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詩人の墓では眠れない

さ~とりあえず青空文庫のリンクでも貼るかな~あるかな~どうかな~と思ったら作者ご存命どころかtwitterまでやってた。教科書に載ってるような作品を書いた人イコール死んでるに決まってるだろみたいな先入観があるのって僕だけなのでしょうか。最近の小学生はスガシカオとっくに死んでると思ってる可能性あるでこれ。

谷川俊太郎という人の詩で「詩人の墓」という作品があって昔読んだ時は何言ってんだこいつくらいにしか思わなかったんだけど最近少し分かってきた。年をとったからこそやっとこさわかってくることって高校生の時想像してたよりかは結構あるので良いなと思う。例えば才能のある老人は結構えらいのだ(雑すぎるだろ)。

ぼやぼやーっと考えるのはあの詩人がどこまでも詩を書くほかなかったのはなぜなのだろうということで、本当に彼の目には世界がただただ美しく見えて今目の前にいる彼女も美しい風景の一部としてしか捉えることができなかったのだろうか、あるいはこれはそういう解釈を検討したほうが僕の今抱える個人的な事情にとって都合が良いから想像するに過ぎないのだけれどもしやするとあの詩人は人様から美しく見られるような言葉で飾り立てることでしか人に何かを伝えることができないただの臆病者であったのではないか。そんなことに思いを馳せてみたんだけど鼻毛の速度で結論が見つかってよくよく考えたら別にどっちでもよかった。何故ならばどちらの場合にせよ俺の感想は「俺はそんなやつにはなりたかねぇな」に着地するので着地が同じなら過程はなんでもいいやという非常に雑な考え方の僕こと俺です。

僕は好んで聴く音楽の好みがとても偏ってるんですけれども、それとは別枠で古今東西を問わずいや嘘洋楽は何言ってるかわかんないから聴かないんですけど時代やジャンルを問わず失恋ソングというものをやたらと聴きたがる傾向があります。いい思い出だったと割り切ることは簡単なことかもしれませんがどこまで言っても失恋なんてものはコミュニケーションの失敗以外の何物でもなくそれは僕と貴方の敗北に過ぎず、そのような事実から目を逸らして美しく歌い上げようとするその態度すらも僕には反面教師の対象で要するに人と人がいるというかけがえの無さを忘れがちで傲慢な僕は「失敗したらお前もこうなるぞ」と自分自身を脅すために失恋ソングを聴きたがるのです。「詩人の墓」も今の自分にとってはそんな感じ。また年とってからごめん全然違ったっていう可能性は全然ある。

今月は序盤くらいからなんだかブログ論が一部で盛んになっていて挙句サードブロガーだの何だのという話題に発展、運営が焚きつけるもそんなてんやわんやになる気配もなく「あいつらなんか言ってるよ」くらいのしょっぱい騒動として落ち着きそうで何よりだ。むしろ揉め事が始まる前に運営がピックアップしてしまうことでエレガントな釣り針感を演出し、言及したら負け的な雰囲気を作りあげ後々の延焼を防ぐファインプレイだったんじゃないかとすら思える。もう一つの可能性としてブログ論ってブログ書いてる人以外は糞ほどの興味もないから誰も相手にしてないだけというパターンも考えられるだろう。

たぶんというかどう見てもそもそもの発端が感想をブログに書いてもらえると肛門から苦い液を分泌するので何かとスムーズに出し入れができるグループ(前言ってたの気に入ったからまた使ってる)の存在であることは見るから明らかだったので一期生にあたる僕もなんか言った方がいいのかなぁと思いながら遠巻きに見物していた。ただどうもある種の議論めいたものになってきそうなきらいが見えて俺はそういうのちょっといいかなと思うし、むしろ「なんで真実以外を口にしてはいけないの?」とか「論理的にはこうであるべきだ如きの理由でなんで俺が考え方を変えなくちゃならないの?」みたいな切り札を持ってる人間なのでそんな奴が混ざってきたら俺ならイヤだなと思ったし、何より隠居仙人めいた立ち位置のid:inujinさんがスポットライト当たったら存外ノリノリじゃねぇかこのおっさんと思ったので俺は混ざらんと好き勝手やってればいいかと思いとりわけ好き勝手やってるように見えるよう意識的に好き勝手やっていた。もちろん当初はもうちょっとブクマを稼いでどや顔でこの度の報告を行う予定だったんだけど桃太郎だけか~キャベツはもうちょいイケるかなと思ったんだけどな。まぁ書きたくないことは一文字だって書きたくない以上そのうえ狙ってブクマを稼げる道理はないからそれはとりあえずいいや。あとこの記事は前の句読点なしでぶっ続けるやつ書いた直後のまさに今書かれているのですがあんなもん伸びるわけないという決めつけのもと絶賛記述中の僕です。

話は「詩人の墓」に戻るんだけど結局僕がどれだけ僕の世界の話をしてもそして誰かが僕の語るその世界を美しいと思ってもそんなことには何の価値もないんだよね。そんなつまらない話ばかり繰り返した挙句透明になって詩人の墓で眠るだなんて俺はまっぴらごめんです。なのでそうではないもっと違うことを口走りたいんだけど、そのために見つめなくちゃならないのは世界ではなくたぶん目の前にいる一人の娘のはずで、そう考えた時に仮想娘としての読者を想定できるブログって単純にちょうどいいんだよね。書いたら読まれたという結果よりも読まれるものを書いているという前提そのものが書く際にもたらしてくれる恩恵って意外とでかいと思うっていうかそもそも俺誰にも読まれない前提の文章って生まれてこの方書いたことないし。

単純に人間ってシンプルでお調子者だからちょっと見られてるっていう意識があった方が何かとテンションあがって血色もいいんだよね。あれだよ、裸足のアベベとかいたじゃん。あいつも誰もいない山奥で一人で走ってるよりもさ戦後復興を遂げて人でごった返してる東京で走った方が調子よかったとか言うじゃん。アベベは別に人に見られたくて頑張って走ってたわけじゃないけど、結果として人の目があったからこそより速く走れたんだよたぶん。高地トレーニング?なにそれおれ知らないわ。

まぁそういうわけで「広く」だとか「たくさん」とかの形容抜きにただ「読まれる」という前提が脳みそ刺激してくれるからブログいいよねって話だったら俺はわかるなぁと思うんだけど、ただし俺は詩人だ俺は詩人だと喚き散らす詩人がいたら今すぐ俺が墓掘って埋めてやっから待っとけって思うし肩書きどうのの話はもういいんじゃねぇかなとも思うけど。まぁそんな感じで僕は読まれてること意識しながら書き散らすのは相変わらず楽しいので席が無いとか席を作るとかそこらへんの話はよくわかりませんけど「わかったからお前おとなしくここ座っとけ」と言われるまでは好き勝手はしゃぎ続けるつもりです。引き続きどうぞよろしくお願いします。以上です。

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