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20131022

子供の頃から親戚のおっちゃんおばちゃんに「本当にズイショちゃんの口からは真実のみぞ出ずるのね」と言われている俺が言うんだから間違いないんですけど僕たちまるっと全員まるで価値がない。ニュートラルな僕たちはもう本当に誰にも相手にされないカスみたいな存在であり「なぜ生きるのか?」とか「これからの時代をどう生きるべきなのか?」みたいな問いは無意味で「別に生きなくても良い」と回答するほかない。ならば何故産んだのだとお母ちゃんを責め立てたところで母ちゃんだって気づいたら生れ落ちててこの世に何か爪痕を残してやりたくて自分本位に子供を産み落としたに過ぎない。所詮あ奴も同じ穴のムジナに過ぎないわけでムジナを呪わば穴二つ、恨む相手としては非常に筋悪だ。俺は俺以外のことはよくわかりませんので他の人間がどれほどまでに自分が無価値であるということを自覚して生きているのか俺にはよくわからない。死にたくないという気持ちに価値があるというわけではないにしてもどうやら死にたくない以上、無価値は無価値なりに生きていくほかないのだなと思いながら僕はとぼとぼと日々をやりくりするほかないわけだけれども、無価値であるという自覚があるからこそ忘れなくてはならんなと思うのはサービス精神であり幸いにも先人が無価値に生きる中よっぽど暇で暇で仕方なかったのか言葉というえらい質の悪い遊び道具をあつらえておりそれは今も僕の目の前にある。どうやら100年くらいは遊べるらしい。そういうわけで自分は今後とも実際のところ何の意味も価値も持ちえぬ何事かを都度都度全力投球のサービス精神をもって並べあげ捲し立て過剰すぎる言葉足らずをもってお伝えしていきたいと思います。箱の中身が空っぽだとしても包装を破いて開けるまでが楽しければ何だかそれでやれそうな気がする。そういう気分を刻んで繋いで結んで閉じてやってるうちに気付けば死んでも構わない気分のその時に辿り着けていたらそれで最高だ。無価値であるということはもう気分くらいしか寄る辺がないということで、他に頼るものがないからこそ気分なんぞに本気でオールベットできるわけで、だからこそ愛してるだなんてパッと見嘘八百が真実たりえるのだ。平等に無価値な地平だからこそちょっとやそっとの些細な気分が僕にとっての貴方を特別にする。それだけはほんの少しだけ救いだ。

上記のような内容を普段の芸風と組み合わせて普通に書く予定を立てたのが確か前の前の土曜とかで以降何度かキーボードを叩いてみるもののなかなかうまくいかずこれはもう駄目だなと思ったのでこのような形式でお届けするに至った次第です。デトックス。以上です。

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