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死を配置する

はてなのマスコット的な犬が死んだという話を見かけた。

 

さようなら。ありがとう。-しなもん日記

http://cinnamon.hatenablog.com/entry/2013/06/22/195805

 

たぶんはてな村の外れにある洞窟の奥でムカデをゴリゴリすり鉢にかけて自分の傷に塗りこまんとしているくらいの距離感の僕です。

そういえばwebで書いてなかったような気もするんですけど、実家には二匹の犬がいまして、一匹は二月だか三月だかに死にましてそれは書いてたんすけど、GWにもう一匹も死んでいたんすよね。ちょうど新婚旅行の帰りの空港でwi-fiつながって妹からのLINEで訃報が内耳に突き刺さったようなタイミングでした。

動物は、とても良いです。彼らには僕らが誰しも引きずって歩く重いコンダラがありません。ただ生きて金も持たず金を持たないゆえに愛には愛で返すほかない、そういう生き方をしている生き物です。僕は妹弟を一人ずつ持つ三人兄弟の長男ですが、思春期にはそれなりにそれぞれの成長曲線上必要な葛藤か世界への質問書か何かしらを抱えていてそれぞれに殺伐とした家族ゲームをどこの家にでもあるリズムで繰り返していたような気がします。そんな中で家にただいるだけの犬がどれだけ僕らを助けたのかは分かりません。とにかく面と向かって話すと喧嘩になるので全部犬経由なんですよね。「俺はこうこうこういうわけで、親父の言うことには賛同できない。お前もそう思うよな、犬!」と僕が言えば親父が「そんな考え方じゃダメだよな、犬!」と返す。いや、どこの犬もそんな潤滑油的役割を担っていたのかは知りませんけど、我が家にとっては少なくともそういう犬が二匹ほどいました。人間の未熟さを一手に引き受ける誰よりも懐の深い誰よりも未熟な憎めない馬鹿、それが僕にとってのあの犬ども。その二匹ともが既にこの世にはいないとのことです。

話は変わりますが、部屋が汚い奴という人種が世の中にはいますが、彼らは勝手に部屋を片付けられると腹を立てることがままあるそうです。曰く、どこに何があるのか分からない、とのことで、結局どんだけ物がグチャグチャに配置されていようと、自分でそこに置いたならどこに何があるのか、それは自分にとっての何なのかってのは大体分かるのであろうという話だと思います。

最後に実家に帰ったのが正月で、その後立て続けに二匹とも逝ってしまって実家に残る親と妹がそれなりに弔ってるとのことなので、僕もなんかそんな感じです。盆に帰る予定なので、僕は初めてそこでどうしようかなと思うのでしょう。死んだということは知りつつも、まだまだ僕にとっての犬二匹は、もう使わないけど部屋の片隅にでんと構えるMDプレイヤーのように、まだ居なくなってはいません。僕のためには、いつか僕が僕でそれを部屋からどかしあるべき場所に配置し、それをもって「弔った」と宣言しなくてはならないのだろうなと思います。

生まれてみたもののまだまだたかだか二十余年、死の整理の仕方はまだまだノウハウ不足のところではありますが、そういうことも少しずつ覚えていかなくてはならないのだな、と感じる次第です。アイコンもいい加減変えなくちゃな。嘘ですけど。アイコン別に縁もゆかりもない知らない犬ですけど。以上です。

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