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全ツッパのコミットしたもん勝ちで馬鹿とか小悪党がのうのうとしてるのって結局どうしたらいいんだ

予言を外した人に責任を取らせるようにしないと、予言者の「言ったもん勝ち」は止まらない。 - 感謝のプログラミング 10000時間

読みました。

内容は記事タイトルの通りで全く異論がないんだけどじゃあ責任をどう取らせりゃいいんだって考えるとすごいめんどくさいよなぁって話です。

僕が興味を示さなかったから気づいてなかっただけで一生かけても読みきれないほどの本は昔からあったんだろうし何かを成し遂げるのに一生は短すぎることには千年以上前のおっさんもとっくに気づいてはいたようなんですが、インターネットでほとんど無限みたいな量の情報に誰でも気軽に触れられることができるようになって、僕ら人間ひとりひとりが触れられる情報の有限性というのはずっと実感を伴いやすくなったなぁと思います。そしてその有限性というものは何も受信する情報だけに限った話ではなくて、発信できる情報の量にも限度がありますし、「私」が「私」として人に見せられる面の数にも限度がありますし、まぁ僕にしても貴方にしても要するに一日24時間であるところはどうやらこの先もお変わりはないようです。

そんな中で先の記事に挙げられてるような外してもお構いなしで予言をかまして自分が得しようとしている人がいたとして、そいつにじゃあみんなでどうやって責任をとらせようかって考えた時、それって端的に言って超めんどくさいんですよね。何せいくら技術が進歩しようと目玉は二つで脳みそは一つだけなのでそいつのこと相手にしてる間は他のもっと楽しくて有益な情報に触れることができないし、責任とらすためにはまずそいつがついた嘘を広く知らしめるべく拡散せにゃならんと思ってそこらへんの情報ばっか拡散してたら本当は一緒にバーベキューをしたいだけの友達にも「こいつは他に楽しくて有益な情報もたくさんあるというのに義憤か何か知らんがあんなことばかり言ってなんだかアレだな」と思われるのも癪じゃないですかめんどくさいじゃないですか。胸糞悪い馬鹿を正義感の強い一市民としてせっせと叩いてるよりゴッドフェスのガチャで何出たのかをキャッキャと報告してたほうが自分ベースで楽しいって事実を受け入れちゃってる人に対して意識低いぜ頑張ろうぜというのはあんまりに酷だとも思うわけです。

そう考えるとそういう色々な情報に触れて色々な気分を発信したいパンピーに比べて、嘘だろうと何だろうと知ったこっちゃなく「○○の人」になることで失うあれこれをモノともせず一つの事象にばっかコミットして起きてる間ずっと全ツッパで同じこと言ってる奴の方が有利になってしまうのが現状なんじゃねぇのかなぁと思って陰陰滅滅とした気分になります。もちろんケースバイケースで、そんなみんなコミットしてられねぇけどアレ放っておいちゃ駄目だろみたいなことは別に昔からあったことで、署名とか一人ほんの数分費やすだけで、それやった人がそこそこの数になったらそれなりのパワーになるやつとかも別に今でもあるんでしょうけど、それが通用しないケースも増えてるよなぁとか。これってよくわからんけど個人が何かそれなりのでかい組織の力も借りずに個人のままダイレクトに情報を発信できるようになってるのとも関係してるのかな、と思うんですけど、そういう署名的なものの数を集めたところでそれを提出する先が他にあればいいんですけどデマ情報発信してる馬鹿本体以外に見当たらなくて「そんなもん知ったこっちゃねぇよ」で無視されるってパターンも結構あるんじゃないでしょうか。じゃあ「知ったこっちゃねぇ」といえない程度に騒ぎ立ててやろうと思ったら結局責任を取らせたい個々人が時間を割いて発信する情報をそっちに寄せて、本当は一緒にポケモンしたいだけの友達に「ああ、こいつはこういう活動する人なんだ」と思われなくちゃならないハメになるわけです。じゃあ批判用の別アカでも作ろうかつっても貴重な時間を浪費しなくちゃならんのは変わらないし、やり方的にもどこか姑息に思えて気が引けるし、匿名の意見は価値がないなんて便利論法も出回ってるしなぁ。

情報過多社会のトレンドワードとして「嫌なら見るな」とかいう便利なのありますけど、実はそこかしこにはカモとか肥やし以外が黙殺してくれるなら願ったり叶ったりの人がいて、実際自分のこと考えてたら嫌だし見たくないのは間違いないのでスルーしたい一方で、そうして無視してる間にも嘘八百で信者増やしてる奴がいるわけで、そういう動きをされてるとサイレント・マジョリティなんて言葉のうえに胡坐かいてる場合じゃないんじゃねぇかなと思えるけど、やっぱそんなことに時間割いてるの糞めんどくさいわけで、いやーいったいどうしたもんですかねぇ。以上です。