるから出来る芸当なのかなとも思いますけど、時間にすると一週間で1時間半なわけですけど、たかだか1時間半の間に月日がめまぐるしく流れてしかもその経過の要所要所をあんだけ細切れに見せれるってのは1話15分っていう形式あってこそですよね。当たり前ですけど、朝ドラで密室コメディやっても絶対面白くないですし、1時間半ぶっ通しのちょっとした映画で物語上の日数がやたら経過するのはアリにしても、6日以上の日数を跨いでやるとなんかブツ切れ感がすごくて見難いに決まってますよ。朝ドラはそういう、物語やるうえでの物理的制約を変な形で乗り越えてるというか、いや、これ変な形態だなーと思います。さっきの話に戻りますけど、花子とアンでは貧乏農家の娘である花子が親のすごい頑張りによって勉強できる環境に身を置いて頑張って、それに触発された近所の農家の息子も勉強始めて、みたいなそういう「学びの大切さ」とかがテーマとして一つあって。若干「うっ」てなりますよね、みんなそんなん見て誰に恥じることもなく胸を張れるほど、勉強できる環境において勉強しまくりましたか? 僕はそこまでは勉強してないですよね。それで「うっ」となるわけですけど、これが何はどうあれ15分の細切れの合間合間じゃなくて、一本スジの通った2時間の物語で「学びの大切さ」を示されたとしてもそこまで「うっ」とはならないと思うんですよ。それはもう物語を進めるうえで「学びの大切さ」が重要なファクターだからやってるんでしょ? っていう距離感があるから。距離感があれば他人事だからダメージを受けない。でも毎日少しずつ観進めると距離感が近くなっちゃうよね。半年やるらしいですけど24週間で毎週1時間半、全部で36時間の長丁場のうえそれを毎日毎日小出し小出しで生活に如何にも入り込んでくる形式の中で学びがどうのと小出しにされるから「うっ」となる気がする。そこらへんの匙加減も含めて、朝ドラおもしれーなー夢広がるなーみたいな、そんな感じで楽しく見てます。

ただ、そういう毎日やってるような慣れない形式だと、どう観ればいいのかが難しくて、本当はなんか週末に録画したのをまとめて観るとかが一番ラクだし続きも気にならなくてラクなんだろうなとか思うんですけど、もうしばらくは無理かなって気がします。大河なんかもそうですけど、この手のドラマでどうしても未だにちょっと苦手だなーと思うのが、役者さんの年齢と演じてるキャラの年齢差が苦手で。例えば今も吉高由里子は作中年齢が16歳とかだったと思うんですけど、さすがに無理があるじゃないですか。一週目二週目の主役をやってた女の子だって一人の子役が二年、三年とかの経過を演じてるんですよ。こういうのに意外と「無理があるだろ」って反応が出ちゃうんですよね。それだったらもう8歳の頃から吉高由里子が演じてくれてたほうが「そういうことなんだな、このドラマでは」っていうことで見やすくなるんですけど。まぁ文句言っても仕方ないんで、とりあえず受け容れてみてますけど、受け容れられてるのも慣れなんで、あんまり間隔空けちゃうと違和感出ちゃうかもしれないから、ってことで毎日見てますけど。今週終わった時点で、吉高由里子が16歳で仲間由紀恵が24歳、ギリギリじゃないですか。これは毎日ちゃんと欠かさず見ないと「それは無理があるだろ」ってなっちゃうような気がするんで、だって吉高由里子が16歳ってのも無理があるし、そもそも16歳って仲間由紀恵ロックマンX4の主題歌やってたくらいの年齢でしょ? それは無理だって、キツいって、と気になりだしたらちょっと観にくくなってくると思うので、とりあえず作中の登場人物の年齢が役者さんの実年齢に近づくまではギリギリまで距離感を近づけて、毎日毎日展開を見守ろうかな、と思っています。以上です。