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【再掲】2012年末ズイショさんの暫定賛歌

ド年末。「高僧も走る」と書いて師走。

ニュアンスわかる。ニュアンスわかるけどなんで年末になると高僧が走るのかなぜかと言われるとわからん。ディナーショー的なやつは年末増えるけどもそれはもう中吊り広告を見て頂ければお分かり頂けるだろうところだが、坊主のディナーショーなぁ。高野豆腐まずいよねあれ。

あるいは12月は生肉を体に巻きつけて過ごすみたいな戒律があるか。それなら野犬が入ってこれないようにして寝ろよと思うけど。あと武器を持てとか。自衛しろとか。
ズイショさん今年のトピックスとしてはやっぱり結婚とかしたよね。2011年の秋頃からしまっしょいみたいな話を始めて無事に2012年の9月に挙げることが出来ました。ありがとうございました。なんか震災の影響で結婚する人がすげぇ増えたというのでそれですか、みたいなことをすげぇ言われるのはすげぇムカつきました。こちとら「ここらへんで結婚しないとフラれるなライン」を見極めながら大学卒業後のウンコみたいな日々を捌きつつ、そこから逆算して社会人デビューしたりとかしてたんだよ。震災よりおれの結婚準備開始の方が早かったんだよなめんなよ的な感覚がありますね。しかも大体そういうこと言ってくるやつは結婚してない年上だったりするので、別に結婚したやつの方が偉いみたいな考え方は全然ないにしたって、じゃああと何回津波来たらお前は結婚するんだお前が結婚に踏み切る天変地異は何だ言ってみろ俺が神様にお願いしてやるから言ってみろこの野郎が、という気持ちはどうしても起こってくるもんでした。

まぁ、そんなことはどうでもいいんです、この師走押し迫った時期にやっとこさ当日の撮影をお願いしてましたカメラマンさんの方から、当日の様子をパシャリパシャリとしたためたそのお写真たちが届きました。年内には何とかお願いしますねって言ってたんですけど本当にギリギリになったもんで、いいカメラマンさんだったし近畿圏でこれから式を挙げるラブラブ人間には勧めないこともないんですけど売れっ子故かデータ納品は遅いし、それを急かした時の言い分がなんか全体的にMOTHER2っぽくてむかつく、てのもあわせてお伝えしなくてはならない感じです。ゴタクはいいんだよ何を抽象的なことを言って逃げ切ろうとしてんねん。

まぁそれでも何とか2012年中に届いたは届いたんで「ああ2012年が終わるぜ」感はテキトーに得られることが出来て何よりでした。なので今日は、納品された写真を眺めててフッワーッと思ったことを何となく残しておこうかなと思います。

つまりここからが本題でここまでは大体全部思い出しムカツキで構成されておりました。

式の当日の感じでいうと良くも悪くも僕はやっぱり浮かれていて、なんかまぁ一世一代のアレだし、お母さんが倒れちゃって病院送りで途中退場して大変だったし、まぁなんか余裕無くやっておりました。あーお母さんだいじょぶなんかなこのまま死んだりしたらちょっとそれすごいなとか、その日お母さんと話した最後の言葉思い出したらそりゃないぜベイベーだなあれが最期の言葉になったらそりゃないぜベイベーだなとか、そういうこと考えながら一方でそれはそれこれはこれの精神で粛々と新郎をやっていたような記憶があります。振り返るにそういう最悪を常に想定しながら生きれば、もっとずっと人に感謝しながら生きられんだろうなと思いますが、そういう想定ができないからこそのそりゃないぜベイベーであり、いくら人類が歴史を重ねて勉強をしてどんどん進歩していったところで、結局一人一人の僕や貴方や人間がそれぞれにそりゃないぜベイベーを味わったり回避したりしながら日進月歩していくほかないんだなと思います。そういう俺による俺のための俺体験でしか人は感謝の念を深めることができないし、それが大人になるってことなのかしらんと感じました。僕もやや大人になったのです母はその後元気です。まる。

そんな感じで当時はてんやわんやのいっぱいいっぱいだったわけですが、今手元に届きました写真を見ていて思ったのは「なんか俺の好きな人たちがすげぇいっぱいいるぞ」でした。結婚式というやつは当然同窓会的な側面もありまして結婚式なだけに自分の好きな人話したい人で出席者を固める傾向があるわけなんですけれども、まぁ僕もそんな感じで俺の興味津々オールスターズみたいなのを呼びつけてたわけなんですけれども、なんかもうこいつらにやけ顔でお集まりいただいてるけど最近は何してるのかあんまり知らないし聞けなかったなぁ、てのを写真眺めててすごく思いました。結婚式の性質上時間的に喋ってる暇なかったのもあるしやっぱし時間があっても聞けなかっただろうなぁ、という部分を感じるわけです。例えば誰かを選ぶということは誰かを選ばないということだし、誰かと一緒にいるということは別の誰かと一緒にいないということだし、一人の人間と結婚するということは残りの59億人と結婚しないということなのだろうと思います(言いたいことはわかるけどなんか1億人と結婚しとる)。

これは実際に結婚して嫁をもらった今でも言ってることなのですが結婚なんかまるでしなさそうな人に見られることも少なくなかった僕ですが僕個人の考え方としては「10人おったら9人とは別に結婚できる」みたいなのがあります。嫁は「それは違う」と言うので「違うのかーそっか俺パラノイア的なところあるもんなー付き合いきれる奴そんなおらんよなー」と思って寝るのですが翌朝にはやっぱり10人おったら9人とは別に結婚できるという思想のもと今後も歯を磨いていく予定です。一方で僕が死ぬまで言うであろう難癖として、僕らこんなに可能性に満ち溢れているのに時間の矢は一本しかない、という厄介な真実があります。あるいは僕らは目と鼻と耳と心とちんちんで瞬間瞬間を感じて生きていますが、どんなに色んな思いがあったって口は一つしかないし口は一秒間に一秒分の言葉しか吐き出せないという真実があります。1秒間に言える愛してるは一人にしか向けられないし、選べる嫁さんは一人しかいないというのもそれまた真実だと思うのです。そのたった一人の相手を頑張って選ぶことを人は運命だとか特別だとか言うのかもしれませんが、10人中10人を選ばず軒並み嫁にして一日を体感200時間まで引き伸ばし好きな人と好きな時に語らい成長し合える超人の方がよっぽど特別であり、やはり結婚そのものというのはこのうえなく平凡なものなのだろうと僕は思います。ちなみに10人中9人という比喩は「わかるやろ?」の顔からの「わかるやろ?」のおちょぼ口で発せられるべき比喩であり実際にじゃあお前みたいなもんが誰と結婚できるんだと言われたら僕の頭の中で上戸彩が一瞬横切りその後はただ口を噤むだけの僕です。あしからず。まる。

この話には選ばれなかった人など一人も出てこなくて、ただ選ぶ人たちがいる、僕はそれを断片的にだが今後このたった一本の時間の矢に跨りながらでも見ることができる。それくらいはできる。

結婚式の写真を見返すとそこには懐かしい顔ぶれが揃っていて、その顔ぶれのそれぞれについて、結婚式の当日に喋った時のこととかその前の最後に喋った時のこととかはと思い出すあの時喋った時のことなどを思い出しながら見たり見なかったり。それを思いつつ彼彼女の現在に思いを馳せるといいぞぅ頑張れうぇ~いという人からだいじょぶかお前まで多様なラインナップが揃っていて面白い。取り分け最高だったのは、大半が大学生時代の仲間であった中に混じって呼びつけられた僕の小学生時代からの唯一無二の親友であった。

大学に入ってからは年に1回か2回連絡を取る程度。もともと面白くてだいじょぶかお前な奴であるのは知っていたが、ぶっちぎりでだいじょぶかお前状態になっていた。なんか天下一武道会に肌が紫のやつ来てるぞレベルでぶっちぎりでやばかった。彼女と一緒に来てくれて、その後夜中に一緒に酒も飲んだのだが彼女もやばかった。軽々しく概要をしたためてネットに放流していいものなのかどうかも分からない内容であったので詳しく書くことは控えるけどなんか天下一武道会に肌が紫のやつ来てるぞレベルとだけ言っておく。

そりゃあ別に俺だって見事妻帯者になって上からの物言いをするようになったわけではない。結婚式を無事に執り行ったからって今後の幸せが保証するわけじゃあない。浮気されるかもしれない、浮気するかもしれない、子どもが出来ないかもしれない、離婚するかもしれない、嫁が天狗に攫われるかもしれない、やっと天狗の住処を突き止め森の奥に向かって嫁を呼べば何の前触れも無く俺の隣の杉の木が倒れその後は山彦のように嫁と思しき高笑いが聴こえるばかりで結局再会することは敵わないかもしれない、ここ2000年の個々人の人生の揺らぎ具合は半端がない。だからってそんなヤケクソにならんでもレベルの取り合わせではあったが、人を好きになり人に好かれるのが得意だからこそそんなに人に真剣にならなかった彼が、なんか恋人というものを選んだ結果がコレかという感じは素直に嬉しかったのを覚えている。

僕は嫁さんとすんごく仲良くなることで誰のことも知らなくなった。彼は東京に行って僕は大阪にやってきて、何故彼が今ああに至ったのかをよくは知らないようにきっとこれから色んな人の色んなことを知らなくなっていくのだろう。でもたまに会えばあるいは会わなくても、彼が彼なりにやっているのが何となく分かればそれはすごく面白くて素敵だ。きっとそれは自然なことなんだろうと思う。彼や彼女やがその時の気分で何かしらを選びそれをせっかくだしちゃんとリザードンまで育てようくらいの軽いノリで大事に大事に育てていくのだろうと思う。どうも話の流れで誰を嫁にしますかの話にどうしても見えるけど、別に伴侶の話に限らず。それがうまくいくかどうかは誰にもわからないけど、彼が彼らしく選んだのだったらそれでいいなと思う。選んだその瞬間の彼や彼女がなんとなく想像できればそりゃあ素直に祝福できる。また、彼や彼女がその人らしくなくなってしまった話を聞いたらきっと少し悲しいかもしれないけれど、何が彼や彼女を変えてしまったのかは大体想像がつく場合が多かったりする。想像がつけばそれはそれで仕方なかったというかドンマイというか大爆笑できるような気がする。それが彼や彼女の日進月歩なのだろう。いや、本人がどんだけ落ち込んでるかは知らんけど。

僕も貴方も選び続けるのだろう。そうして僕と貴方はグングンと遠ざかっていくのだろう。現にこの瞬間も遠ざかっている。時間の矢は一本で、体は一つで、口は一つで、僕の口から発せられるのはそのコンマ3秒前に思い浮かんだことだけだ。だけど思いを馳せることは僕がそれを大事に思う限りに無限だ。そしてその無限の彼方にとても平凡で有限な貴方がいる。僕はそういうことを嬉しく思う。貴方もたった一本の時間の矢に跨っている。そのことが嬉しい。

まとめるにいわゆる「みんながんばってる」という10文字切る結論に達するわけですが、つまりそういうことなんだなと思いましたので、僕自身も他人にそんな感じのことを思われたいですし、そのためには僕は相変わらず僕ですよの顔をしていたいし、逆にあの頃の僕とは一味違う俺なんだぜの顔も交えたい。そのためにもとりあえず今自分の置かれてる状況を見つつその中でできることをサボらず健康にうんこちんちんすることが、たくさんいる僕の好きな人に僕が出来る第一歩なのではないかなと思いました。

つきましては上記を2012年末ズイショさんの暫定賛歌としまして、なんとなく自分のことを心配してくれてるのかなと思えるゴールデンレトリバーのようなただの真顔で「来年もよろしくお願いします」を申し上げます。