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メンヘラ認定とかボーダーホイホイとかそこらへんの話

メンヘラ認定する奴こそメンヘラ、ボーダーホイホイもまたボーダー、みたいな話を見かけました。

もはや専門用語なのかただのスラングなのかわからんなってますけど、そんなに一般的な用語ではないので一応軽く解説するとメンヘラっていうのはアレな人って意味でボーダーっていうのは絡みにくい人って意味です。はいめっちゃ乱暴。乱暴に解説しすぎやろ。わしゃ解説ジャイアンか。解説ガキ大将やないか。というわけでやっぱちゃんと解説できないんでちゃんと知りたい人はググってください。

ほかにもアスペって言葉があったりとか「ちゃんと医学的に病気として定義されてる言葉なのにコミュニケーションが下手な人に対して気軽にレッテル貼りに使われてる。良くないよ!」みたいな話なんか最近よく見かけたりします。僕はそういう流行語でのレッテル貼りはたぶん積極的にはしない方だとは思うんですが、別にそれは意識してるわけでもなく、単に「善玉サイコパス」とか「太ってるから笑ってるだけでこいつは痩せて男前になったらたぶん笑わなくなる」とか都度都度自分で考えた方が俺が楽しいからで、まぁ既存の悪口に興味がないだけなんですけど(悪口って言っちゃったよ)。そういう世界に一つだけの俺のオリジナルレッテルを俺はどんどんみんなに貼っていきたい。

なので、別に医学的にうんたら派を擁護する気もないんです。そこはどっちでもいいよ、て話で。医学的な境地からのメンヘラやらの定義付けやら具体的にどう辛いのか日常生活でどんな支障が出るのかとか話すの好きな人っていうのもこれまた存在するんですけど、精神疾患に対する差別とかそういうのじゃなくて、親戚とか年食った人って誰誰がどういう病気でどこが痛いんだみたいな話めっちゃしますよね。あれなんなんでしょう。最低限の理解のためにそういう話が必要なシーンもありますけど、必要云々じゃなくてそういう話するのが単純に好き、むしろどんどん積極的にしていきたい、みたいなおじさんおばさんっている。あれと同じかなと思ってます。で、あれ面白くないからあんま好きではない。それだけです。

なんでしょうね。分類が相手を理解しやすくするのに有効ってのも別に本当で、ただそれに頼りすぎて思考停止するのもよくないよね、ていう普通の結論なんですけど。今のとこ、そんなキャパが追いつかないほどたくさんの人を理解しなくちゃならん環境にいるわけでもないので、僕はどっちにも積極的じゃない、いちいち一対一対応でコメントしていける、ていうだけだと思います。けどそういう言葉があるのは知ってるので、その言葉が用いられてるのであれば、その言葉があるていで話すことはできますよ。

という、ここまでがそもそも僕がそこらへんの言葉をどう思ってるかという前提の話。毎度前提長ぇよ。

で、まぁそういうわけで戻って頭の「メンヘラ認定する奴こそメンヘラ、ボーダーホイホイもまたボーダー」なんですけど、「まぁそうだよね」と思います。そもそもコミュニケーションは誰のもの、て話で。メンヘラ諸兄に関しては一人の時に起こるメンヘラの諸症状もあるんだとか色々言いたいこともございましょうが、それは今は置いておくとして。コミュニケーションって単純に共同作業ですよね。AさんとBさんがコミュニケーションをとってAさんはコミュニケーションに成功して、Bさんはコミュニケーションに失敗した、てことは構造上ありえない。二人とも成功するか、二人とも失敗するか、のどっちかです*1。で、失敗の原因を分かりやすくするために出てくるのがレッテルとしての「メンヘラ」「ボーダー」という言葉なわけです。そこから「メンヘラ認定する奴こそメンヘラ」という反論が出てくるわけですが、このレッテルは「コミュニケーションに失敗した人」に貼るものでありコミュニケーションに失敗したのは二人とも両方なんだから、「そりゃまぁそうだよね」となるわけです。

究極言えば例えばすぐ包丁で人を刺しちゃう人がいたとして、あ、これだとメンヘラがすぐ人刺しちゃうという誤解を招いてしまうかもしれないので、えーとシザーハンズとかいう手が鋏のジャンケン弱い奴がいたとして彼は手が鋏ゆえ相手を抱きしめられないという致命的なコミュニケーション欠陥を抱えているわけですが、アイアンマンさんが相手であれば鉄なので鋏とか全然通用しないんで問題ないわけで、二人のコミュニケーションは成功します。二人ともコミュニケーションの成功者なので二人の間に限って言えばシザーハンズさんはコミュニケーション欠陥でも何でもありません。逆にアイアンマンさん以外は「肌が軟弱」というコミュケーション欠陥を抱えていると言えるわけです。相性の問題、破れ鍋に綴蓋的な話だということです。まぁ、この例だと「ホモじゃん」っていう別の問題が出てくるわけですが何言ってんだ!ホモに何の問題があるっていうんだ!馬鹿!謝れ!

もちろん前置きした通り一人の時辛まるガチメンヘラとか、上記すべて程度問題みたいな考え方を意図的に誇張した話でガチメンヘラっているよね病院行った方がいいんじゃないって奴いるよねとか、そういうのはもちろん分かってるんですけど。テーマになってるのは「レッテルとしてのメンヘラ」の話かと思われるので、であればこんな感じでいいんじゃねぇかな、と思います。ただこうなってくると「メンヘラ認定してくるやつこそメンヘラ!」が真であるとなったところでそれって言い換えると「悲しいかな人は傷つけあう生き物」くらいのことしか言えてないよね、て話でどうでもええがなってなるんですけど。なのでやっぱ僕はレッテル貼りおもんないので好きじゃないです。俺はここに自戒という名の塔を建てよう。

余談なんですけど、ボーダーホイホイって言い方は初耳だったんですけど「なんかアレな人に妙に気に入られるタイプ」ってのはやっぱいますよね。大体の要因としては「本人もアレ」か「優しすぎるんだよ」の二点に収束していくパターンが多いな、と思うんですけど僕あれは「そういう奴が寄ってくる」ではなく「そういう奴しか寄ってこない・辿り着けない」みたいなパターンもあると思う。「心の溝ができる」とか言うけど、願わずも溝ができてしまうこともあれば意図的に作ってる部分っていうのも人間大なり小なりあると思う。お堀みたいなもんなのかもしれない。みんなそれぞれがそれぞれのお堀を構えてて他者からの侵入に対して自衛してるみたいな。人によっては立派なお堀の中央にでーんと橋がかかってたり、それをお堀の浅いうっかり屋さんがアホみたいに信頼しちゃってノコノコ渡ってたら実はそれが面白い速度で跳ね上がる跳ね橋でそろそろ橋の真ん中かしらくらいのところでバーン!と跳ね上がってぴゅーんて飛んで星になるみたいな、それを天守閣から見てた大名様ががっはっはって笑って楽しくなっちゃって横にはべらせてた女中を意味もなく殴る、みたいなそういうお堀を誰しもが持ってると思う。

で、アレを引き寄せるタイプの人ってのはそのお堀が水も張ってなければ底も全然見えないみたいな深い崖になってるタイプなんじゃないかと。その幅は人によってマチマチだけど、助走つけてジャンプしたらたぶん飛べる、たぶん飛べるけどしくじったら間違いなく死ぬくらいとにかく深い崖。で、そんな人だから橋なんてもちろん掛かってない。落ちたら死ぬ崖を飛び越えていくしか方法はない。なぜそんなに深いのかは知らない。深いことがメンヘラだとかそういう話では全くなくてどういう共通項を以て「崖の人」になるのかならないのか俺にもよくわかんないんだけれどとにかく深い深い崖に囲まれたそういう人がいる。で、そういう人が「なんかアレな人ばっかに気に入られるんだよね」って言ってるんだけど、そりゃそうだろみたいな。私のお堀を飛び越えてくる人はアレな人ばっかなんだよねってそりゃ、そんな死ぬかもみたいな崖飛び越えてやってくる人なんてみんなクレイジーに決まってるだろって話で。この深さが何を指した比喩なのかはほんと俺にもよくわかんないですけど、たまに飛び越えて来てくれたクレイジーさに痺れちゃうみたいなパターンもあって、でもやっぱクレイジーな人だからうまくいかないみたいなったりとか、俺にはどうしても「メンヘラ同士でなんかやってらぁ」で片づけられないなんなんだろうアレは、みたいなのはあったりする。なんなんだろうあれ。

まーなんか色々ありますけど「色々ある」というよくわからなさを撫でまわしながら複雑すぎる人間同士の力学みたいなんを楽しんでいければなぁと思います。以上です。

*1:コミュニケーションの成功・失敗ですがこの記事では「二人とも不快がなければ成功、どちらかにでも不快があれば失敗」くらいの意味で考えてます。そして、せっかくのはてななので注釈を使ってみたかっただけです。