←ズイショ→

ズイショさんのブログはズイショさんの人生のズイショで更新されます!

こじらせ賛歌(たぶん)

こんばんわ、堀越二郎です。仕事以外のメールなんて160km/hのストレートをばんばんぶん投げるものの今期のペナント終わる頃に白血病で死ぬので契約金6億の相続相手を出会いサイトで探してる大リーガーくらいからしか来ませんよ。

今俺がどんな感じなのか(ろくなもんじゃない)を一息でお伝えしたところで、明日から里帰りで夜も遅くまで準備とか掃除とかしてて今さっきやっと落ち着いたところで糞眠いんですけど最後の一周の洗濯機回してる間が暇なのでなんか書きます。あとどうでもいいけど甲子園見てたら気温の方はいつも35℃のところ40℃がどうのとか言ってるんだからお前らも170km/hとか出せよ、ニトログリセンが結晶化するノリとか分かるだろ空気読めよ、とか思う。

こじらせ女子もモテ系も「同“病”異夢」 …ananとCanCamは心の女性器カッター?

http://onomiyuki.com/?p=1726

上記読みました。なのでこれ見てなんか書きますけど。いつものように上記本文はあんまりというか全然関係なくて言うなればこの元記事は一通のボトルメッセージに過ぎず。コルクをグリグリと引き抜いた僕は瓶からその一通の手紙を取り出し目を通すとはたと月を見上げます。なぜ今、ここで、僕が、月と目が合ったのかも分からぬままぼんやりとしていると寄せては返す波打ち際が僕の足を濡らしていることに気付く。思えばいつだってそうだった。僕の心に誰かしらのメッセージを届けてくれるのはいつもこの波だ。俺がどこまで逃げた気になっても気付けばこいつがいつも俺の足を濡らし、俺はあの頃からまだ一歩も進めてなんかいやしないんだということに気付かせる。俺はこいつのことをいつだってもっと知ろうとする必要があるのだ。そんなことを考えていたらいつの間にか先ほど手にしていたはずのボトルメッセージがどこかに行ってしまったことに気付く。どうしたものかとキョロキョロあたりを見回していると少し離れたところで小学校高学年くらいの男子数名がさっきまで俺が確かに持っていたはずのあの瓶をロケット花火の発射台にしていた。慌てて彼らに手紙の所在を尋ねてみたところ「知らん」と言われたので、「そうかまぁ仕方ねぇな」と俺はバーチャルボーイに目を戻した。俺は赤く燃ゆるテニスの王子様だ!!

そういうわけで元記事とか一切関係なく「こじらせる」について今思いついたことをテキトーに書こうと思います。ただでさえ千差万別なところに加えてこと男と女、無理にすり合わせる必要もないですし、暇で暇で仕方なくて暑いしもう有意義で解ありのことなんて何一つしたくない人が勝手に突き合わせればいいんじゃねぇかなと思います。

そもそも「こじらせる」とは何なのか、そう言われるとあんまちゃんと考えたことなかったなって感じなんですけど、取り急ぎ僕がパッと思いついた言い回しで言うと、誰もが思春期にぶち当たる何かしらの壁とか成長段階において、僕たちは他人に通用しなくても共有できなくても一向に構わないのでその壁なり何なりを乗り越えて今後もテイクイットイージーにこの世界をガリガリと前進していくにあたり何らかの指針になるような自分論理をぶち上げる必要があったのであろうそしてそれ今もまさに構築してる真っ最中の人たちに今日俺何回かすれ違ったのであろうというのがまず一つ。この論理は僕や貴方の足を前に動かすために必要な論理に過ぎないので、特に他人から見て正当であるという条件は必須ではありません。もちろん他人と共有可能であるということが自分の掲げた論理の正しさを自分の中で補強できるというケースはざらにあるでしょうが、自分の中で胸を張って男爵髭で採用できればそれでオールオッケーなのであくまでそういうケースもあるというだけで必須ではありません。ただ僕たちは弱い弱い朝起きれない起きれない人間ですので、自我の発達に伴い何らかの論理はこれ絶対に必要になってくるわけです。そこで「こじらせる」ということなんですけれども、その自分が掲げる論理の展開において「なぜなら俺は人とは違うから(主にネガティブな意味合いで)」という箇所がある人間が、恐らく総じて「こじらせてる」人なのであるのかなというのが僕がさっき庵野秀明のモノマネしながら考えていたところです。そして僕は僕がこのように考えた経緯をきっちりと整理整頓するのがめんどくさいしそれがそこまで意味あるのかマジの顔で疑問に思うので、ダンスダンスレボリューションで苦もなくクリアできそうなレベルの曲以外には決してチャレンジしない女子中学生のこの後プリクラ撮って帰れればそれでいいという投げやりな顔つきで、「こじらせる」の定義を明らかにしないままぶん投げて次の書きたいことに移りながら、異常に目がでかく写った自分を心の底から「意外とかわいいじゃん」と思いたいと思います。

さて、そのように「こじらせている」をゆるく定義づけしてみたところ考えてみるに、僕から言える確実なことはそんなに多くなくて、まず一つは「俺はこじらせている」。これがもう俺の中でバリバリ最強ナンバーワンの真実で、いわば鬼の手であり、そのなかなかセンターカラーがもらえなかったグロデザインは見ての通りです。俺がこじらせてる感じも見ての通りです。そしてもう一つ、「こじらせている人でも仲良くなれる人と仲良くなれない人がいる(俺が)」です。これ意外と大人になるまで気付かなかったような気がする。面白小者言い回しとして「良いこじらせ方」「悪いこじらせ方」なんてものもありますがたぶんあれは当人にとってそう言ったほうが都合の良い嘘っぱちに過ぎなくて、「良い野菜嫌い」「悪い野菜嫌い」で人を判別しようとする奴がいたらなんだお前馬鈴薯を土から掘り起こす戦車みたいなのに利き腕じゃないほうの指何本か持ってかれろや馬鹿と思うのが普通であるように、こじらせ方に良いも悪いも無ぇよこじらせてるもんはこじらせてるんだよ、という話です。そのうえで、野菜は苦手だから野菜生活だけは何とか飲めるようにして栄養を摂取していますというやつがいてそいつは仲良くできたり、野菜を口にするのはどうしても無理なので会う人会う人大根でシバキ回してその際に自分の顔に飛んでくる飛沫で、返り大根汁で皮膚から栄養を摂取しています経口摂取は断固無理ですっていう人とはどうも仲良くなれないな、というその程度の話なのではないかなと僕は思うのです。いや、今の例だとどう考えても前者が「良い野菜嫌い」で後者が「悪い野菜嫌い」だからダメじゃんっていう話なんですけど、まーなんか「こじらせてる組で徒党を組もう!」に近いノリもなんか苦手だな、とかは思っています(そんな話ひとつもしてなかった)。

えーと、おれ自身「こじらせ」というキーワードから壮大なマジカルバナナをしてただけで着地とか全然考えてなかったし現に見つからないので元記事に戻りましょう(おまえ元記事関係ないって言ってたじゃん)。なんか最終的には「こじらせてる」人はどういう幸せ予想図をⅡまで描けばいいのだろう、それは既定の価値観などに縛られずに各々追い求めればいいんだよ、みたいな感じで元記事の筆者はでかい口で略奪婚しといて申しております(それ筆者じゃなくて吉田美和や)。

それを踏まえて、僕はそういう考え方を、どう思うのかと考えますと、あー、どちらかというとその通り派の、だいじょぶだいじょぶきっと気の合う人見つかるよ派の、鳥貴族で飲んでいるアラサー未婚女性と子供連れてそいつと飲んでる既婚女性今何時だと思ってんだガキは寝かせとけ女二人の会話で言うところの、ガキ連れて帰れ系女性と同じスタンスに、僕はあるのかもしれません。結局僕の中での「こじらせてる」ってやつは、「人と変わってる」という自己認識の部分が当人を動かす歯車の中でかなりでかい歯車になってしまってる人のことを指すに過ぎないので、それをポジティブに捉えるかネガティブに捉えるかというのはそれは別の問題で、「こじらせてる」ことそのものがそれが何なんだという部分もありつつ、だからこそ仲良くできるこじらせもいれば仲良くできないこじらせもいたりなど、いよいよ鳥貴族になって参りましたが、あばたもえくぼとか坊主憎けりゃ袈裟がゴザとか言いますけど、「こじらせてる」ことそのものは些細な問題で、それがえくぼにならないのであればそれはもっと別の、例えば「傲慢だ」とか「不誠実だ」とかそういう別の原因があるんじゃねぇのかなと思うので、それはそれで改善点明確なのでオーケー、「こじらせ」自体は直さなくてよかったねオッケーオッケーみたいな、少なくとも僕はそういう風なことをこじらせてる人にバッタリ出会った時言うでしょう。吉田美和みたいな顔で(鬼みたいな顔で)。

終われてるのか終われてないのかよくわかんないですけど眠いので以上です。