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今月キャベツしこたま食べた

一度に出てくる量が1/6玉くらいの量だと嫁が申していたので少なく見積もって今月三玉くらいは食っていると思われる。

そもそもの発端は私が大いに酒を食らう人間であることに起因する。

毎夜晩酌を嗜む私であるが同時に私はスナック菓子大好き人間でもあった。むしろ結婚する以前の一人暮らしをしていた時分にはご飯は大体2日に一度で他は大体ビールとスナック菓子だけで心臓を動かし血液を無理やりぶん回していたような男である。放っておけば晩酌のお供にスナックを齧り続けるのは当然の道理であろう。

生涯の伴侶と決めた男がそう遠くない未来の面白怪死へと向かって日々カルビーをひきつれ邁進する姿を心配した彼女は、やがて晩酌のお供にと男にサラダを振舞うようになった。彼女は出来た女なのだ。

豆腐やトマトやオクラや大根、サラダはあくまでサラダであり夕食の品はいつもそれとは別にある。自分はといえば放っておけばダブルコンソメの翌日ダブルコンソメを食う出来の悪い格ゲーの無限コンボみたいなことを繰り返す男であるので当然台所に立つことなどほとんどないのだが、聞くところによれば品数を一つ増やすだけでもそれはそれは大変にしちめんどくさいことであるということは私の耳にも入っていた。私は彼女の心優しい配慮に感謝すると同時に少し申し訳なく思い今月の始め頃にこんなことを口にしていたそうだ。

「今日は何にしようかなとかもめんどくさいだろうし俺はキャベツの千切りとかでも全然うれしいからね。」

それから私のウサギと見紛うばかりのキャベツ生活が始まった。

キャベツ。毎日キャベツ。キャベツ。キャベツキャベツ。こう書くと私がよっぽどうんざりしていたように見えるかもしれないが、別にそういうわけでもなく苺味の砂ならちびちび食べるであろう悪食の私は何の疑問もなく今日まで食卓に上るキャベツをムシャムシャと食べ続けていた。あと晩飯は晩飯でちゃんとあったことも彼女の名誉のために付け加えておく。なので私には一切の不満はない。もし仮にキャベツたっぷりのお好み焼きとかが出てきてたらそれなりに首をかしげていた可能性は残るがそういう献立も特には見受けられなかった。

今日になって彼女が私に尋ねたことは「そんなにキャベツばかりで飽きないのか?」ということだ。さしたる疑問も持たずにウサギの如くキャベツを食べ続けぼちぼち前歯が伸びてきた私はその質問を受けてそういえば自分がよっぽどキャベツばかり食べていることに気がついた。この時、一度に出てくるキャベツの量を1/6玉程度と初めて知ったのであるがそれを毎日毎日食べているということはほんの一月の間に少なくとも3玉程度のキャベツを今月に入って食べている勘定だ。キャベツ3玉はキャベツ3玉以外の何物でもなく形容のしようもないが恐らく小象の離乳食一食分程度にはなるのではないかと私は想像する。想像したところでそれがどうなのかわからない、つまりは私の生きる世界ではものさしが存在しえないようなボリュームで私はキャベツを食べ続けていたということなのだろう。

そもそも質問を投げかけたのは彼女の方であったことは重々承知のうえ私は彼女となぜ自分がこんなにもキャベツを食べているのかを探す旅に出た。

結論から言えば彼女はよっぽど私の大好物はキャベツだと勘違いしていたようだ。私は日々振舞うサラダの彩りを考慮する彼女の負担を慮り別にただのキャベツの千切りくらいでも構いやしないよという程度で言ったつもりであったのだが、どうにも彼女は私が無類のキャベツ好きと解釈したようで私の干支が卯ではなく寅であるという事実にともすれば怪訝であったとのことだ。

私の胸に去来するのはお母さんである。私がまだ中学生であった頃だろうか、母がスーパーに行くので何か欲しいものはあるかと私に尋ねたので当時新商品としてテレビCMなども多く流れていたアロエヨーグルトを私は母に所望した。一過性のブームに飛びついた形であり今では別にそんな好きでもない。それでも時たま実家に帰って冷蔵庫を覗いてみれば、ともすればアロエヨーグルトが並んでいるのを目にすることがある。

愛はただ単品で愛でありそれは相手を思いやろうとも思わずに思いやる気持ちであり、それとはまったく別のところで僕と貴方の脳に基づく僕や貴方の主観のみによる世界だけが眼前に立ちのぼり貴方だけの瞳に映るヒントこそが貴方の行動を決定する。その背後にどこか優しい何かが垣間見える限りに、私は貴方の世界をそのままに愛おしく思い抱きしめたく思う。

今日はキャベツの話ばかりでずいぶん退屈させてしまったかもしれないが、それ以外のものも日々振る舞われており私は出てきたものから順にパクついている。私の舌が何をうまいと思うのかも結婚する以前に比べて随分変わっているのかもしれないがそれを確かめる術も持ち得るはずがない。私はただ毎日おいしいおいしいと繰り返すばかりである。

そういうわけで一日の中で人である時間よりも兎である時間の方がどんどん長くなる今日この頃ものすごく自由な詩を読んでみる李徴なのでした。なお明日はキャベツじゃないという言質まではよく考えたらとれてない。以上です。