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対案はないけれども荒療治的な教育はダメゼッタイって前園が言ってました

ちゃうわあいつ言ってたんいじめカッコ悪いや。

 

小学校のネット授業 最初匿名でチャット→過熱して悪口が増えたところで実名を表示 児童「…」

http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1773671.html

このネット授業に賛成する人の意見が聞きたい。

http://anond.hatelabo.jp/20130903153935

読みましたー。で、なんか書くんですけど何の話するかは特に決まってないっていう。

とりあえずじゃあ結論から言うと僕はこの授業については完全に反対ですね。基本的には二つ目の記事の匿名の人と同じスタンスです。

僕あのー「いのちの授業」とか大嫌いなんですよね。豚とか育てて最後食えみたいなやつとか。ショック療法というか荒療治というか何のつもりなのか知りませんけど、殺す人は殺す人・食べる人は食べる人・生き物を手放しにかわいがる人はかわいがる人、という本来の自然な生き物の在り様から考えるととんでもなく歪な棲み分け状態をこの現代社会が勝手に作ってそのような常識に適応させるべく情操教育をさんざっぱらさせてきた癖に「ほら殺して食え」はねぇだろうという手のひら返し感にすげぇ馬鹿じゃねぇのと思うんですけど、なんかとりあえずあれと同じ臭いを感じますよね。最初「匿名です」ってやってたルールを大人が子供にどう思って何を感じてほしいかみたいな勝手な都合で捻じ曲げるとか、こんなもんただの不信感にしかならんでしょう。この授業をもって「ああ、この授業のおかげでネットリテラシーが身についたよ先生ありがとう」とか言うやつの方がむしろ心配だよ、さんざっぱら殴っても次の日もちゃんと部活出てきそうだなそいつ。

あとこれも元記事の怒ってる匿名の人が触れてるところですけどやっぱこれでクリティカルなダメージ受ける子供が出てくるのが容易に想像できるってところですね。というかそのダメージの格差がひどいと思う。単純にこれクラス内でやる場合に、いじめっ子あるいはガキ大将あるいは日常的傷害犯がいたとしたらそいつら相手には余裕で機能しないっすよね。むしろめちゃめちゃ悪口書きまくって「これ匿名でもお前の書き込みって丸分かりだよw」っていうツッコミを前のめりに拾いにいきますよね。ぶっちゃけ小学生中学生時分の俺ならそこを攻めに攻めてましたよね。その後僕は数多の人間関係のトラブルを経て人を傷つけるようなことはなるべく言わないようにしようという里に降りたてのキツネ程度には改心しましたが、俺はかつてそうだったと言い切れるしそういう奴いっぱいおるし学校を筆頭とした閉鎖的な社会においてはそんなに大義名分などあるわけでもないのだけれども何となく人によって許されてしまう領域が大きかったりするという真実トロフィーがそこかしこに飾られているという事実はわかるだろうお前ら何年人間やってんだと思うところです。人を傷つけるのが得意な人間は「あかんこれはあかんでこれは」状態に陥るまでその才能を如何なく発揮し続けますし、その被害に合う側というのは基本的にタコ殴りです。もし匿名の空気に駆られて普段やられる側の子供がちょっと無茶をしてそれが後で実名で公開された日には三白眼で唇噛み締めて倍返しだ。そういうわけで学級内で模擬的な匿名SNSをやってみたところで攻撃慣れしてる奴はいつもどおりのすごいリラックス状態のパフォーマンスで人をボロカスに言えますし、やられる側もいつもどおりっちゃいつもどおりになるんじゃねぇのかなと思います。そもそも別の問題がある学校という場所をそのまま流用してもう一つのドでかい問題を解決してやろうなんてのはちょっとムシが良過ぎる話ですし、この問題を絡めることでそういうスクールカースト的問題も一挙に解決してやるぜみたいな幻の王手飛車取り的なスケベ心は流石に教育を取り仕切る側にもないとは思うんですけど、あったら正座もんですが、まぁこういった事情があるので全くもってやらない方が良かろうというスタンスです。

まーそういうわけで、このやり方については全面的に反対なわけなんですけどその一方で試行錯誤ながらもこういう問題をどう教育していこうみたいなんは教育の現場でもなんかんだやってるんだなという「へー」って感じもありつつ、まぁでもこの方法は絶対ダメだよと思うところで。そうなるとめんどくさいのはどうせ賛成派の人は「対案を出せ」と言ってくるわけで対案を出さない限りは代替案がないならショック療法もやむなしってなるのは目に見えてるわけでそこを踏まえて反対しないことには「なんかお前鼻息荒いな」で終わってしまうのはバナナで釘が打てるくらい当たり前のことで今僕はこの文章をシベリアから全裸でお届けしています。

ここでパーペキな対案が出せれば俺がバリバリ最強ナンバーワンだという強い自負をもって教育ってやつに文句の一つも言えるのかもしれませんがそんな妙案もなかなかないのが辛いところです。それでもやっぱり思うのは、何にせよ最善を目指すうえではPDCAをぶん回すだとかトライアンドエラーが必要になってくるのは仕方がないにしてもそこで吐き出されるエラーは出来るだけ生易しくてクリティカルじゃないものであることが殊更教育に関しては望ましいということです。試行錯誤と軽々しく言うもののあの時期のかけがえの無さってのは、今でも耳かきしててたまに突っ込みすぎちゃって脳擦った時に頭を過ぎる未だに覚えてる耳に残ったきつい一言だとか、背景が抽象化されて余計に刺さるかつて僕に向けられたあの目つきだとか、そういうのみんなあるじゃん。そういうのがいくら不可避だからって、試行錯誤の過程でそういうのん生み出すの上等っていうのは僕はヤダなと思うのです。一方でここで持ち上がってるのが早急に解決すべき問題という見方ももちろんあるわけですけど、そのために平等に荒療治繰り出すのはやっぱダメだよってところで、正解が分からないなかでどう子供が当事者にならないよう立ち回るかは親の教育次第でしょ、ミスったら連帯責任で親子内で傷つけあってくれお前らの限りにおいて。みたいな将来的には自己責任論者の親になるのかなという予感は感じています。それが本望では別にないんですけれども。

あとは、そうすね対案としては地球もう1コ作って全人類もまるごと対応するクローン作ってクローン同士で匿名で会話させて罵りあいになったところで相手クローンだよって教えるとかですかね。それができたらなんかもっと色々できるだろって話ですけど。まーとりあえず俺クローンとしたらたぶんすっげ喧嘩しますね。ちょっと考えたらゾッとしなかった。気長に考えます。以上です。

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