←ズイショ→

ズイショさんのブログはズイショさんの人生のズイショで更新されます!

@clubtropixxx1 クラトロさんというナンパ師がなんか始めるらしい

世の中にはナンパ師という、知らない女性に街中でおもむろに声をかけてあわよくばイザナギとイザナミが淡路島を作る時に試みたソレまで漕ぎ着けようとする人類がおりまして、それはもうプリキュアみたいな全年齢向けの善玉では処理できないようなイレギュラーな存在がこのアスファルトジャングルで今日も跳梁跋扈しておりまして、彼らはツイッター上で普通に観測することが可能なんですけれども、僕はそんな人たちを面白がって観測しております。

彼らをいわゆる社会悪として捉えることは容易ですが、わざわざ観測している僕はもちろんそうは思っていません。この世界に生まれ落ちたからには誰しもが憧れのポケモンマスターになるべく生きているのではないか、本人が目指す目指さないに意識的無意識的であるに問わず、人は誰もこの世にたった一つの真理という引力を相手に詫び寂びを尊びながら独り綱引きをしているのではないか、僕はそのようなことをぼんやりと考えながらガリガリくんを齧る毎日です。嗚呼しかし、僕らには時間が足りない。151匹全ポケモンを完璧に育て上げるには僕らの寿命は短すぎるわけです。なので、僕が僕なりにリザードンを育てている横でなみのりピカチュウを育てている貴方を横目で観察したいというのはとても普通なことなのだろうとも思います。僕は僕でやって、僕ではない誰しもの人生も知って、そういうのが積もり積もったある日僕から見える世界を映すカメラはどんどんどん引いていき、やがて宇宙を突きぬけたカメラが両津勘吉の顔が描かれた地球を捉えた時、僕の頭に賛美歌が鳴り響き1億コンボだドン。僕はそのように考えています。

そんな、僕の人生の隣で僕とは違う人生をやってるのオールオッケーオールオッケー派ゆえにナンパ師おもろいオッケーオッケー派の僕ですが、先ほどこんな面白い話が舞い込んできました。

客観的に面白くあり続ける秘訣としてまず一つ方向性として、天井から吊り下げられた自我をいかにリズミカルに小刻みにぶん殴れるかというのがこれあると思うんですけど、そういう意味でクラトロさんは非常にエンターテイメント性のあるナンパ師の人で日ごろ楽しくブログやツイッターを拝読させていただいておりました。そんな彼がなんかブロマガを始めたとのことです。

なんかこう、「別にええんすけど、ええんすけどね」と思いつつもやもやっとしたところを書き記すのがこのエントリーです。これ僕のブログではいつもなんですけど、折り返しでやっと本題です。慣れてください。受け入れてください。この畑は、死んではいねーぜよー!*1

もちろん僕は金儲けに走りやがったぜあの糞がとか、金を儲けるのは悪いことだ、とかは全く思っていません。お金は素晴らしいですし、何かを施すことでお金を受け取ることは当然のことですし、何だったら僕も中卒の忍者を低賃金で雇ってすごい速さでパンを買いに行かせたりなどしているわけです。ものすごいスピードゆえに発生するカマイタチでやきそばパンを包むサランラップが破れることのないようにそっと抱きかかえるように中腰で走れと指示しているわけです。クラトロさんが金とって何かやることそれ自体には何の文句もないわけなんですけれども、それでも、それでもクラトロさんの今回の動きに対して、ちょっと思うところがある。ので、そのうえ今暇なので書いてます。今が夜の26時ですけど、昔このくらいの時間にNHK教育でアルフっていう所ジョージが吹き替えやってるコメディドラマがやってたと思うんですけど、あれが今はもうやってなくてこの時間暇なので、ちょっと書いてます。

ナンパ師がお金をもらって何か施すということは、別に今回が初なわけでは全然なくて、例えばもっともポピュラーなところで言えばナンパ講習みたいなのをやっている方々もいるそうです。何時間なんぼ、とかそういう料金設定になっておるそうです。例えば情報商材。まぁ、これはこれで怪しいしダメなパターンも多そうですけど、ナンパが上達するための虎の巻プラス、パッケージ化されたサポート体制でうん万円?知らないけど。まぁ、そういう風に金をとって何かしらを教えるナンパ師っていうのは別に一般的なものだとのことです。

そのうえで、何で僕がクラトロさんの今回のやつにわざわざこんなブログを書いてるかというと、クラトロさんの今回のプロジェクトは、販売しているものが明らかに前例とは異なるから、なわけですね。

例えば講習。お金を払って得られるものというのは「時間」になります。お客さんが成長するための時間への対価としてのお金をお客さんが払い、ナンパ師とお客さんは時間を共有するわけです。qqilleさんだったか高石さんだったか忘れたけれど、金は別にいらんけどお互いの緊張感をいい高さに持っていくのにお金の授受は必要、みたいなんはすごく腑に落ちた。

例えば情報商材。この場合はお金の対価は「情報」になります。お客さんは金を払って手元に届いた何かしらのマニュアルを頼りにお客さんは自己変革を試みます。あ、あのー、Aは良い、Bは良い、でもクラトロさんのは良いのか!?みたいな流れにしようと思ったんですけど、情報商材もまぁ大概糞でした。すいません飛ばします。情報商材は売るほうも買うほうも頭が残念です。森に行って、森の臭いを嗅いでください。

それで、件のクラトロさんの今回のやつなんですけど、あれは何を売りたいんでしょうね。それがとりあえず「よくわからん」というのも僕のもやもやを促進しているわけですが、一番恐ろしいのは「関係性を買う」だと、それすごくヤバいよ、ていうことだと思うんですよね。一方的な情報を配信するのは、本と同じようなもんなので別に何の問題もないと思うんですけど、どうも概要を読んだところではクラトロさんは双方向的なものをサービスとして提供しようとしたがっている。それを商品とするっていうのは、果たしてトータル的にグッドなのかどうか、というのがチンチロのサイコロの代わりになってもらいたいくらい俺の中でよくわからん状態です。

恐らく、課金者の対象は、ナンパ師か・ナンパ師に憧れるモテてない人、あと全般的なイケてないという自己認識の女性になるのではないかと思います。全般的に何らかのコンプレックスを抱えた人間がお金を払う人になるかと思います。そういう人たちが、クラトロさんにお金を払いクラトロさんに接近する、ということが何を意味するのかはハッキリとは僕にはわからんわけですが、少なくとも思うのは、彼や彼女はお金を払うことでクラトロさんを有難がるしクラトロさんにお金を払うこと自体である種の特権意識を得ることすらあるかもしれないなぁとかそういう話です。

すいません、この段落を色々書いては消して書いては消してしてたんですけど、うまい流れが見えなかったので、飽きてきたし丁寧を放棄して結論まですっ飛ばすんですけど、危惧するべきは、強者と弱者がお金でつながるんならそれはまずいよ、てことなんだと思います。現状では概要わかんないですし、お金払わなくちゃならないならなおさら僕はお金払わないんで概要わかんないんですけど、そういうクローズドな感じにもしなるのならそれはそれ自体まずいですし、オープンにするならオープンにするで、じゃあお金払った人には何をどう与えるんだよ、てところになるでしょう。それが時間なら健全でしょう、一方的なコンテンツならその取り扱いの是非はお客さんにゆだねられるべきでしょう。でもそれが、コミュニケーションの場ならどうか、何かしらのコンプレックスを抱えてる(であろう)お客さんが多い中で、クラトロさんはその場で何をしたいのだろうか。縋るものを欲するお客さんを相手にそんなに健全で適切な立ち振る舞いと施しが、クラトロさんにあるのだろうか。「そもそもタダなのがおかしかった、私はそれに価値を見出し金を払っている」というその感覚すら、当人の視野を狭めて不幸にする恐れがあります。金額の大小は関係なくお金で続く関係性というやつは買ったという満足感自体も同時に買ってしまうのです。「時間」ではなく「場に参加する」を買っている時点で、彼や彼女はお金を種銭にしながらその心すらBETしている可能性があります。良心的な価格設定ですが、それで提供するのがブツ切りの時間ではなく閉鎖的なコミュニティであるとすれば、それは非モテがそっと大事にしていた最後のプライドも同時に質に入れるようなもんじゃないか、とか、なんかそんなことを思いました。

前フリの関係ない話が長くなりすぎて途中で飽きるのはいつものパターンなので僕はいいんですけど、僕はいいとして、これはタダの文章なのでいいですけど、金を払っちゃってもらったアドバイスにも同じようにどうでもよく思えるかとか、変に金を払った手前なので肯定したくならないだろうかとか、なんか心配事の中心はそこです。否定ではなく心配なので、うまくやれんのかなと口角を上げるだけなんですけど。クラトロさんが自信なさげで自称が虫みたいな人たちの心を照らせれば何よりと思いつつ、以上です。

 

※追記 4/19 11:50

あんま直すのはつまらんなダメだなと思うのですが、一部若干丁寧になるよう修正しました。

あと、春の葉桜晴れらば貼らん祭りとして併せて読みたいよぅしさん見解記事へのリンク貼っておきます。

http://yo4ei1.com/blog/entry-332

*1:流れ上、死ぬほど要らないフレーズなんですけど、思いついた瞬間自分で爆笑してたので削りませんでした。