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人が作品やキャラに求めるイデア?の所在がわからんという話を書いた

貴方に、今これを読んでいる貴方に、なんか食って寝てを死ぬまで繰り返す貴方に、僕の悩みを聞いて欲しいんですけど、趣味と情熱がないのがすごくコンプレックスなんですよね僕。趣味は何ですか?と聞かれたら迷わず「無趣味です」と答えますだって答えざるをえない。好きなものが一つもない。テレビ見ます、映画観ます、漫画読みます、けど、すべてそれによって何かを感じる一瞬があったらいいなと思っているに過ぎず、そんな瞬間は滅多になく、観賞するということ自体には愛着がないんだなと自覚してしまい、趣味の一つもないつまらない人間だ死んでしまおうという気持ちになります。最後に蕎麦食って死のうってなります。あ、蕎麦好きだ。やった蕎麦だ蕎麦好きな俺ー、いえーい、みたいな。あ、この後ちゃんと自分で穴掘ってから死ぬんで。

そういうわけで、そうなってくると僕からして羨ましい人種の筆頭がこれあらゆるジャンルの「オタク」になってくるわけなんですよね。アホだなと思っちゃう人もそりゃあいるんですけど、あいつら基本的にめちゃめちゃ楽しそうでしょ。超羨ましい。お前ら何がそんなに楽しいんだよとギリギリ呻く僕の奥歯は油断すると縦に割れます。ちょっと面白いアニメがあればあいつら、よっぽどスリリングな死と隣り合わせみたいな条件下で盗んできたイチジクを食べる俺よりもよっぽど楽しそうにキャッキャしてるわけです。楽しむ才能を彼らに与えて僕に与えなかった神を僕は呪います。逆神棚みたいなん作って、逆神棚が何か知らんすけど、そこに汚泥を供えて毎朝二唾棄二ファック一唾棄して呪いたいくらい悔しいです。

そんな僕にとって僕が体験できなくて悔しいものの一つが「キャラ萌え」という楽しみ方です。作品世界がいいよね、とか話の運びがいいよね、とか台詞が刺さったね、とかはあるんですけど針が振り切れてるキャラ萌えがまじでよくわからない。いや、理論上は分かるんですけど。分かるんすけど出来ねぇよ、みたいな。愛情でも心血でもいいんですけど、みんな何かを注いでるんでしょうねんとか思いますが、どういう原理で注いでんのかよくわからん。翻ってなぜ俺が注げないのかもわからん。そもそも注ぐ何かしらが乾ききって俺の心の萌え大地は干からびひび割れているのか、注ぎ口が極細すぎて表面張力かなんか忘れたけど高校物理で習ったような気もするけど兎に角極細すぎることが原因でうまく注ぐことができないのか、それが俺にはわかりません。わからんけど、ちょっとチラ見するとそこかしこで難なく萌え狂ってる人たちがいる。俺の知らん快楽を享受してる奴は鼻につくわけです。そういう意味では俺なんかに言わせるとオタクもマリファナ常習者も一緒みたいなもんです。羨ましい。

分からなくて悔しいとは言いますが、僕は幸いにも嫁がそこそこのオタク性能を持ち合わせていてキャラ萌えは大得意なので、人に「初恋の人は?」て聞かれたら恥ずかしいからスナフキンって答えるけど本当は幽遊白書の蔵馬なのみたいな、うん誤差わかんねぇその誤差さわかんねぇようん、みたいなそういう人なので死ぬまで観察してたら俺も少しでもキャラ萌えできるようになればいいなと思うんですけど、まぁ期待はしてないです。期待してないですけど、俺はできないけど、そういう人が身近にいるってのはまぁいいことなのかなと思います。今日は「じゃあSMAP以外で温泉旅行するなら誰のが見たい?」て話をしてたら「タイバニメンバー」とか言ってたので「あ、いちいち『三次元で』って枕につけなきゃダメなんだ」て思いました。

で、本題に入ろうかなと思うんですけど、え、まじで?今から本題?

アニメ愛好家として「好き/嫌い」「凄い/凄くない」を区別できるか否か http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20130410/p1

なんか上記みたいなの読んだんです。これまた恐ろしいんですけど、上の引用の主題はあんまこの本文に関係ないんですけど。一応言っておくならたぶん、僕は「好き/嫌い」は極端に後ろに配置させていて「凄い/凄くない」をとりあえず見極めたいってスタンスなのかもしれません。いや、でもどうなんかな、この俺の乾きの根源を探るのにこれはすごく有用な話なのかもしれない。まぁ、でも今書きたいのそこじゃないからまぁ置いとくんですけど。

惡の華』っていうそこそこ話題の漫画がアニメ化なんですって。で、それがなんとかっていう実写とアニメの融合みたいな手法を使ってて、詰まるところ原作漫画と全然何一つ絵面が一致してなくてみんながワーギャー言ってるとのことです。ストーリーラインはたぶん原作と一緒なんでしょうけど、キャラデザ云々じゃなくて何か眼前でいうと全く別作品みたいなアニメに仕上がってるらしく賛否両論の喧々囂々とのことです。

で、それがなんでそんな喧々囂々なのかがよく分からんのです。つい先日にも同じようなことがあって、『黒執事』とかいう絵がキレイなだけで中身ない漫画があるらしいんですけど、それが実写映画化するってんで蓋開けてみたらオスカーで一番顔が星座っぽい剛力さん*1が出るってんで嫁がすごい怒ってたんですね。で、なんか聞いてみると、ほんまに原作の名前を借りてるだけで時代設定とかも変わってるらしいじゃないですか。じゃあもう別作品だから、そっちで何やらかそうが別作品ってことでいいじゃんとか思っちゃうんすよね。剛力さんでいうとつい先日ドラマでもやらかしてたとのことで、原作の絵とかを見ると「あー違うね」とかは思うんですけど、違うものを「違うね」じゃなくて「違うからあかん」となる寸法がよくわからん。

惡の華』の話を見ていても同じようなことを思っていて、違うものは違うもので何があかんのかが分からん。原作好きも、原作のキャラが好き、も一応分かるは分かるんですけど、それと違うものが原作者の許可を得て登場した時に、それに怒る感じ、「絶対に認めないぞ」という感じ、あの感じは何を聖域としたうえでの怒りになるのだろうか。映画の『デビルマン』は原作者の永井豪がどや顔で出演してるんで腹立つのも分かるんですけど、そういうものでもないと別物と処理すればそれでよくない?みたいな。俺にはわからないから単純にみんなどう怒ってるのか知りたい。「俺にはわからないから」の感じを伝えるために前半まるっと本題に関係なかったんで恐縮なんですけど、しかも疲れてきたんで切り上げるんですけど、何がそんなに彼らに一本筋で語ることを強要させるのかが、超気になる。わからん。以上です。

*1:「ごうりき」って打ったら変換候補が「強力」しか出なくて、仕方なく「ごうよく」「ごうまん」などと打ち込むもののお求めの漢字が出なくて「ごうだたけし」って打ったら「合田たけし」と出まして、結局「ごう」と打って「剛」にたどり着きました。