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ヤン坊とマー坊、動かす力持ってるのはどちらか片方だけ説

【悲報】「ヤン坊マー坊天気予報」3月末で終了のお知らせ・・・:キニ速

長い間お疲れ様でした。

昔から気になってたんですけど、みんな一度は聴いたことがあるヤンマーディーゼルの歌なんですけど、その歌詞を思い返すとちょっと怪しいというか僕の中にある一つの疑念が生じるんですよ。せっかくだし良い機会なのでうろ覚えの歌詞の全容を確認しに出向きました。

ヤン坊マー坊 唄 | ヤンマー株式会社

冒頭の「♪僕の名前はヤン坊」これは意味わかるんですよ。これはヤン坊の台詞ですね。続く「♪僕の名前はマー坊」これもマー坊の台詞ってことで意味わかる。問題はこの後の「♪二人合わせてヤンマーだ 君と僕とでヤンマーだ」が臭いんですよ。楽譜を確認するとここは二人で歌うパートになっているのですが、ここの台詞を考えたのはヤン坊とマー坊のいったいどっちなのでしょうか。なぜ二人合わさる必要があったのか、途轍もない同調圧力を感じます。この後に続く歌詞は実際にヤンマーで動かせるものを具体的に列挙していき最終的には「♪大きなものから小さなものまで動かす力だヤンマーディーゼル~」と結ぶ恰好になるわけですが、実際にヤン坊とマー坊が何かを動かす時にどのような役割分担が為されているかについては一切の説明がないわけですよ。そのうえで紡がれる「大きなものから小さなものまで」というフレーズは実際には動かせるものの範囲・領域を示しているだけに過ぎないのですが対句的な修辞を用いることであたかもヤン坊は大きなものが得意でもう一方のマー坊は小さなものが得意であると言ったようなお互い動かせるものが異なるためしっかりと役割分担ができていてお互いに不可欠な存在なのだと聴き手に誤認させるようなレトリックが施されています。しかし、それはあくまでそのように受け取ることも可能であるにすぎず、実際にはヤン坊とマー坊二人が力を合わせることで初めて色んなものを動かせるんだとは明記されていないわけです。ここからは僕の仮説に過ぎないのですが、もしかして大きなものから小さなものまで動かすには実はマー坊一人の力で十分に事足りているということはないでしょうか。気は優しくて力持ちのマー坊をうまく利用してやろうと企んだ口先だけはよく回るヤン坊が「いいか、俺とお前は今日から二人でヤンマーだ。こんな歌も作ってきたからこれを一緒に歌おう。そうすればみんなも俺たちヤンマーが如何にすごいかをきっと良く理解してくれる。マー坊だって俺たち二人の力をみんなが喜んで今までよりもっと頼ってくれたらすごく嬉しいよな。」などと言いくるめて実のところヤン坊歌ってるだけで大きなものから小さなものまで動かすのは全部マー坊に任せっきりの癖に分け前だけきっちりもらってる可能性があるんじゃないかとちょっと心配になったので今度マー坊にだいじょぶか聴いてみようと思うんですけどマー坊優しい子なんでたぶん本当のこと言わないような気がします。以上です。