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無理な相談は相談する前に相談していいか聞くけどな

これ読んで、むしろいとうせいこうのケツの穴がちっちぇえみたいなコメントが結構あって意外だった。まぁ、教科書作る人らにも事情があって板挟みだって話もわからんでもないのだけど。

しかし、どんな事情があってもそれはそっちの事情だろってのは思うよね。それは「お前の事情なんて知るかよ」って話ではなく、そっちの事情をこっちに持ち込む時は「こっちの事情で申し訳ないんですけど」って前提を上手に作って共有したうえで相談しねぇと「そんなの知らねぇよ」ってなるのは当たり前の話だよな。

これは俺の想像でいとうせいこうと編集者のやりとりが実際どうだったのかは知らないのだけど、俺の想像というか、俺はこういうことよくあるし、俺はそれにいつもむかつく(から相応の対応しかしないようにしてる)という話なのだけど。編集者からいとうせいこうへの一通目のメールでどのような修正が必要かまで全部書いてたんじゃねえかなと思うんだよな。

で、だとしたら俺はそれすっげえむかつく。

まず一通目は「あなたの小説を教科書に載せたいなと考えている。こういう理由で素晴らしいと思うのでぜひとも教科書に載せたいのだ。しかしこちらの事情で恐縮なのですが、原文をそのままに載せることが難しい。実際に載せようとするならば、本文にいくつかの修正が必要となってしまう。大変心苦しいのですが、そのような相談をさせて頂くことは可能でしょうか? もし話だけでも聞いて頂ける内容次第では検討頂けるということであればお願いしたい具体的な修正内容と修正が必要なこちらの事情について改めて説明・相談させて頂きます」みたいな内容に留めて、どういう修正をして欲しいかは書かないようにした方が印象がいいんじゃないだろうか。それでもし色良い返事がもらえたならそこで初めて具体的な話をすれば良い。俺はいつもそうしてる。そして、そうするべきだと思っている。

これは別に「俺様に何か頼みごとをしたけりゃ三顧の礼が当たり前だろ」みたいな話じゃなくて、人と人との出会いとその後の関係性ってそれぞれの完全主観の視点から体験した出来事を一度記憶として脳の中に保存してそれを再構築して出来上がった物語がどのようなものであるかによって決定されるわけじゃないですか。桃を割ってそこにきびだんご頬張った成人の桃太郎と犬と猿と雉とボコボコに殴られた鬼が入っててめでたしめでたしって物語は到底受け入れられないわけじゃないですか。ひとつひとつ積み上げてきたうえでこそ最後のめでたしめでたしが受け入れられるわけじゃないですか。だからまどろっこしかろうが何だろうがそういう順番は大事にした方が良いと思うし、その方が結果的にはお互いちゃんと相手を人間として認識しながら建設的で前向きにお話することができるんじゃねえかなと私は考える。

もちろん、いとうせいこうと編集者がどういうやりとりだったかは知らないし、もしかすると実際はこういう手順で話が勧められてそのうえでいとうせいこうが断ったという可能性もある。その場合であっても別にいとうせいこうがケツの穴ちっちゃいとは思わない。ただ、そういう手順を向こうが丁寧に踏んだうえでツイッターにああいう書き方をしているのだとしたら人間的に問題あるだろとは思う(逆に言えば、そういう手順を踏めばああいう書かれ方はしねえだろと思うので、一通目がそういうメールだったんだろうなと邪推してるわけですが)。

僕は僕の人生という僕が主人公の24時間オール僕視点の物語を生きているけれども他人にとっての僕は物語のいち登場人物に過ぎないわけで、初対面というのはつまりポッと出の新キャラだということで、そのうえでどういう風に立ち回れば彼や彼女の物語のなかで僕というキャラクターが具合良く受け入れられるだろうかってのは考えて損はないだろうし、それは他人様の物語にお邪魔させて頂く際のマナーでもあると思う。あと、今挙げているケースだと単純に雑な一通目で「まぁ向こうにも色々事情があるんだろ」と善人よろしく話を聞いてやると向こうの物語の中で俺は御用聞きみたいなキャラになるだろうからそれはご免だ、俺のプライドが我慢ならんという意味ではなくそんな関係性で今後うまくやっていけるわけがない。なので、やっぱりまともに取り合ってやるわけにはいかない、という話でもある。

何にせよよろしく自分を演出して、異物と見做されることなく他人の物語に上手に溶け込んで、色んな人と仲良くできるように頑張りたいですね。以上です。