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『ザ・フォール/落下の王国』めちゃめちゃ面白かっためちゃめちゃ面白かった

どれくらい面白かったかというとTSUTAYAで借りてきたの見終えて即Amazonポチったくらい面白かった。めったくそゴリラ面白かった。あ、今のはこの興奮をなんとか伝えようと更なる強調表現を探して未開の荒野へ新たな一歩を踏み出しただけで本編にゴリラは出てきません。

ザ・フォール/落下の王国 特別版 [DVD]

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映画に限らず何でもそうだけど面白がり満足度がある一定のラインを超えてしまうと端的に言って「手に余る」みたいな感じなりまして、まだそれに触れてない人に「観てみようかな」と思わせるように喋る余裕はまるで無くなってただすげーすげー言うだけでせいぜい既に観て俺と同じくらいかよっぽど俺以上に楽しんだ人が「ねー」って言う可能性がわずかに残るだけという糞の生産性もない有様になるのですがよくよく考えたら俺の書くやついっつもそうだしそうして鑑賞後騒ぎ散らかすところまでが俺の娯楽の消費の仕方なのでなんかそういうのを書きます。

まずはあらすじをあらすじますのでご確認ください。

舞台は1915年のハリウッド、撮影中に事故って半身不随になったスタントマンのロイはばりばり自殺したい気分だったけど足動かんくて自分でモルヒネ取りにいけないので同じ病院に入院しているアレクサンドリアっていう少女と仲良くなってモルヒネを取ってくるよう指示しようと画策する。ロイはアレクサンドリアの気を引くために毎日作り話をでっち上げて聞かせてやるんだけどアレクサンドリアのその作り話への食いつきやばい。五歳児の作り話への食いつきやばい。

以上、あらすじを御あらすじ頂き誠にありがとうございます。それでは感想です。

とりあえず映像やばい。俺は観始めて五分で「あ、この監督の下で働きたくない。絶対だるいから。」って思ったね。雲待ちとかそういう次元じゃねぇから。やばい。もしかしてこれCGじゃないんじゃないの?と思って観終わった後調べたら4年かけて13の世界遺産、24ヶ国以上でロケーション撮影とか書いてて「ああやっぱこの人馬鹿なんだ」と思ってウケてしまった。雲待ちとかそういう次元じゃないだろ。ストーリーは薄汚いロサンゼルスの病院と、これでもかと言うほどやったら美しい幻想的な風景が延々広がるロイが語る作り話の世界で交互に繰り広げられるわけなんですけど、僕が普段生活していて三角形を見かけてもなんだか泣けないのはきっと僕の頭の中にそんじょそこらの三角形よりももっと完璧なめちゃめちゃかっこいい三角形が眠っているからで雑多な日常におかれましては便宜上三角形と呼ぶことにしている歪な図形しか存在しないわけでそんなもんでいちいち泣くかよ馬鹿、とかそういう話になるんだと思うんですけどこの映画はまさにそんな完璧な三角形のオンパレードでした。決して実際に見たことはないのだけれども、ドアを開ける時に起こる風の流れだとかそういうのと関係しているのかな何故そこに溜まらなくてはならなかったのかまるでわからない何気ない埃のように僕や貴方の脳味噌の片隅でぽつねんとしている「見たことがあるという記憶」だけの風景、経験を伴わない頭の中にしかない風景、そんな風景が次から次へと僕の眼前に実際に出現してしまったらそんなもんテンション上がらないわけがない。僕は俗な男なのであんまり分からない方ではあるんですけれども、そういう溜まった埃みたいな頭の中にしかない原風景みたいなやつを実際に出現させてしまえみたいなノリは映像でも絵画でも視覚に訴えかける芸術の醍醐味の一つなんかなくらいには思うわけでそのノリをこんだけ露骨に表明されると流石の上品センス難民の俺でもおしっこちびりそうになるわけです。まぁ、僕は教養ないんですげぇすげぇとアホみたいな顔で楽しめましたけど齧ってる人からすると実はあらゆるシーンのモチーフの盛り込み方があざとすぎてせいぜいお勉強のできる子かオタク野郎か最悪ただのパクリ野郎呼ばわりされてる可能性まであるなぁとも思うわけですが、僕は教養がないのですげぇ素直に楽しめたのでアホでよかった。みんなおいでよアホアホランド

そういうわけで映像もすげかったわけですけど、ストーリーもよかった。一般的にどう呼ばれてるのか知らねぇんですけど僕はなんでかわからんけど「物語る物語」が異常にツボな傾向があるみたいで、そこから言ってもドンピシャでした。例えばホラ吹き親父の夢物語を息子が受け入れ引き継ぐまでを描いた『ビッグ・フィッシュ』、他人に与えられた物語を脱出し自分の物語を始めようと主人公が奮闘する『トゥルーマン・ショー』、ベルリンの壁の崩壊を知らぬ母に社会主義体制が続く嘘の世界を見せ続けようとする息子が主人公の『グッバイ、レーニン!』、脚本家の望まぬ方向へ離陸してしまった物語をなんとか軌道修正して着地させようとみんなが奮闘する『ラジオの時間』、並べ始めると枚挙に暇はありませんが僕は兎に角この手の、誰かが作った物語あるいは単に嘘が他人の思惑や現実と綱引きをしながら変化していく系の物語に弱く店長の娘さんが結婚式の日のパチンコ屋の釘ばりに涙腺がガバガバになります。あ、あとちょっとズレるんですけど、フィクションが現実を浸食しようとした時、冴えない現実から目を背け誰よりもフィクションを愛した男こそが力を手にして現実を守るために立ち上がる『ゼブラーマン』とかもちょっと違うはずなんですけど僕の感受性的には同じカテゴリになってるみたいで異常に好きです。で、そういう話の構造がなんで好きなんだろうとかあんまりしゃちほこばって考えるのも野暮ではあるんですけど、まぁ小劇場演劇みたいなものが割と好きでそこらへんってそういう構造好きだからその影響かなとも言えるし単純に「厨二秒は糖尿病と同じで一生付き合っていかなくちゃならない病気だから」とザッパリ斬り捨ててしまうこともできるんですが、逆に言えばそういう構造がそもそもすげぇ苦手で冷めてしまうタイプの人間が世の中にいることも知っているのでそういう人にはあんまオススメできないかもしれないっす。この段落読んで「あーなんかわかるわその感じ」って人は見といて損はないんじゃねぇかなと思います。

主人公・ロイの語る作り話は、ロイの現実を受けてストーリーを紡がれ、それは少女・アレクサンドリアの現実を踏まえて実写化される。この物語はいわば二人の共作として瞼を閉じた二人とテレビの前の僕の眼前に出現するわけですが、ロイはロイのことしか知らないしアレクサンドリアアレクサンドリアのことしか知らないし、そんなそれぞれ勝手に生きるように生きるほかなくて色々あった二人が頭の中にしかないいざとなればどうにでもできる出鱈目の世界だけを接点につながっていくのって結構不思議に見えて意外と誰と誰の間でも普通に行われていることだよなぁとかそんなことを考える。ダウンタウン浜田雅功が東京にいる頃、大阪にいる妻の小川菜摘に「同じ月を見ているよ」と電話越しに言った話は有名ですが、物語や嘘でつながるのも案外これと同じようなもんなのかもしれない。もちろん浜ちゃんは「遠いようで近いよ」みたいなつもりで言った話なのはわかってるんだけど、というか、むしろ、台詞だけ引けば十分で浜ちゃん登場させる必要は皆無だったけど、僕と誰かがどれだけ物理的に接近して物理的にどれだけ長い時間を共に過ごしたところで、本当にちゃんと何かしらつながってやろうと思ったら決して手の届かない月であったり、それ自体はまったく現実に影響を及ぼさない頭の中にしかない遠いどこかの物語であったり、そういう二人から平等に遠すぎる何かを媒介にする必要があるのかもしれないなぁとか、なんかそんなことも今思いました今。

あとは何だ、主人公・ロイがスタントマンということもあって作中でも1900年代初頭の無声映画のスタントシーンなんかも色々使われていて、本当にこれ一歩間違ったら死ぬだろとか思いながら見ていたわけなんだけど、スタントマンがマジになって決死の覚悟でやらなきゃその映画のシーンは出来上がらないし、アレクサンドリアがたかだかでっち上げの作り話にあそこまでマジにならなきゃロイの紡ぐ物語の結末は変わらなかっただろうし、この映画自体も監督のオタク野郎がマジになって世界中駆けずり回らなきゃあ出来上がらなかっただろうし、嘘に捧げるマジって現実に捧げるマジよりも純粋なマジのように見えるかもなぁとか思って。あーだから僕は「物語る物語」が好きなんかもわからんね。

思うのは何かを物語った時にすごくフラットに「色々ある」に着地するのってすごく難しいし(現に二人の紡いだ物語はどっちに転んだところで実際の「色々ある」には即さない偏った結末だった)、この映画に関してで言えば「色々ある」っていう当たり前のことを誰の肩を持つでもなくごくごくシンプルにただそれだけを言い放つためにはこんなに面倒で大変なことをしなくてはならないのか、という感想を持った。主題がどうとかテーマがどうとか、もちろん物語を組み立てていくうえではそういう指針が無いとガタガタになってしまうからとても大事だということを知ってはいるんですが、それを大事にしすぎるとそれは過剰な嘘になってしまって「色々ある」になんとか着地できたとしてもその「色々ある」は人間賛歌たりえない。賛歌でないもんは駄目だとは言わないけれども俺は賛歌が見たいんじゃ。そしてこの映画に関してはめちゃめちゃ良い賛歌を俺は見たね。最高だった。

あ、あと、これどうでもいい普通にオススメポイントですけど。意外とポップ。THE・映画!ババーン!て感じだけど見ててそんなタルくない、普通にポップ。謎の台詞もない長回しとかないし。

まぁ、大体書いてて気が済んで飽きてきたんで、いやーこりゃいつもに増してぐちゃぐちゃだーとか思うんですけど、最初に宣言した通り「手に余る」のだから仕方がない。DVDが届けばなんぼでも見れるようになるので、まぁ永遠の夏休みの宿題ということで、何かの度に見直して、また都度都度あーだこーだ考えられればなぁと考えています。以上です。