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俺の早食いのルーツ、実家の大皿文化説

俺は飯を食うのがめっぽう早い。なか卯の平均滞在時間は恐らく6分前後だ。人から「誰も盗らないのにかわいそう」という本来捨て犬に寄せられるべきコメントを頂戴したことすらある。

披露宴でのコース料理などであれば流石に少しは気を遣ってゆっくり食べようとも思うのだが、人と何かを食べる度にそんな気を遣っていたのではこちらの気が持たないということで普段はなるだけ自分のペースで食べたいようにしている。

ただしそこで「それで人に嫌われたって知ったことか俺はさっさと食いたいんだ」と居丈高に構えるほどの度胸はないので(むしろ飯食いながら人を威嚇するようになったらいよいよ野良犬だろ)もしかするとこれで母性本能をくすぐられる人も場合によってはいるかもしれない、俺にはまだ一縷の望みがある、みたいなよくわからん論理を採用している。

まぁ実際のところは、お世辞にも行儀が良いとは言えない悪癖であることは自分でも理解はしているのだが。

ところでさっきこんな記事を見かけた。

野蛮な食べ方 - Ohnoblog 2

早食いとはちょっと違うのだけど何でもパクパク食べてるとチビチビ食べなさいと咎められることがある、という話だ。

ブックマークコメントで自分を含め幾人かから指摘があるように、これは複数人で分け合うべきものを食べる場合には一人だけ早いペースで食べると結果的にその一人だけがたくさん食べてしまうことになりよろしくない、という点に大きな問題があるように思える。

自分は幸か不幸かお酒さえあれば別に何もいらない大人に成長してしまったので、僕が人前で早食いを披露するかもしれないシーンはそれぞれ別個のものを注文するランチだとかコース料理だとかを食べるシーンに限られていて、みんなで少しずつ摘まむような酒の席ではむしろ自分からは積極的に箸をつけない方なので恐らくたぶん主観的にはその点で人に迷惑をかけてることはないであろうと信じたい。

また、このような話題になると「酒飲みは酒飲んでんだからその分遠慮しろ」とか「大酒飲みほど幹事をやらせると飲まない奴にもきっちり割り勘を求めるけどあれはなんなんだ」とかまたちょっと別の話になることが多いがそれはまた別の機会にしよう。僕らは欲をかいて複数の問題を同時に解決してやろうと目論んだ結果、より根深く憎しみ合いの螺旋を紡いでしまうことが往々にしてある。

話を早食いに戻す。

そもそもお前はなぜそんなにも早食いなのかという質問は過去幾度となく問いかけられてその度に「思い当たる節は無い。たまたまだ。」と言ってきたのだけれど、ここまでのことを考えてふと一つもしかしてこれじゃねぇかってやつに思い当たった。

それは、実家の大皿文化である。

自分にはそこまで年の変わらない兄弟が二人ほどおり、それはつまり育ち盛りの食べ盛りの時期がほぼ同時多発的に到来することを意味するわけなのだが、我が家ではおかずを一人一皿に分けて配るという文化がなかった。「今日は生姜焼きだよ」と言えば大皿一枚にいっぱいに盛られた生姜焼きが出てくるし、「今日は餃子だよ」と言えば大皿一枚にいっぱいに盛られた餃子が出てくる。そしてそれをみんなで箸でつつき米を喰らう。もしかするとこれが俺の早食いのルーツなのではあるまいか。

両親の名誉のために言っておくが別に少年時代をひもじい思いをしながら過ごしたということは一切ない。それでも単純に成長期のガキはほんと馬鹿みたいに食べるよねってだけの話で、おかずがなくなったけどまだ食い足りないので最後にもう一杯卵かけごはんを食ってたような記憶はあるし、僕はハッサクを口の中で転がして粒をほぐしながらゆっくり食べるのが好きというこれまたこの文脈で突然言われてもリアクションに困るし無駄にややこしくなるよくわからない微妙な趣味があるのだけれど舌の上でちょっとコロコロしてたらあっという間に残りを兄弟に食われて無くなり当たり分が少ないなとむかついてたような記憶は残っている(嫁はハッサクを食うたびに俺の「今はゆっくり食べられるので嬉しい」という話を聞かされている)。特に食うに困るということはなくとも事前に取り分が確定していない大皿文化では少なくともペースで遅れをとるとそれだけ取り分が減っても文句言えないくらいの前提は存在していたという可能性は大いにありえる。

もしこれが事実であれば俺やっぱ大体野良犬じゃんっていう悲しい結論になるんですけど、あくまでこれは仮説でそもそも兄弟に「馬鹿みたいに飯食うの早いのお前だけだからお前が単に意地汚いだけだばーか」と言われる可能性も潰さずに書き始めてるんでアレなんですけど、早食いの人や大皿文化で育った人、あとなんや言うたらすぐ焼肉になる少年団に所属していた人などの話を今後意識的に収集していきたいなと思いました。なんかこういうの考えるのは、パラサウロロフスの頭蓋骨はシュノーケルじゃなくて笛だったみたいな感じで楽しいやね。

一番きついのは、実は俺の知らないところで大皿は蛮族の文化っていう共通認識がとっくに出来上がってる可能性ね。いや、大人になって「人それぞれ」っていう世の中の常識をある程度理解したつもりになっててもこれっばかりは当たり前すぎて疑うことすらなかったけど実は異端だったみたいなん結構あるから油断ならねーわ。家族は社会の最小単位とはよく言ったもんで、その分密室としての完成度も最強なんだなって思う。まぁ、とりあえず現段階で確定的に言えることは、食べ物は分け合おう、ていう。当たり前のことくらいなんですけど。以上です。