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アラジン面白すぎて何も言えないので序破急のこととか書いた

アラジン観ました。この前テレビでやってて後半だけ見れてめっちゃ面白かったんでDVD借りてきてもっかい全部観ました。

アラジン スペシャル・エディション [DVD]

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えーと、未だかつてないくらい書くべきことがないです。なぜかというと完全無欠で面白すぎたからです。吹き替えで見た後に字幕でもっかい観ようと思えば全然観れたくらい面白かった。「あ、たぶん俺どうせそのうち買うな」と思ったんでやりませんでしたけど。「見ろ。」まじでこんだけです。超面白いからつべこべ言わず見ろ。いや、そんなわざわざ見ろって言うほどマイナーな映画でもないだろ。ディズニーってそういうのちゃうやろって話なんですけど。で、まぁ書くことないから書かないよなんて俺は一言も言ってないし寿司が食べたくないとも一言も言ってないんで誰か寿司奢ってください。んでなんか書くんですけど。

どう面白かったとか書いても仕方ない、まじで「見ろ。」しかないんですけど。なんか作品中で最もパワーを持っているジーニーが作中で最も不自由な存在であり、かつ不自由でありながらも演出上でも最も自由に造形を変化させるその対比がうんたらみたいなのを大学一回生の一般教養「映像論」のレポートで書く、みたいな架空あるある。民族問題とかうまいこと盛り込んでて主人公の内面とか価値観もいい感じに成長してるよね、とかそういうのも俺がわざわざ書かなくていいでしょ。糞つまんないAmazonレビュアーが書いとけ。とりあえず四の五の言わなくても見りゃわかるから。見ろ。そして俺の目を見て「面白かったです」と言え。お言い。

うわ、本当に書くことない。えーと、んじゃ、まずなんで今更なんだ、とか。いやテレビでやってたからなんですけど、その時お前はアラジン初めて観たんか、って言うとたぶんそんなことない。少なくとも中学生の時に1回音楽の授業で見たような気がする。でもあんま面白かったーとかの記憶がない。理由は3つほど思い当たる。一つは当時僕がまだ馬鹿だったから。ひねくれてたのでそういう王道を楽しむのはダサいと思ってた可能性はありますね。二つ目に、学校の授業で見たから。僕は当時学校の授業は極力不真面目な態度で受けるものだと思ってたのでちゃんと見ようとしてなかった可能性がある。三つある理由のうち二つが中二病じゃん。で、これさっき3つありますって言った時に思ってた三つ目じゃないんすけど、テレビめっちゃちっちゃかった。学校あるあるって地域差あるんでアレですけど、なんか今考えたら馬鹿じゃないのってくらい学校のテレビって小っちゃかったでしょ。道徳の授業でさわやか3組とか力道山の試合とか見るじゃないですか。ちっちゃいバギーカー乗ってる力道山にみんなで頑張れーつって。あのテレビ26インチもなかったような気がする。子供の頃の記憶だとモノは実際よりでかく記憶してることの方が多い気がするんだけどな。まぁいいや。

ちゃんとした三つ目なんですけど、いやちゃんとしてないんですけど、ポッと出の主人公が身体能力高いアニメってなんか見にくいとか魅力を感じにくいみたいなんが昔めっちゃあったような気がします。天空の城ラピュタとかも同じような理由で大人になるまで苦手で面白く感じませんでした。ルパン三世とか両津勘吉とか、シリーズものでキャラクターが確立してる生身の人間はどんだけ荒唐無稽に暴れてくれてもいいんですけど、「いや、主人公ですねん。」とか言われても「いや、そこらへんの小僧じゃん。そもそもそういうどこにでもいる小僧が冒険するみたいなん狙ってますやん。」って思っちゃって、なんでそんなジャリ小僧がめっちゃ身体能力高いねんチートやないかみたいなんに子供の頃すごい納得いかなかった。大人になってからそういう様式には目を瞑れるようになったけど。ただ、今考えてもむしろなんで同世代のみんなはそこをスンナリ許容できてたのかは不思議だ。俺が運動超絶苦手とかもあるのかもしらん。

でねー、いやー、書くことないな。見ろ。あのねー。あ、じゃあ序破急の話しましょう。めっちゃ急ですけどもはやアラジンほぼ関係ないですけど。そのうち書こうと思いつつなんか書く元気出る何かしらが見かけられなくてずっと書いてなかったやつ。

というわけで序破急の話します。これは物語でも単なる文章でもギャグでも何にでも当てはまると思うんすけど、起承転結はあれ成立してるんだとしたらあくまで論理的で読みやすいかどうかに関係する話で、面白いかどうかにはあんま関係ないかなとか思うんですよ。で、面白くするコツみたいなんで考えると序破急が面白く感じる原理として一番説明しやすいというか例外見当たらないなーって日々思ってるんです。一般的な序破急の使い方でいうと、たとえばアラジンのあらすじでざっくり言えば序でアラジンがランプ探しに行って、破でジーニーが出てきて、急が最終決戦からの大団円みたいな、急が転結の両方を表してるんですよみたいな超絶雑な解説が多い気がします。そういう解説する人はね、序破急使わんでいいじゃん。起承転結って死ぬまで言っとけ。子供じゃないんだからワード先行でどや顔するんじゃないの。

僕の中で序破急というやつは、僕らの意識が捉えるこの世界というやつが変化していく過程を表してくれてる言葉です。序というのは、まず最初に見えている世界です。世界にはルールがあります。秩序でもいいかもしれません。それは外部にまさに在る、あなたに適用されるルールかもしれないですし、逆にあなたが世界を把握するために世界に課すルールかもしれません。何しろそのようなルールがないと、何が何やらわけがわからなくなるので何かしらのルールはあなたの中あるいは世界から常に提示されまくっています。そして破です。破では、序の段階であなたが受け入れて採用しているルールの例外や対立する別のルールが発生します。当然パッと見で帳尻は合わないために大なり小なりのカオスが生じます。無秩序っす。そしてそこをなんとかかんとかこねくり回して、至るところが急です。急は、破でわけわからんなってしまった無秩序状態が序の時とは違った新しいルールによって回復してる状態なわけですね。

書いててだいじょぶかって思いましたけどこれ雑すぎて伝わらんやろって感じですけど。まぁ大体なんかそんな感じです。「ルール」という言葉は割と何にでも言い換えられる気がします。思想でもいいですし理由でもいいですし認識でもいいですし価値観でもいいですし、あなたが持っていると安心するものであれば割と何でもイケます。で、いろんな言葉に言い換えてってみるとびっくりするくらいいろんなものがこれで説明できてしまいそうな気分になります。まぁ、なんかややこしく言うてるからアレなだけで結局「納得してる⇒納得してない⇒納得した」ってだけの流れなんで当たり前っちゃ当たり前なんですけど。

で、この序破急という考え方は別にでっかい物語にも適用できるんですけど、ミクロなところで意識した方がなんか有効活用できること多いような気がします。気付いてないだけで、5秒で序破急を体験してるような出来事が毎日起こりまくってます。自分がどういうルールに従って今世界を認識してるかとか、すべてを追いかけきることはそりゃ無理だよって話なんですけど、そこをどれだけ捕まえられるかってのは、なんか楽しくていいですよ。

なんでこの話をしたのか忘れたというか明確にはなんで書こうとしたのかわからんまま書き出してたんで思い出したですらないんですけど、そういえばジーニーが歌うシーンがそんな感じで序破急のラッシュだったんすよね。ルールを作る、ということは今目の前で起こっていることを認識して納得するために行う作業なので、そこに言語化できるストーリーがなかろうとそこに変化するものがあればルールの更新も常に行われ続けます。「ジーニーはこういう風に振る舞うものである」というルールを僕は僕がアラジンを「ん?」とならずに見るために僕はずっとルールを作りながら見るんですけど、ジーニーが自由なもんでそのルールをめまぐるしく更新せにゃあかんくなるわけです。そういう脳汁ぴゅーぴゅーみたいな。というか全編通しての展開のかっ飛び方、なんかもうずっと序破急だった。「アリなのねオッケー!それゆけアラジン!」みたいなルールの更新が秒単位で起こってそれが2時間延々続くみたいな。たぶんそういうとこの凄さがあんだけ面白かったんかな。何がおもろいのかうまく言えないくらい面白いってのはそういうことなのだろう。アラジン超面白いです。見ろ。以上です。

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