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駄訳・ネットでの批評とか批判とか

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何かしらが発表されるとそれについて二言三言、言いたくなるのは人の常だ。

発表されたこと、いわゆる「公的な発言」がその言いたくなる対象であり、かつてはラジオやテレビや書籍や映画、そういったところで発表されたものこそがその対象で、それに対して会社や学校、または家庭の食卓など、そういった場所でみんなはマヨネーズがかかったキャベツの千切りをむさぼり食べながら、あーだこーだと批判や批評を行っていました。これは会社や学校とて例外ではない。掃除当番の時にホウキでキャベツの切れ端を集めるのがイヤでイヤで仕方なかった俺は、ある夜家を飛び出した。この街から出て行こうと決めた。あ、今戻らないと戻れなくなるので戻ります。

さて、時は流れて現在。インターネットっていう銀河ギリギリぶっちぎりのすごいやつがインフラとして社会に浸透するようになりました。それにより、かつては家族や学校や会社、ごくごく狭い生活に根ざしたコミュニティの潤滑油として機能していた程度の批判や批評が全世界に向けて発信されることが可能になりました。かつて「公的な発言」をただ撃つことに徹していた一般人の批判や批評が「公的な発言」になりうるようになったのです。

一口に批判や批評と言ってもその内容はさまざまです。それこそ二言三言で終わるような「つまらない」「こんなつまらないこと書くやつは死ね」「死に方を指定したDMを送りました。その内容を確認の上そういう死に方で死んでください。つまらない死ね。」「死っちゃか滅っちゃかになってください。あとつまらなかったです。」「殺すぞ」というものもあれば、発信できるからこそ二言三言では終わらないものもあります。「僕はこれを読んでこうこうこう思いました。それでこう思いました。ここがこう違うと思いました。それを受けて僕はこうこうこう思い、こうすれば良いのではないかなと思いました。つまりこうです。こう思いました。高橋愛ちゃんがモーニング娘。を卒業してからも。僕は。ずっ。と。応援。を。していきたいと思。い。ます。」というような、内容がたっぷり詰まった感想をブログにたしなめることも僕らには可能になりました。

繰り返しになりますが、このような一般人の感想が「ほぼほぼ公的な発言」としてインターネットに発信され、万人の目に触れる世の中が今あなたの眼前にあります。瞼を下ろしてください。その時あなたの瞼の向こう側にはそんな世の中があります。よって、そのような一般人の感想もまた、一般人の批評や批判を受ける可能性があります。

しかし、批評や批判が投げ込まれる対象にははっきりとした傾向が見られます。「つまんね」や「つまらない。死ね」「つまらないこと言ってるやつは線路に足が挟まった幼馴染を助けようとして二人とも死ね。」「二人が死んでからちょうど10年の日に電車に吹っ飛ばされたバラバラ死体をうまくつなげるミニゲームがGoogleのTOPになれ。なぜならつまらないから。」などの取るに足らない感情的なコメントは槍玉にあがらず、自分なりに丁寧懇切に書いた批評こそが攻撃の的になります。後者の方がはるかに建設的なはずなのに、前者が黙殺されて後者が攻撃される現状は、僕は、おかしいと、おかしいと、おかしいと思うわけですよ!それでは聴いてください、『これで自由になったのだ』。


これで自由になったのだ - YouTube

いや、なんか思いついてやっただけなので、別にここから先、これを聴きながら読まなくてはならないとか、そういうのは一切ないです。すいません。

二言三言の中身のない罵倒も、うんうん唸ってピピッピドゥー書いたブログ記事も、同じ「感想」であるはずなのに、なぜ後者ばかりが叩かれるのだろうか?むしろ前者よりかはよほど丁寧にやってるはずなのに、前者はスルーされて後者がまた晒し者にされて叩かれる。これってちょっとおかしくないですか?

「お前はリングに上がってきたから殴りあいオッケーだろ?」って事?
リングの外から石投げてるやつはスルー?
いや、オレもリングに上がってねぇよ 笑
リングサイドで「あの試合はかなりしょっぱい試合だった」って言ってるんだよ?
なのにリングの上に引っ張りあげられてしまう。
ボクサーへの批判じゃなく試合の批評をしてるってのにさ。
それを大声で言ったらボクサーにリングへ上がって来いって言われる。
なんだこのシステムは?

(太字はそのままコピペしてます)

無難な毒にも薬にもならないコメントは注目されなくて、一生懸命書いた意見は火達磨になるの?そんなのおかしくない?そうやって火達磨にしていいかどうかの規準はどこにあるの?プロ?アマ?プロとアマの基準はどこ?どのツールなら火達磨にしていいの?ツイッター?facebook

そうして考えてみると、「こいつなら火達磨にしてやっていいだろ」って個人個人の軽い裁量で判断して槍玉にあげたりあげなかったりするっていうのは良くないと思う。

旧来的な「批評」「批判」「感想」「悪口」みたいな枠に当てはめて考えるからズレが起きる部分があると思う。

(太字はそのままコピペしてます)

悪口は火達磨にしてやっていいかもしれないけど、悪口か悪口じゃないかは読み手の受け取り方次第じゃん。「公的な発言なら叩いていい」とかできればわかりやすいけど、いまや個人の発信だってすごい数の人に読まれて、ネット上の発言はぜんぶ公的になりうるよ?じゃあ他に何を基準にする?「良い」か「悪い」か?個人差じゃんそんなの。そんなので叩かれたら堪らないよ。よしんばそれを基準にしたとしても、じゃあ俺が「悪い」と思ったからそれについてコメントを書いたにしたって「何言ってくれてんだオラ~」って絡まれるとか、なんなのよ。あんたなんなのよ!それ以上近づいたらあたい舌噛むよ!

そんな世の中なので、「良い」か「悪い」かで判断する、ってことがもう時代遅れなんじゃないかなと思うわけですよ。

はてブでは、面白いコメントを至上にしたらどうだろうか?

はてブは面白いコメントを至上にしよう」って言うのはだからパラダイムシフトの提案なんすよ。
旧来然とした「良い・悪い」の評価軸では無い、新しい軸を持ち込めばそこでパラダイムが新しくなる訳でしょう?
多分そこまで伝わってないけど 笑
書いてないから。
良いコメントは書こう、悪コメントは止めよう。
それって聞こえはいいけど、旧来のやり方を敷衍してるだけの話じゃね?
結局何の解決にならない。
そんなところで思考がウロウロしててもどこにも辿りつけないんだよ。
「ネットにおける批評について考えてみよう」なんてもっともらしく敷衍しても、答えもろくに無いのに考えたからって自分だけ満足して、行きつく先は今までに無い形態の情動システムツールの実態とそれを捉えきれない旧来の思考しかないんだよ?

言語的に何か新しいジャンルとか考え方・捉え方が必用なのかも知れない。
バカにでもわかりやすく納得できるオブラートとしての。
今やセーブアイコンもフロッピーじゃ古いってなってるのに、ネットの新しいコミュニケーション間の批評・論に対して正確にそれを表現する言語が無いのは問題だろうよ。
無理矢理、旧来の言語に当てはめてる。
個人が情報発信元になって別の個人がそれを見て評価してそれを書いて、その書いたものをまた別の個人が見て評価して書いて...そんな事を想定していない時代につくられた言葉でやりくりしてる。
新しい働き方「ノマド」みたいなさ、なんかそういう造語は無いもんかな。

(たぶんまとめ的な本当に言いたいことを馬鹿馬鹿しく書き直すの難しいなと思ったのと、あと力尽きたので、太字はそのままコピペしてます)

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ネットでの批評とか批判とか
http://azanaerunawano5to4.hatenablog.com/entry/2013/05/17/122348

上記を読みました。これについて何か書こうかなと思ったんですけど、まずはリンク元がどういうことを言ってるのか、とりあえず 僕なりに読み下してとりあえずそれを僕の言葉で書き直そうと思ったんですけれど、まさかサンボマスターが出てくるとは思いませんでしたけど、僕が書き直したやつは僕フィルタこと俺フィルタを通過してますので後々のそれに対して俺が言いたいことに「なるへそ」となりやすいようにはなってる、そういうフィルタはいやがおうにもかかってしまう、そんなフィルタこと俺の名前はフィル田はじめ。食パンは焼いて食べるに限ると思う小学3年生だ。

そんなノリで、とりあえずフィルタは無意識にかけつつ、上記の記事が言っているようなことを出来るだけ再現するように書いてみて、俺が何か言いたいこれは何を言っているんだろう、を俺の中で飲み下してみたお遊びでした。

これにじゃあ何言うの?っていうのは、なんと明日書くんですね。なぜなら今もう眠いから。最初はそのまま全部書ききるつもりだったんですけど、なんなら「まずは僕の言葉で書き直してみましょう」で結ぶような冒頭文もあったんですけど、疲れたのでもうやめときます。また明日書きます。たぶん。

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