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「自分バカなんで」と「ただし摩擦はないものとする」

自分のことバカって言うの止めます - コウモリの世界の図解

「自分バカなんで」って言うのはどうなの? という話を見かけたので読んでてぼやぼやーっと思ったことを頑張って書きますー。ちなみに全然理路整然としていないふわふわした話のうえやたら長くなる予定ですので竹を割ったような明解な論旨をお求めの方は時間の無駄なので読まない方がいいと思います。ご注意ください。

あとこの行は書き終えて戻ってきたところなんですが、やっぱり長くて4000字近くなったんですが、ざっと読み返した感じ「バカって言うの止めます」って本人言うてるのにコウモリさんフルボッコになっててうけたんですけど、まぁケーススタディということで勘弁してください。

「自分バカなんで」に限らず話の最中に「俺はそもそもアレだから」みたいなのを挟むことの是非って結局、属人性によって発生する煩わしい追加条件を許容できるラインは人によって異なるよねって話で、それこそコウモリさんを含め一部のブロガーさんが炎上解説などを行う際に好んで使う言い回し「誤配」にまつわる問題のようにも感じました。

例えば「とにかく最短で最小のコストで全ての人間の寝床を確保する」というミッションを遂行するうえではスイートルームにこだわる必要は別段ないわけですが、そこに「俺はいいけどYAZAWAが何て言うかな?」という追加条件が発生した場合には効率が落ちようが何だろうが急いで別のホテルのスイートルームを手配する必要があるわけです。なぜならYAZAWAだからです。

バンドのボーカルがすげぇ時間にラフなやつの場合、本来の集合時間より1時間早い集合時間を教えたりします。それでも不安な場合はメンバーが家まで迎えに行きます。迎えに行ったものの家にいないし時間通りにも来なかったというやらかしを経ると今度は前の日からメンバーの誰かがお目付け役として前の日家に寝袋を持って泊まりに来ます。なぜならボーカルがいないとそのバンドは機能しないのでコスト度外視でボーカルのクズっぷりに対応するほかないわけです。もちろんこれが学校だとそんな一対一対応する手間のコストを支払ってくれるわけがないしクラスメイトも彼にそこまでしてやるメリットが無いので、教室は彼がいなくても機能するのでこのボーカルは高校中退なわけです(フィクションです)。

とあるフランス人女性ははてな村のみんながうんざりしてるコウモリさんのめんどくささに寛容ですがそれは「コウモリさんが好きで自分はパートナーだから」という属人的な理由があるからなわけです。ちなみにこのフランス人パートナーは俺の中ではヴィルジニー・ルドワイヤンという脳内設定になっており、そうなるとコウモリさんはレオナルド・ディカプリオ似の美男子ということになりますのでそれはもう強く爆発しろと思ってます。脇の下をゴム紐でキッチキチに縛り上げた状態で手の甲だけ爆発しろ(愚地独歩はこれで死ななかったからたぶん大丈夫)。

あと控室に加湿器10個とかどうかしてるけど藤原紀香なら仕方ない話もしようと思ったけど完全に蛇足で俺が喋りたいだけなので端折ります。

まぁ、そんな感じで「その人だからしょうがない」というケースって誰でも生きてて普通にあると思うんですけど、どうもそういうような許容の仕方を他人にしてもらうためには「YAZAWAだから」とか「ボーカルだから」とか「コウモリさんを愛してるから」(アラミド繊維で手首切り落とされろ)とか相手にとってある程度代替不可能でかけがえのない存在であることが必要条件になると思われます。逆に言えば自分にとって代替可能で何ら重要ではない存在を相手にする場合はそういう属人的な追加条件を持たない人であればあるほどコストパフォーマンスが良いので望ましい、ということになります。自分が代替可能な存在に過ぎないことを理解していれば「俺はいいけど大西ライオンはなんていうかな?」なんて無茶は言わないわけです。黙ってエコノミークラスで営業に向かうわけです。ここで「果たして藤原紀香はそんなに代替不可能な存在なのだろうか?」という話を始めてもいいのですが蛇足なので端折ります。

とまぁ、そういう当たり前の話を踏まえて「自分バカなんで」なんですが、まぁ通用する時は通用するし通用しない時はそんなもん全く通用しないよね、という当たり前体操ナイトフィーバーな結論にしかならないんですけど、すいませんここからうまく言えないんで唐突な比喩になっちゃうんですがバランスのとれた一般論を探して議論をしてるところで「自分バカなんで」とか言っちゃうのは、「ただし摩擦はないものとする」って前提で進めてる時に「すいません摩擦がないってことはないと思うんですけど」とか言っちゃうみたいなもんで非常に鬱陶しいんじゃねぇかなと思うわけです。「タカシ君は時速3kmで池を反時計周りに歩きはじめました」っていう前提で話してるところに「タカシ君が時速3kmしか出ないっていうのは僕バカなのでよくわかりません。少なく見積もっても時速6kmくらいは出ると思う。」とか言われたらお前帰れってなると思うんですよね。「俺なら時速8kmは出るからタカシ君は甘え。毎日風呂入る前に30分走りこむべき。」とか言われた日にはとりあえず手の届く範囲にある一番グリップ握りやすくてかつそこそこ硬いもので頭ぶん殴ってやりたくなると思うんですよ。

摩擦と属人性は似たようなもので、考慮し始めるととにかくめんどくさい。一対一対応で色んな要素を別個それぞれに考えなくちゃならんくなるのでキリがない。なのでとりあえず一回それは全部置いといて、まず人それぞれの部分を考慮しないある程度普遍的な結論を先に出そう、個人個人がどうするかはその結論が出た後に各々考えてこう、みたいなそういう順序で事に臨みたい人がいるのは当たり前のことだと思うんですよね。もちろん同じ人間でもそのラインは常に一定ではなくて「この話はある程度個人個人の考えも汲み取って考えるべきだけど、この話についてはお前個人の話とか一切要らん」とか「上戸彩のわがままは許しちゃうけど藤原紀香のわがままは我慢ならん」とか、それこそそのラインのあやふやさは極めて属人的で「ここはなぁなぁの手打ちで良くない?」ってところで道理を重んじて絶対に譲らないめんどくさい人もいてそれはそれでその人ゆえにめんどくさいんだよなぁ、なんてケースもあると思う。

じゃあ摩擦を考慮したい人と摩擦をないものとする人どっちがいいんだと言い出すと、それはやっぱり「人それぞれ」で「ケースバイケース」で別にどっちが正義でどっちが下等とかそんな話をいちいち持ち出す必要はねぇんじゃねぇかなと思います。そこで大事になってくるのはやっぱりいかに誤配を減らすかというところで、摩擦を考えないものとして端的に短くわかりやすく広く多くの人に伝わる言葉を探している人に「バカな僕のために殊更に言葉を尽くしておくんなまし」なんて態度で臨むのはそれこそコミュニケーションコストの押し売りにほかならないわけです。それを許容してくれるかどうかは相手次第で、そんなめんどくさいコストを支払うくらいであれば議論の相手はコウモリさんじゃなくても一向に構わない、という結論になる人も出てくるでしょう。

これは一概に「摩擦はないものとする」という前提を持てないやつは糞、と言いたい話ではなく不毛で不快な議論にしかなりえないミスマッチは解消して同じ前提や認識を共有できる相手とうまくマッチングしてケジメなさい、とそれだけの話なわけです。実際僕もコウモリさんとはたまにtwitterでやりとりしてたりもするんですけど、僕はそこまで摩擦はないものとして最短で解を得たいタイプでもないというか基本的にはまぁ現に摩擦あるしなって感じなので別にそんなイライラしないんすよね。「今日もコウモリさんすごい摩擦だなぁ、ルパン三世が乗ってるフィアット500くらい火花出てるなぁ」くらいに思いながら会話しています。直近でためになることとかはあまり期待しておらず、「そのうち後部座席の窓から札束こぼれたりしねぇかなぁ」みたいなそういうのんびりとした淡い期待を抱いています。

もちろん摩擦ある派と摩擦なし派で得意とする領域、扱ってはいけない領域の差というのは当然あります。例えば個人の感想や印象を重視して原発問題を語るのは非常に良くないことですし、個人特有の癖とか「わかっちゃいるけどやめられない」とかを一切許容せずに合理性を最優先に考えるパートナーとの結婚生活はなかなかしんどそうだなという個人の感想です。そんなことを踏まえて各個人における使い分けはもちろん必要だよねとしたうえで一番ラクでフラットな基本の立ち位置というのも人それぞれだと思いますので、摩擦ありルールでもなしルールでも噛みあいさえすれば有意義な時間を過ごせるようなゆるやかなお題については棲み分けも大事なのではないかなぁ、とか。そういう普通の話をしたかったわけです。まぁ、こういう話をすると「ネットは見たいものだけ選んで見ることができるので思考が偏る」みたいな話も混ざってきちゃってよけいややこしいなぁ、とかも思うんですけど。

ちなみにこのブログは冒頭で述べました通り全く理路整然としておらず摩擦はないものとするどころか摩擦熱を電気エネルギーに変換して如何にたくさんのお猿さんにシンバルを叩かせるかみたいな、そういうノリになってますので、お付き合い頂ける方のみ今後ともお付き合い頂けましたら幸いでございます。最後になりますが、どっかで「心配ないさ~~」ってフレーズ入れようと思ってたんだけど入れるところなかったです。以上です。

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