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「上手な文章の書き方」みたいな記事の内容が「書かされ方」だったのでむかついたのでなんか書く

これは書くことがとことん苦手な人のために書いた文章です→小学生から大人まで使える素敵な方法
http://readingmonkey.blog45.fc2.com/blog-entry-682.html

上記読みました。で、まぁこういうTipsが1000個合って1000個とも糞の役にも立たんよと言い切ることはできないんですけれども、僕の肩に白いカラスが留まる可能性は僕の人生が続いていく限りはなんぴとにも否定はさせないんですけれども、少なくともこの文章においてはこんなもん参考にしてると糞つまらん文章しか書けないしそんな文章書いてて面白いわけがないのでますます書くのが嫌いになるから止した方がいいよ、というような話をします。

まず、上記のブログでは「最初に具体的な出来事・事例から書き出せ」と言っております。具体的なところから始めるのは、抽象的なことは扱いづらいから、とのことです。はい、これは一見まともなことを言っているように見えます。が、一つスッポリと抜け落ちてる部分があります。それは、「なぜ書くのか?」という動機の部分です。

 小学生に教室で書いてもらう場合には、素材を集める範囲を指示します。

 たとえば「遠足について書きましょう。遠足に関係あることなら何でもいいです」というふうにです。

 加えて「遠足でどんなことがありましたか? 思い出せるかぎり、いくつでも書き出してみましょう」という指示が出ます。

ここで指示されている小学生たちはなぜ遠足についての作文を書くのでしょうか? それは先生に「書け」と言われたからにほかなりません。それで仕方なく書かなくてはならない時、どうすれば書きやすいのか? 事実から書くと書きやすいですよ。だって事実を書くだけだから。上記は要はそういうことを言っているわけです。方法論としては正しいかもしれませんが、こんな文章を書いていったい何の意味があるというのでしょうか。もちろん「書くことはつまらない。無意味だ。書けなくていい。」なんてことを思い立ったらバカスカと書きなぐる性質を頑張って獲得しようとしてる僕が主張するわけはないのですが、こういった書き方が有用だからこれで君も書けるよ! なんてことも到底言わないわけです。こんな「上手な書かされ方」なんて糞食らえです。息子がこんなもんを参考にしてたら僕はそんな糞みたいなもの参考にするなという論旨の作文を息子に提出するでしょう。ていうか、それが今書いてるこれです。

具体例をいくつか書いたら、次にその具体例の共通点を探しましょう、と続きます。なぜ「いくつかテキトーに事例をピックアップしたら何かしらの共通点がある前提」でこの人はしゃべっているのでしょうか。いや、無くはないですよ、何かしらの共通点はそりゃぁあらゆるAとBに見出せることの方が多いです。僕も貴方もおっかさんのお股を出でてオギャーと言いました。しかし、それが僕と貴方にとって何だというのでしょうか。いや、何だあーだということは出来るんですけど、それが出来るのは僕あるいは貴方がおっかさんのお股から出でたその事実に何かしらのパッションを迸らせている場合に限ります。それがあるかないかもわからん状況でとりあえず何かしらの共通点を見出せというのは、果たして意味があることなのか僕には疑問です。

低学年では情緒的・感想的なまとめが多いですが、年齢が上がると概念的な共通性を取り出す〈まとめ〉が増えてきます。

 一口に概念的共通性といっても、も既存の分類をそのままつかったものから、独自の見立てによるオリジナル性の高いものまで様々です。

 具体的素材を束ねる〈まとめ〉が書ければ、文章は8割方書けたも同然です。

 共通点を取り出すのが難しく、うまく〈まとめ〉を書くことができない場合は、〈なか1,2〉を書くステップに戻って、具体的な素材を選びなおした方がよいかもしれません。

事実の中から何かしらの共通性を見出した時、それはありきたりなものかもしれないし、オリジナル性の高いものかもしれない。それは具体例の中から何かしらを見出すまで分からないけれども、何かしらが見出せればとにかく8割がた書けたも同然です。もし共通性が見出せなかったら具体例を書き直しましょう、と言っています。いや、これのどこが「文章が苦手な人でも書けるコツ」なんですか。結局「うまいこといくまでクジ引きを引き直してください」以上のことを言ってないでしょこれ。具体例を先に書くことでクジ引きの難易度は下がってるから有用だ、という見方もあるかもしれませんけど、ここで注意しなくてはならないのは「そのクジ引きが当たりかハズレかを決定するのは書いた本人である」ということです。「オリジナリティがないならないで構わない、感想でも構わない」というようなことをTipsでは言ってますけど、これ想像の部分も大きいんで言いにくいんですけど、特に子供で「書けない」理由って、そうやって書かされた具体例から取り出せる共通性が「わざわざ書くほどでもないこと」しか浮かばないから詰まっちゃうんじゃねぇかなと思うんですよね。物語を書きたいけど書けない人でも、「わざわざ書くほどの仕掛け」とかが浮かばないからまだ書かないんだ、構想を目下練りまくってるんだ、て奴がアホほどいるわけじゃないですか。こういう構造は子供でも大人でもたぶん大体一緒だと思う。で、それに対する助言が「具体的な素材を選び直した方がよいかもしれません。」って丸投げにも程があるだろ。

で、ここまででもう俺はこのやり方に対してかなり諸手を挙げてドロップキックだふざけんなというスタンスをとっているため、更にその先に難癖をつけようとしても同じことの繰り返しになってしまうのでサラッと行きます。共通性を見出したら後は楽勝で結びを書けばいい、とのことです。

 「ぼくのお父さん」という領域で素材を探し、お父さんの(ある日の、そして別の日の)行動が具体例として集まり、「ぼくのお父さんは、はたらきものです」という共通点=〈まとめ〉が取り出されたとしましょう。
 この後に、「ぼくもおとうさんのようになりたいです」と書くのが、〈むすび〉の例になります。〈お父さんは働き者〉という取り出されたものが、書き手のあり方という別の文脈に適用されています。
 この部分は、従来の作文教育では「未来の自分を書きなさい」などと指導されていたところです。
 異なる(より広い)場面や文脈に適用する一般化と捉えなおすと、大人が書く実用文までが射程の内に入ります。

見出した共通性を他の文脈に適用させることで文章全体を意義のあるものにする、というのが「結び」だそうです。これもクジ引きですよね。きっと他の文脈に適用させたいような意義が見出せなかったらまた具体例のところまで戻らなくてはならないのでしょう。

で、ここまで何とかクジ引きを強運で勝ち抜き、なんだか意味があるっぽい風の文章が出来上がったら、この文章全体を簡潔に説明した要約・紹介を頭につけて出来上がりです、とのこと。いや、まぁそりゃそうだろう。「全文があれば、冒頭文くらい書けます。全文が出来上がるかどうかはくじ引きか絵めくりです。」って言ってるだけじゃん。

さて、このTipsはまず「書かなくてはならない」という前提があって、とりあえず自分の気持ちや意見は置いといて事実を書き出して、その事実の中に自分なりの共通性を見つけて(なぜなら共通点がないとまとめられないから)、その共通性を普遍化して(なぜならそうしないと結べないから)それを他の話につなげなさい、という論法になっていて結局書き手自身の「書く動機」というものがどこにも見当たらないんですね。共通性を見出したりそれを普遍化するというテクニックは確かに書くうえで有用なんですけれども、そこまでして書かなくてはならない理由というものがそもそもない状態で、共通性を見つけてそれを普遍化しようとすれば、その内容は本人にセンスがあったりその時たまたまアドレナリンがドクドク出ていない限り陳腐でつまらないもの・わざわざ書こうという気が起こらないものになりがちですし、結局それこそが書けない人が書けない最大の理由でそれを何一つ解決できてないじゃんかよこれ、と思うのです。

結局、ここで言ってる内容ってある程度書く地力がある(共通性を見つけて普遍化する能力・技術がある)人が、書きたくもない題材があった時にうまいこと字数を埋めたい時に有用なTipsであって、これを参考にしたところで書けるのは先生向けの行儀のいい感想文とか星めっちゃつけてもらえるつもりで書かれた全然読む価値のないAmazonの書籍レビューくらいじゃねぇかなと思ってしまう。

そういうものを書くことが求められることもあるけれども、まずそれを入口の「書き方」として教えるのはなんか違うなとか思うし、そういう文章が書けない奴に書かせようと思ったらもっと根本的に足りてないところいわゆる書く動機をうまく引き出してやるアプローチが必要なんじゃねぇかなと思った。こういう話って「何を書きたいか」っていう前提が全然共有できなくて、しょせん僕のこの文章も僕自身の「文章はこう書かれるべき」っていう主観がエッセンスとしてふんだんにウォーターフォールされてるのでアレなんですけれども、小学生に教えるにしたって「なんとか書いて書いてないじゃんと怒られることを避ける方法」を教えたって仕方ねぇだろとか僕は思うのです。

「じゃあどう書けばええねん」って話に当然なるんですけど、長くなったんでまた夜にでも書きます。簡潔に書いておくと「まず思ったこと、意見を書く(書く動機を表明する)」⇒「意見の論拠となる事例を書く」⇒「書いてみて書き始めた当時の自分に比べて意見は変わったか、変わらなかったか、を書く」⇒「全体を書き終えた感想として、そもそもなぜこれが書く動機となったのかに思いを馳せながら、書いてみて思ったことを書く」です。この記事含め僕はいっつもこの調子です。これに従って書くと一般的に悪文と呼ばれる文章の出来上がりですが、論旨が明快な良文ってよっぽど書いてる人の思想に下地があったり専門性の高いジャンルの内容でない限り自明でわざわざ読むまでもない文章の方が多いと思います。悪文であろうとも論旨が明解で無かろうとも、まず書かれるべくして書かれた文章であることが文章を書くうえで重要だし読んでて面白いんじゃねぇかなと僕は個人的に思います。以上です。

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