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私たちは毎秒毎秒宵越しの金を捨てなくてはならない

私たちは毎秒毎秒宵越しの金を捨てなくてはならない。

一秒先にすら持ち越すことはできない。

「いつやるの?今でしょ!」っていうのは善は急げとか鉄は熱いうちに打てとかそういうこっちゃなくて、そこらへんの話な気もする。

人間というやつはあまりにポンコツがすぎるので「BETしている」「打ち込んでいる」と体感できる領域がやたらと狭いので分かりにくいんだろうけど、電車の向かいに座っている人の顔を見て「こいつ鼻でけぇな」と俺が思った時、俺は「鼻に着目する」ということに確実に何かをBETしてるよね。その同じ瞬間に株のこと考えて確実にその瞬間を金儲けに活かしてるやつもいると思うんだ。

ただ、アインシュタインは傍から見たら「鼻でかいな」レベルの直近で役に立ちそうもないことに毎秒毎秒BETし続けてその果てに相対性理論に辿り着いてるとかそういうことだと思うんだよね。うん、おれアインシュタインのことあんま知らんからこの喩えが適切かどうかよくわかんないんだけど言いたいことはわかるよね? きっと「わかるよ」と言ってもらうために俺は今までどれだけのBETを君にしてきたと思ってるんだ。

本当に毎秒毎秒宵越しの金を捨て続けてる人ってさすがにそんなにいないだろと思ってて、BETする/しないというレイヤーで見てしまうと、BETにあたるものとBETにあたらないものの線引きは多分に主観的でともすれば選民思想的になりがちな恐れがある。BETする/しないという言葉を使うよりかは、徹底的に瞬間瞬間の僕らのエネルギーがどこに向かっているのかを検討した方が建設的だし優しいと思う。

不安に苛まれて何も手につかない状態を「不安に囚われてどこにもBETしていない。何もしていない。それじゃ駄目だ。」と評するよりかは、「このまま不安な心中に寄り添うことにBETし続けるのはもしかすると回収が難しいのではないか?」と言ったほうが、いくらか事態が見えやすくなってくるようなそんな気がする。

「本気でやらなきゃ意味がない」という言葉があるけれども、これは「意識的に注力してBETしないと意味がない」という意味にも取れるが、少し見方を変えれば「既にBETしたサンクコストを意識しないと意味がない」と言うこともできる。そういう意味では前者の意味でこの言葉を使う人にとっては、ある物事に注力的にBETし続けるそのことが過去のBETのサンクコストを意識するためのライフハックになっているのかもしれない。それがそれで有用なライフハックかもしれないけれど、「BETを意識する方法」は別にそれに限ったことではないだろう。

まぁ、そういう前提があったりなかったりしながら各々勝手に今日もどこかで勝った負けたを繰り返しているわけで、それは大変におもしろいことだ。

ところでこの話、全然タイムイズマネーって話ではないんだけどそこらへんのニュアンスちゃんと伝わるか全然自信ない。全然自信ないのかよ。まじめに読んで損したわ、と思ったそこの貴方。いや、それは損ではないんですよ。貴方はこの文章にBETしたのです。損なんてしてません。ただルーレットの回転が死ぬまで止まらず最後まで出目が確定しない可能性はあります。そうそう、そんな感じ。

あとこの宵越しの金を持ちこせない感じ、ドミニオンのコインに喩えたらすげぇ分かりやすいわって今気づいたけど今からドミニオンの説明するのめんどくさすぎ。ググって欲しすぎ。インターネット便利すぎ。以上です。

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