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二十歳の時に岡部くんが魅せたイリュージョン的な面白トークのあの感動を俺は今どこまで書けるのか

前のエントリでも書いたが高校時代の友人と久々に会った。大学を期に故郷を離れ大阪に移り住んだ結果、高校時代の友人って今ではもうほっとんど交流がなくて脳は定期的に思い出さないものはガンガン忘れていくように設計されているので複素数平面や化学反応式と同様に高校の同級生のことなど年月を経るたびにどんどん忘れていってしまい、今では青春を共にした学友の顔を思い出そうとしてもほとんどたけし軍団の顔しか浮かんでこない有様だ。それだのに、ちょっと感傷的な言い切りの書き出しでこの文章がスタートしたのは、高校時代の友人で一人、どうしても忘れられない奴がいて、高校時代を思い出すと結局そいつのことを考えてしまうようなことがあって、それについて書こっかなと今スナック感覚で思い立ったからだ。

岡部くんという男がいた。高校3年生の時に同じクラスで、その後1年間の浪人時代を共に過ごした。むしろ思い出すのは高校時代というより浪人時代なのかこの話は。なんか、まぁ、僕と岡部くんは共に浪人生として生きていくはめになったので、多くの時間を共に過ごすはめになったわけです。高校生の時仲良かったかどうかは忘れた。別にそんな良くなかった気がする。なんかね、通ってた高校はそこそこの進学校できっと偏差値はそこそこに高かったのだろう。で、風潮的には国公立がピンキリレベルで結構ラインナップが揃ってる地域なので、そこらへんのどっかしらに現役で合格するのが正義、みたいなそういうノリはあったのだろうと思う。浪人する人はそこそこ少なかったような気がする。それが少ないのか普通なのかは他の高校がどんな感じか知らんので何ともですけど。ともあれ、僕と岡部くんは浪人生となった。僕は当時馬鹿丸出しだったのでまぁそうだよなって思われてただろうし自分でもそう思ってたし弁当にマグロの目玉が入ってないの自分くらいだったんで仕方ないわな、ってもんでそんな気にしてなかった。ただ、岡部くんが当時どんな感じだったのか知らない。元々の学力がどれくらいでどこらへんの大学をどれくらいの意気込みで受験して、落ちたのか何なのか、聞いてないんか覚えてないんかは忘れた。

浪人時代は同じ予備校に通って、新しい友達作るのも億劫だしな、てことで僕と岡部くんはよく一緒にいた。岡部くんの借りてる下宿でダベったりとかよくしてたんだけど、岡部くんはとにかくなんだこいつというくらいネガティブで露悪的で自己嫌悪と自己憐憫がシナジー的な昇り龍となり、傍目から見てても深刻で笑えるやつだった。浪人生であるという自分の状況をすごく卑下して生きてるだけで窮屈な旨を常に吐露し続け、この状況を脱出するためには勉強して1年後に結果を出すほかないわけだがそんな中昨夜は勉強もせずに3回もオナニーしてしまったもうダメだ、とかそのようなことを1年中言っていた。ただでさえ大変な優しい臭いをなるだけたくさん嗅いだ方がいい状態の岡部くんであったが、そのうえ彼は普通の勉強する大学にはあんまり行きたくないけどそれを親に言えないでいるという状況が日々ダブルパンチだった。なんか絵かデザインか何か忘れたけど、そういうのに本当は進みたかったみたい。でもなんかアレは親の考え方の問題なのかな、そういう圧力あったんかな、わからんけど、なんか普通の大学を受験するための勉強を岡部くんはしていた。この自己矛盾が岡部くんの自己嫌悪を加速させる。

5月、6月、7月、8月と岡部くんは順調に悪化していった。ただ彼の自虐トークはそこそこ軽快でサービス精神を実装していたため、僕は大変面白く見守っていた。実際のところ、彼がどれくらい深刻に考えていてどれくらい吐きそうだったのかが今となっても僕にはよくわからないでいる。それで秋ごろくらいかな、岡部くんは遂に決断する。なんかそっち系の専門学校を受けることに決めたのだ。普通ならじゃあ後は勉強に打ち込むだけだねってなるんだけれども、決断を下したくらいじゃ岡部くんの自己嫌悪は全く収まらなかった。むしろ悪化していた。曰く「才能もないのに、一般的な受験のレールを外れて才能の世界に飛び込む俺はクズだ」「高校3年間そしてこの半年間をドブに捨てた俺をみんなは馬鹿にするはずだ」とか、おおむねそういった内容だ。基本的に岡部くんのそういった発言に僕は割りと丁寧に対応してたような気がする。お手本みたいな「そんなことないよ」や「こういう風に考えればポジティブさ」的なコメントを寄せていたように記憶する。岡部くんはそれに一瞬納得した風の顔をするがコンマ数秒後には「だけど俺はダメなんだ」とグルッと一回転のレーンを駆け抜けて加速したソニックザヘッジホッグの顔で再び自虐を始めるのであった。僕も別に何とか岡部くんに心から立ち直って欲しいとも立ち直るかもとも思っていなかったので、それに気を悪くするでもなく岡部くんがよりたくさんのリングを集められるよう加速度満載のレールを設置するばかりであった。

あーおれまだこの話ちゃんと面白く書けねぇな挑むの早かったなと思ってるんですけど、せっかくだしこのまま続けるんですが、まぁ、なんやかんややってるうちに1年が終わり、僕と岡部くんはそれなりの志望校に合格することができました。ここで一旦はお別れです。覚えておくべきはとにかく岡部くんは自己嫌悪がハンパなくて、自分で自分が気に食わなすぎるしそれゆえ、他人も自分に同様の手厳しい見解を寄せているのだろうと信じて疑わない男でした。その原因が何なのかは俺にもよくわかりません。

さて、時は流れ一足遅れてスタートした大学生活を満喫してそろそろ一年を迎えようとしていた頃、地元で同窓会の話が持ち上がりました。僕は間もなく二年生、順当に進学したほかの旧友は早くも3年生になろうというタイミング。せっかくだし参加しようかしらんと思った僕は早速岡部くんに連絡をとることにしました。かくして、岡部くんは笑える意味であの頃のままの岡部くんでした。「みんなに会わせる顔がない」みたいなことを言うわけですね。何がだよって話なんですけど。別にみんなのカンパでお前の浪人生活を支えてたわけじゃねぇだろって感じなんですけど、それなりの大学に入ってるみんなと違いわけのわからん専門学校だか何だかに通ってる自分が行くわけにはいかない、みんな俺のことを馬鹿にしてるに違いないんだとかそんなことを言うわけです。執拗に同窓会への参加を拒むわけです。で、そんな彼に僕が言えることと言えば「うるせえよ馬鹿」ってことですよね。「いいからこい」ですよ。そんなんみんな気にかけちゃいねぇんだから、近況報告なんだよ来いよ馬鹿、て話で。結局、放っておくと来なさそうなんで当日お前んち迎えに行っからつって。

で、当日岡部くんち前に僕とほか何人かで集合するわけです。おーかべくーん遊ーそびましょーつって。そしたら岡部くんもうベロベロなの。一人で先んじて飲んじゃってんの。どんだけ会いたくなかったんだよ。彼の中でどんだけシュミレーションしてたんか知らんけど、彼が下した結論は「シラフでは無理」だったわけです。で、まぁ仕方ねぇからベロベロの岡部くん連れて向かうわけですよ。ちょっと気付けに一杯とかじゃないの。もうベロベロなわけですよ。居酒屋に向かう段階でもう既にうるせぇうるせぇ。「もうだめだ」「俺のこと馬鹿にしてるなら面と向かって言ってくれ」とかずっとそんな調子。居酒屋でみんなと合流してもずっとそんな感じ。幸いだったのはそんな岡部くんなので波がすごい激しいのね。喋りだしたらもうずっとどうしようもないことを言ってるんだけどちょっとしたらダウナーなモードに入って風下に潜むチーターみたいな目つきで黙り込んじゃう。で、またしばらくしたら風向き変わっちゃったのかな、危険を察知して走り出したインパラを追うチーターみたいにまた喚き出すの。

さて、ところで今更なんですけど、皆さんこの岡部くんという男をどう思われるでしょうか? まぁウザいのは大前提なので置いておくとして、彼がテンション上がるりっぱなしの小型犬ばりのスピードでで逃げ回るケツの穴が皆さんにはあったでしょうか? 僕は当時、めちゃめちゃありました。当時20歳の僕も岡部くんと同じように逃げ切れるはずもない自分のケツの穴から逃げようとそれなりに必死でした。だけれど、僕はそれをそれなりに隠すことも出来ていました。「僕の脳とケツの穴の距離はいたって適切ですよ」の顔をしていました。ケツの穴から逃げる僕を見せるということは、それは僕のケツの穴を人に見せることとイコールです。つまり岡部くんはオールウェイズ・ケツの穴丸出しだったなと今この僕は思うわけです。そしてケツの穴から逃げている時分だからこそ分からないこととして、ケツの穴から逃げようとしているのは果たして俺だけなのか?という問題です。今はもう大人なのでみんなそれなりに同じようなことをしていたのだろうと分かります。誰もがケツの穴から逃げ回り、それじゃあダメだとどこかで気付き、アナル追い込み猟を経てみんな大人になっていくものです。だけれど当時は若くて馬鹿なので、その当たり前に気付けない、俺だけなんじゃないかという思いが頭を過ぎりますし、その思いにリボンとジェットエンジンを搭載して放し飼いにしていたのがほかでもない岡部くんでした。

これ主観も入るんですけど、その日の岡部くんは死ぬほどウケてました。「ウケへんやろ、ウザいだけやろ」と貴方が思ったのならば、それは僕の力不足で、あの日の彼の面白すぎるトークを僕が再現することは不可能だなと今でも思うし、ましてやそれを文章に書き起こすことなど全然できないのですが、兎に角馬鹿ウケでした。「俺はもうダメだ」「ダメだと思ってるんだろ」「そんなことを吐露する自分が嫌いだ」「これをあえて言えばウケることもわかっている」「けどウケたくて言ってるわけじゃない本心なんだ」「お前らにはわかるわけがない」「わかるわけがないと言ってるのも嘘だ」「みんなわかってて俺だけがこんな調子だから俺がちっぽけなんだ」「俺は」「俺は」「俺は」内容はと言えばそんな調子でした。思い出せば思い出すほどあれやっぱウケてたん俺だけかなって疑い始めますけど。

思えば当時の僕はケツの穴丸出しの岡部くんにどこか救われていたのかもしれません。若者特有の自意識過剰を、人と前提として共有する術を当時の自分は持ち合わせていなかったように思います。岡部くんは割と最悪の方法ながらも、その術の一端を僕に提示してくれました。その時から今もそしてこのまま死ぬまで、ケツの穴に吸い込まれる僕の言葉を、ケツの穴ではなく外へ、人と世界に投げかけることは可能だということを僕はその時岡部くんに教わったのです。僕はあの時完全に感動していました。なので、だいぶ補正が掛かってますので、あの時の岡部くんをみんながどう思っていたのかは正直なところまじでわからん。内心はウザがられてただけかもしれない。ただ、僕には何かしら人に優しく自分に優しいエンターテイメントの完成形に見えた。岡部くんの恥ずかしいケツの穴披露芸にみんな本当に大爆笑していて、岡部くんはやがてまぁ当然の帰結として酔いつぶれて眠りこけてしまうんだけど、さんざまくし立てた挙句ほんと電池が切れたみたいに静かになった岡部くんを見つめるみんなの顔は、たしかにケツの穴をキュッと引き締めている顔に見えた。今でもあの日のあの居酒屋は僕の「すごいつながってる空間」の原風景だ。

いやー、スナック感覚で始めたらやっぱすげぇ長くなったうえに、特に本題に入る前の前半がたぶんすげぇ読むんかったるくてしんどい。あの時のあの感じを僕は常に目標にしているとすら言えるんだけれども、どうなったらあの時の岡部くんになれるのかは今でもよくわからない。というか、アレになりたいわけじゃないんだけど。まーこのエピソードは、「言葉ってなんだね」「自分はなんだね」「人と関わるってなんだね」という数多の問いに対する完全無欠のアンサーとして、蚤一振りも打ち込まれていないブサイクな岩石の形のまま僕の中に残り続けるのだろう。面白く、そして伝わるように話すのが本当に難しいが、それはもう長い人生なので落語のようにブラッシュアップしていくしかないだろう。で、まぁいつか岡部くん本人にあの時僕が受けた感動を話せたらいいなと思うし、あの感動をお前ら感じてたのかよとかつての級友たちに聞いてみたくもある。その後、なんか携帯のメモリ飛んだりとかで岡部くんとは音信不通になりあれきり会ってないわけだが、まぁここまで書いたとおりの岡部くんなのでfacebookで検索して出てくるはずもなく、今生きてるのか死んでるのかもわからんのだけど。まぁ俺も地元にめったに帰らんし、帰っても誰にも会うでもないしで、むしろ俺が呼ばれてないだけで岡部くんは当時の仲間と今でもちょくちょく会ってるよみたいな可能性もないではないんだけど。

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