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今更だけどブログとか書くの糞ダルい

このブログをご覧になられてる聡明なる読者諸兄においては自明のことであろうが、どうでもいいことはどうでもいい。また、どうでもいいことって思いのほかすげぇ多い。どうでもいいことってのにも幾つかパターンがあるんだろうけど、例えばどうせ白黒つけたところであんまり意味がないこととかすげぇどうでもいいじゃないですか。原爆を落とすというアメリカの判断は正しかったのか、とかすげぇどうでもいい。そりゃ俺はこう思うとかはあるよそりゃあるけど、それで俺と違う考え方のやつがいた時に「こいつの考え方は間違ってるから何が何でも正してやる。必要とあらばメガネも割ってやる。」とかなんて全然思わないよね。だってどうでもいいもん。例えば、じゃあ仮に僕が「原爆正しくなかった派」だとしますよね。それでもどうでもいいよ。もし仮にそいつ説き伏せてついでに一瞬で間合いをグッと詰めてサイドからそいつのメガネの蔓をパーンって指で弾いてそしたらレンズだけポーンと抜けて空中をキラキラと舞うレンズを回し蹴りで粉々にしてやったところで原爆もう落ちちゃってるからね。「よし、じゃあ原爆落とすのやめよう」とかそういう話になるなら頑張るけどさ。タイムマシーン出来たら本気出すわ。このどうでもいい伝わるのかなあんま伝わらんかなそこはどうでもよくないんですよ。白黒ハッキリつける手前まではどうでもよくないんですよ、色んな考え方色んな立場の人がいて毛玉かよみたいなわっけわからんなってる綱を色んな角度からみんなが引っ張る綱引きしてね、それやってるうちに何か良い方向に行ったらいいなみたいなそういう意味でも大事だしね、そういうことも思ってるんですよあんまりどうでもいいどうでもいい言ってると思考停止だとか言われそうだけど、そうじゃなくてね、白黒つかないもんを白黒ハッキリつけて早く終わらせようって考え方のほうがよっぽど臭いものに蓋で思考停止じゃねぇかと、そういうことがね、世の中たくさんあるんですよ。そんなんどうでもいいから、世界の片隅で白黒ハッキリつけたところで世界はグレイのままなんだから、じゃーもっと楽しくやろうぜ、俺とお前の分子運動で少しでもこのグレイな世界をホットにしてやろうぜ、と今この瞬間の昂揚を四六時中渇望してる俺は思うわけですよ。まぁでも白黒つけたがってる人もまぁまぁ昂揚を求めた結果そうなってるところあるから難しいというかめんどくさいんだけど。もちろん、勝手に白黒ついたと喚いてる人がいたらちょっと待てコラって話をしなくちゃならんケースもいっぱいあるんですけど、そうじゃなけりゃあ他人の事なんてどうでもいいし快不快じゃないガチの実害が出てくるまでは放っておけばいいんですよ、自分と違う意見をいちいち面と向かって否定するなんてのは、ろくなもんじゃないんです。その実例を今から繰り広げます。どうぞお楽しみください。

あのー、普段の会話の中で出てきてもいちいち否定なんてしないんですけど、「祭りの準備が一番楽しい」みたいなん言うじゃないですか。あれ、僕まじで全然意味わかんないんですよ。言ってる意味はわかるんですけど、ビタいち共感できないんですよね。祭りの本番が一番楽しいに決まってるじゃないですか。本番はお客さんがいるわけじゃないですか、そいつらを楽しませるために色々企んでやろうと準備するわけじゃないですか、そしたら本番が一番ハッスルするのは当然ですし実際に準備してた甲斐あってお客さんなり参加者なりが喜んでるの見たらめちゃめちゃテンションあがるじゃないですか、そんなもんどう考えたって祭りの本番が一番楽しいでしょ。もちろん準備も楽しいけどね、企むのも楽しいけどね、本番よりも準備が一番楽しいとかお前は祭りナメてんのか、身内でキャッキャ何かした気になってそれで満足なら客呼ぶな人を巻き込まんと勝手にやっとけ、お前ら全員サービス精神が全然足らんぞ、とかそういうことを思うわけなんですけど、ほら、こういうどうでもいいことで自分の個人的な見解を強く主張しようとするとね、人間はこうやってすぐ「俺と違うやつはダメだ」みたいな論法を採用してしまいがちなんですよ。だからどうでもいいことはどうでもいい感じに扱っといた方が色々都合がいいんじゃねぇかなと思うんですけど。

せっかくちょっと話しちゃったんでついでに言うと、それが功を奏してるのかどうかは全く別問題なんですが、祭りの準備に対する見解なんかもそうですが僕はどうも人よりサービス精神が異常に強いんじゃねぇかという指摘を受けることが時たまあるんですね。しかもそれは気が回るとか痒いところに手が届くとかそういう紳士的な気立てがいいルネッサンスな髭生えてルパンみたいな片メガネかけて蔓が無いから隙がないみたいなそういう上品なサービス精神じゃなくて、兎に角目の前の人に面白がって欲しいだけっていう。そのうえ何が面白いかって糞主観なのでそこが合わないとただのすげぇうるさい人なんで余計タチ悪いんですけど、とりあえず面白がって楽しんでくれりゃそれでオッケーみたいなそういうところがどうも僕にはあるようで、これなんでかなと考えると基本的には「俺なんて何の価値もない、せめて面白さくらいないと誰も俺の話なんてまったく聞いてくれないだろ」みたいなそういう後ろ向きな強迫観念が根っこにあるような気がします。俺が今日食ったもんを何の工夫もせずにそのまま「今日グラタン食ったよ」って言ったところでそんな話に興味持って「何ニグラタンだい?」とか聞いてくれるのは実家のお母さんくらいのもんで、お母さん何ニグラタンて。カニグラタンとマカロニグラタンの二択までなに勝手に絞り込んじゃってんの?そんなお母さんが聞いてくれるだけで、その他の59億人は俺なんかに誰も興味持ってくれるわけないだろみたいな、そういう考え方が染み付いているんだと思います(お母さん1億人おる計算になってる)。なのでどうにか面白く言ってやらないと、俺はダメなんだみたいな、そういうところあるんでしょうな。

例えば、僕はただのおしゃべり糞野郎なんですけど、そのうえ夜型なんですけど嫁が日付変わる前には寝ちゃっておしゃべりする相手いなくて暇なんで、じゃあおしゃべりの代替として文章なんかを書く習慣でも身に付けようかな、と思って。でも日記つける習慣なんて今まで持ったことないし、負荷なりインセンティブなりがないと億劫がってどうせやらないんでね、じゃあ一応人の目につくところで書くのはどうだろうと今年の4月くらいからはてなでブログ書くようになったわけなんですけど、そうなるともうサービス精神のせいですごい疲れるんですよ。「マジで?」て思う人はたぶんこの行まで辿りついてないと思うんで別にいいんですけど、こんなグチャグチャに書き殴ってるだけのように見えても、これで楽しんでもらおうと結構頑張ってるわけです僕。ウケたいわけです。ウケたいってのは、PVを稼ぎたいだのいっぱい読まれたいだのってはそりゃ無くはないけど、そっちはオマケで、読み始めてから最後の一行までの間面白がってくれりゃそれでいい。むしろ実際に面白がってくれるかはどうでもいいけど、俺は面白がってもらえるよう頑張ったぞ、って思える程度には頑張らないと気持ち悪いんですよ。それもうサービス精神ではないだろ、って話なんですけど。深夜のBSでたまに白人の力自慢コンテストやっててミルク缶を両手に抱えたムキムキのおっさんがすげぇ小走りしてたりするの見かけますけど、お前そんなミルク缶運ぶために力持ちになりたかったわけじゃないだろ大事な人を守りたいんじゃなかったのかよとか思うんですけど、まぁ優勝したおっさんがすげぇ笑顔で応援してた自分の息子をすげぇひょいって持ち上げてたりするんでまぁいいんだけどさ。

まぁそういうわけで誰に頼まれるわけでもなく頑張ってるので書くの疲れるわけです。いや、言うほど疲れてはないけど単純にダルいわけですよ。僕だって普通に「三日坊主にならないよう頑張ります!」くらいの心持でいるだけなのに、読み終えた時に「あー面白かった」ってなる人ももしかするといるだろうって自分で思えるレベルまで持ってこうと思ったらなんか大体3000字は余裕でいくんすよ。長けりゃ良いってもんじゃないのは分かってるんですけど、せめてAVの前戯のシーンと同じくらいの尺はとって時間かけて前戯しなきゃみたいに考えてる大学生みたいなね、馬鹿かお前あれ編集無しの長回し一発撮りだと思ってんのかみたいな、ていうかお前フェラチオして欲しいだけだろ、みたいな。「この順序で前戯をするとフェラチオをしてもらえるぞ!」とでも思ってんのか、ファミ通じゃねぇんだぞ。こんな調子で「あ、3行ボケてない」と思ったらこういうの挟むからどんどん長くなるわけで、ブログ疲れでもないんだけどまー全部自業自得なんですがブログ書くの糞ダルいんすよ。

で、これ何の話かっていうと先日、いぬじんさん(id:inujin)と会ってきました。

※あんま知らんけど自分なりに学生起業を目指す意識高い系学生のモノマネをするズイショさん。

で、もちろん初対面なんですけどこれが超楽しかったんですよ。でもよく考えたらまーそりゃそうだろって話でたぶん四月くらいからお互いにブログを読み出して八ヶ月だかの間、別にそれがどうということも無いどうでもいいただ思ったことを書き連ねてその文章を読み合って、往復書簡ってわけでもなくただお互いの生活の合間に書いて読んでを暗黒舞踏かコンテンポラリーダンスみたいな微妙な距離感でさんざ繰り返して、それを長期的にやるのって相性悪い人同士だと結構苦痛なわけですがそれでもまぁ会うのも吝かじゃねえなってお互いに思えてりゃ、そりゃいざ喋ったら楽しいに決まってるか、って思いました。ウマが合うとか、気のおけないとか、そういうのとはまた微妙に違って何と言うかただただシンプルにお互いに既知だった。よく初対面なのに「私って~ピンク好きじゃないですか~」とか言われて知らねぇよみたいなのあるじゃないですか、「ああ鞄もピンクですもんね」とかテキトーに言うけどさ、そこは彼氏がサプライズプレゼントにピンク色の鞄をチョイスしてきたので年齢的にそろそろピンクはキツいなと内心思ってるけど買ってくれたその気持ちが嬉しいから渋々使ってる可能性と五分五分だろ、ていうか知らねぇよみたいなのあるじゃないですか。でもブログやってるとこれが本当にまぁまぁ知ってたりするんですよ、初対面なのに。しかも例えば「私って~ピンク好きじゃないですか~」の例に戻れば2回目以降は僕も知ってるわけなんですけど、それはただ知ってるんじゃなくてそれを知るエピソードとセットで記憶されてるわけです、「知らねぇよ」って内心思ったって記憶とセットで記憶されてるんで変なフィルターがかかっちゃうわけなんですが、ブログのコミュニケーションだとそれがない。「ああなんか書いてるの読んだ」、それだけ。それだけは大げさなんだけど大体そんな感じ。色んなインターネットの界隈でいわゆるオフみたいなんは経験してきましたが、そういうのとは何か全然違う感じでした。twitterとかチャットとか、そういう短い文の往復で行うコミュニケーションはその言葉の足りなさを補完するためにお互いの関係性というやつを探り合いながら形成していく必然があるわけですけど、そうなってくるとそれって現実世界で僕らがやってるコミュニケーションからフィジカルな部分を引いて言葉の部分だけが残った下位互換に過ぎなくて、まぁもちろん普通なら会話することもなかった距離をぶっちぎるとか実生活での利害関係がないフラットなところからスタートできるとかの差異はあるけれど、関係性の綱引きに強く依存したコミュニケーションである以上それだけでは「ただ知ってる」って状態に近づけるのは難しい、というか不可能だったんだろうなぁと感じます。もちろんいぬじんさんの懐の深さあっての話ではあるんですけど、ブログでの交流を経て人と会うってのは結構こりゃ今まで経験したことのない面白さがあるぞ、って思って、まぁ超面白かったです。いぬじんさん、どうもありがとうございました。

とか、そんなことを考えてたら気付いたんですけど、なるほど、少なくとも俺にとってのブログっていうのは所詮は祭りの準備に過ぎんのか。祭りの準備なら仕方ない。ブログ書くん糞ダルいのもこれで合点がいくわけです。本当に面白れぇ祭りの本番はブログの外にあって、ただ祭りの本番は祭りの準備をやらねぇと永遠にやってこないわけで、繰り返しになりますが祭りの準備の方が祭りの本番より楽しいとか俺にはよくわからんわけです、祭りの本番が俺には一番面白れぇんです。祭りの準備とかぶっちゃけ糞ダルいんですよ、何せ本気でやらないと祭りの本番がつまらなくなってしまうので全力でやらんとあかんのですけど本気出すん疲れるからめんどくせぇ。けど、あんな面白い祭りの本番が今後もまた時たまやってくるかもしれないなら、ダルいけど頑張るしかないね。だって俺は祭りの本番が大好きなので、そのために祭りの準備をするのはやむをえないわけです。そういうわけで、ダルいんですけど今後も普通にブログ書きます。最後までご清覧頂きました物好き極まりない皆々様におきましては、いつか僕と貴方が出会うその日迄、引き続きどうぞご贔屓頂けましたら幸いでございます。

あーもうこれ内容的にも一年の総括みたいな扱いでいいんじゃねぇかって思ったけど土日でゼロ・グラビティ観るから絶対なんか書くわ。みんなスゴイとヤバイしか言わないのでめちゃめちゃ期待しちゃってるんだけどもしつまんなかったらまじでおまえ3Dメガネの蔓パーンって指で弾いてそしたらレンズだけポーンと抜けて空中をキラキラと舞うレンズを回し蹴りで粉々にしてやるからな。以上です。

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