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メンヘラホイホイになる奴は察し力が低い

今、書き終わって戻ってきてアップするところなんですけど、前置きの話だけで2000字くらいあってタイトルの話が始まるのはだいぶ下の方のリンクが挿入された後になるんですけど、一応前置きも俺の中では関係ある話なんですけど何せ2000字あります。

俺もこれでけっこう人が良いというか脳天気というか性善説じゃないけど人間そんな捨てたもんじゃねえなってかそんな悪いもんじゃねえなって素直に思ってる性質なんだけど、たとえば俺ってけっこうふつうに人が喜んでると俺も嬉しいなって思えるしじゃあみんなもきっとそうだろうって無邪気に信じてるんですね。すげえ当たり前なこと言ってますけど、なんで人が喜んで嬉しいのかってよくよく考えるとよくわかんねえしすげえなとかも思うわけ。でも人を喜ばせたいって気持ちがあったとしてもじゃあ実際に人を喜ばせられるかっていうとなかなか簡単なことじゃないし間違えたりもするわけじゃないですか、僕あれ中学生の時かな、普段あんまり会いに行かないちょっと遠い親戚の家になんかのついでにお邪魔した時に僕が家族のなかで一番乗りで玄関開けたんですよ。おはぎ持って。おはぎはたぶんその前に寄ってたとこのばあちゃんが持たせてくれたんだけど、ばあちゃん家でもおはぎ食わされてそのうえ持たされてたんだけど、あの、じいちゃんの働いて稼いで建てた家なのに子供はばあちゃん家って言うのあれなんで? ふつうジャニーズ事務所のことSMAPん家って言わないよね? いや、あれはジャニーズが働いて稼いでんの? SMAPが働いて稼いでんの? まあめんどくさいからこの話は捨て置きますけど、僕おはぎ大嫌いなんですよ。もともと甘いもん苦手であんこもダメなんですけど、地域差とか家庭差あんのかな、嫌いだから世の中のおはぎのトレンドを僕は寡聞にして知らないんですけどとりあえずうちのばあちゃんの作るおはぎはね、米感が半端ないんですよ。ていうか、ほぼ米なんですよ。餅に近づける気がサラサラなくて、甘いもんで米を食うとか俺には全然ありえない。思ったままに喋っていいなら「食べ物で遊ぶな」レベルで俺の中でおはぎありえないんですけど、ばあちゃんは、うちのばあちゃんは小さくて言葉数もそんなに多くなくていつもにこにこしててそういうかわいいばあちゃんなんですね。そのばあちゃんが嬉しそうにおはぎ盛った皿を出してくるわけですよ。食べないわけにはいかないじゃないですか、俺はそこで食いたくもないおはぎをおいしいねって食べる以外にばあちゃんを喜ばせる手立てを持たないから頑張って食うわけ。おはぎ嫌い度は俺のなかで今でもわりと群を抜いて高いんだけど単純に「今までの人生で嫌いなのに無理してたくさん食べたもの」ランキングのぶっちぎり一位なわけですから、そりゃ嫌いなはずだわな。そしたら「まだたくさんあるから持ってきな」つってまた帰り際におはぎ渡してくれるわけ。まあ持って帰るしかないよね。ばあちゃんこんな嬉しそうにしてるんだから無碍にはできませんよ。それで、せっかくだしあそこにも久しぶりに顔出すかってことで次の親戚の家に行くわけ。で、俺は前に行ったんが物心つくかつかないかくらいの全然知らない家なんだけど、車を降りて俺はおはぎ持って一番乗りで玄関開けたんですよこの家の人、主食がおはぎだったりしねえかなと思いながらガチャって開けたらアレ何歳くらいだったのかな三歳とか四歳かな立って歩けるけどまだたぶんあんま日本語使いこなせないなこいつくらいの小さい女の子が玄関ガチャって開けたすぐのところに立ってて思っ糞に目が合ったんですよ。向こうもなんかビックリして固まっちゃってるの。一応弁解しておくと、呼び鈴鳴らして人が出てくるのを待たずに勝手に玄関開けるのは田舎なので別に普通です。でもまあ、普通だろうが何だろうがその子がビックリして固まっちゃってるのは事実なんですね。で、そこで僕は本当に悪気なくですよ、悪気なく、その子が喜ぶかなと思って、笑うかなと思って、片手に持ってぶら下げてたおはぎを俺の頭の高さくらいのところに掲げて「おはぎ!!」って言ったのね。笑うかなと思って。そこそこの声量で「おはぎ!!」って言いました。なかやまきんに君の「パワー!!」くらいの声量で言ったんですけど、そしたら次の瞬間その女の子ギャン泣きしちゃって親にすげえ怒られたんですよ。怒られたのはまあいいにしても、悪いことしたなと思って、俺は喜ぶかなと思ってやってそれで泣かせちゃって、恥ずかしいやら情けないやらで、それから後は今日まで会うことなかったんですけど今は高校生とか大学生とかになってんのかな。もし何かの機会で顔を合わせることになったら俺その時のことが原因で絶対目を合わせられないだろうなって今でもふとした瞬間に思うんですよね。向こうはそんなこと絶対覚えちゃいないんでしょうけど、もう俺の中でなんか駄目ですよね。そしたらまた、「なにあのおじさん、もじもじして気持ち悪っ」って思われるんでしょうけどね、だから俺はあの時のたった一度の失敗が原因で、あの子を喜ばせて楽しませることはたぶん一生できないのかなって考えるんです。食いたくないおはぎを無理して食ってばあちゃんを喜ばせて、その十分後には喜ばせるつもりが泣かしちゃって、あの時「パワー!!」くらいの声量で「おはぎ」って言わずに無言で玄関でおはぎ頬張ってたらあの子も笑ってくれたのかな。いや、おはぎモリモリ食うのそんな万能な喜ばせ方じゃねえからな。ともあれ、人を喜ばせたいって思うもののそれってなかなかうまくいかねえなってことの、俺の中での象徴みたいな一日の思い出なんですけどこれ。

そういうわけで「人を喜ばせたいのにそれができない」というのは僕の中で非常に関心が高い話題でして、こんな人間臭い話はなかなかないなと思って大好物なんですけど、僕がメンヘラの話題が好きなのはきっとそういう側面も兼ね備えてるってのがまずひとつあるんだなと思うんです。

こちら引用しました記事は元メンヘラの人がメンヘラとその周辺についての知見を紹介するという連載らしいのですが面白いのでみんな読みましょう。この記事じゃないんですけど、これ書いてる人がバリバリの大学生メンヘラだった頃、要塞みたいな寮に住んでて部外者は入れないことになってるんですけど「今すぐ会いたい、会えなかったら死ぬ」みたいなメールを男に送りまくってたらボルダリングみたいに壁をよじ登って会いに来てくれた男が何人かいたみたいな話があったんですけど、まあ端的に言って「最高」ですよね。面白すぎる。それが愛なのか何なのか僕にはわかりませんが兎に角「最高」ですよね。なんて人間臭い話なんだと思います。もちろん、笑ってばっかもいられませんし、メンヘラの話題なんてやつは悪いもんは悪いって言わなきゃならないし誰が悪いのかどうすりゃみんな本当にハッピーになれんのかとか考えなきゃいけないんでしょうけど、それを進めるためには「誰も悪くない」って言っちゃう角度から眺めたり笑ったりするのも大事なことなんじゃねえかなと思うんで、僕がまず一言伝えたいことは「最高」ってことなんですけど。

で、そういうボルダリングを敢行しちゃうような人をここでは「メンヘラホイホイ」と呼んでるわけですけれども、一口にメンヘラホイホイと言っても多種多様で定義も曖昧なんでしょうがここではとりあえずボルダリングしちゃうようなメンヘラの欲求に全力で応えようとするメンヘラに味をしめさせてしまう気の毒でもあり迷惑でもある人のことをメンヘラホイホイと呼びましょう。そんなつもりはないのになぜかメンヘラが寄ってくる人種も別にいるんですがそいつは今回は置いておきましょう。それで、記事の中でメンヘラホイホイを指して「相手のすべてを受け入れたい男」と書かれており僕はそれにどこか違和感を覚えていたのですけれども、メンヘラホイホイというのは果たして本当にすべてを受け入れたくて、すべてを受け入れることにこそ喜びを見出す種類の人間なのでしょうか。モヤモヤモヤモヤと考えていたところ、僕はおはぎのことを思い出しまして、それで気付いたんですね。メンヘラホイホイというのは別に何もメンヘラの過剰な要求に応えることに喜びを感じる根っからのマゾヒストってわけではないんですよ、単純に具体的な要求をしてくれないと相手の喜ばせ方がまるでわからない察し力の低い人間なのではないでしょうか。

好きな相手を喜ばせたいっていうのは別に誰しもが持つ普遍的な欲求でそれ自体は別に珍しくもなんともないんですけれども、神様おまえまじで会った時は殴るからなげんこつでいくからな、神は人間に相手を喜ばせたい時に十分に喜ばせる能力をお与えにはならなかった。それゆえに、人類は二千年だか四千年だか知らんが世界中どこでだって古今東西いつだって喧々諤々やっています。「パワー!!」の声量で女の子を泣かしたりとかしております。相手を喜ばせたいのに喜ばせられない原因のバリエーションというのは数え始めると両手じゃ足りませんが例えばその中に「何をすれば相手が喜ぶのかわからない」というやつがあります。どれくらいわからないかには人それぞれ個人差がありますが、その度合はたとえば察し力というパラメーターと相関関係があるように思われる。相手がわざわざ口に出して言わずとも相手の考えていることや感情を察する素養があれば、相手の望むように行動して喜ばせることができます。対して、その素養に欠けていると相手が何を求めているのかがわからず、トンチンカンな行動をして怒らせてしまうこともしばしばで時にはなぜ怒らせてしまったのかもわからない、それを質問して確認するのが良いのか悪いのかもよくわからない。これは大変に辛いことです。こういうタイプの人はしばしばデリカシーがないとか空気が読めないとか言われて大変気の毒なのですが、特に気の毒に思うのは別に人を喜ばせることが不得手であったとしてもそれがイコールその人に相手を喜ばせたい楽しませたいという欲求がないというわけではないんですね。本当は喜ばせたいんですよ、うまくやりたいんですよ。ただ上手にできないだけで、どうすればいいかわからないだけで、できることなら僕はいつだって貴方の笑顔が見たい。

そこで登場するのがメンヘラです。メンヘラはいつだって自分の満たしたい欲求を言葉と身体を以って全力でアピールしてくれます。どうすれば自分が嬉しいか、どうすれば自分が喜ぶかを一から十まで過剰すぎるほどにプレゼンし続けます。これが、察し力の低い人間にとって救いではなくて一体なんでしょうか。メンヘラはたしかにむちゃくちゃです。要求が度を過ぎることもしばしばです。というか、度を過ぎてからがメンヘラです。しかし、要求がわからないよりは自分がどうすればいいかわかっているだけでも余程マシ、言わずもがなと互いに互いの心情を察して読み合って微妙な距離感で高度な情報戦という側面を持つ恋愛作法にはとても対応できない人間というのはまるで霧の中を彷徨う一艘の小舟です。そんな中、どこに向かうべきかを網膜焼き切れんばかりの圧倒的な明るさで教えてくれるメンヘラというのは灯台みたいな存在なのです。行き先はもはやどうでもいい。とりあえず光は強ければ強いほど良い。わかりやすいから。あと、あの、舌が馬鹿でダシの味とかうま味とかよくわかんねえつって激辛料理ばっか好んで食べる人たまにいるじゃないですか。あの感じ。別に本当はそいつも激辛が好きなわけじゃないんですよ、ただ「ちゃんと味がするものを食べたい」と思ったらそうなっちゃうわけで、メンヘラホイホイも「人を喜ばせたい」という欲求を満たそうと思ったら「ああして欲しい」「こうして欲しい」を全部言ってくれる相手を選ぶより仕方なかっただけで、そしてそういうの全部言う奴ってのは空気読めないメンヘラであることが何だか多いんだって。空気読める奴は要求をいちいちぜんぶ口に出してくれたりはしないんだって。別にすべてを受け入れたいわけじゃなく、何を受け入れればいいのか具体的に説明して欲しいだけなんだけど、それを逐一説明してくれるやつはどういうわけか結局「要するにすべて受け入れて」という結論になることが多いんだって。

じゃあどうすりゃいいんだよという結論もないので最後に「パワー!!」と言って締めさせて頂きたいと思います。そしてこの一文は一行目を書いた後にまた戻ってきて書いてるんですが、結局全体では5000字になってますがそれを冒頭で書くと読む気なくすだろうなと思ったので伏せました。みなさんもたまにでいいので、おはぎのことを思い出してください。パワー!! 以上です。