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ボトルマン発売記念!!ビーダマンの思い出語ろうぜ!!

 

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おーい!みんなー!!大ニュース大ニュース!!30歳を超えたおっさんのみんな!!おっさんになるにつれてなんだか耳の裏がいつもしっとりしてきてて何かしらの匂いを発しているみんな!フェロモン発する猫の肛門みたいなことなのかなあれは??そんな、実質耳の裏が猫の肛門のみんなー!!大ニュース大ニュース!!タカラトミーからボトルマンというとんでもないニューホビーが爆誕するんだよ!!

今やすっかり耳の裏が実質猫の肛門の俺たち世代だったらもちろんアレを思い出すよね!ビーダマン!!ボトルマンはもうこれ完全に令和に再降臨したビーダマンだよね!たしかにそうだね、俺たちが小学生の頃はさ、駄菓子屋とかスーパーに行けば普通にビー玉が1個10円とかで売っててさ、ビーダマンが発売される前から身近な遊び道具でさ、それを弾にして打ち出すことができる最新ホビーが登場するって発表された時はそりゃあもうテンション爆上がりしたもんだよね。メディアミックスもすごくてさ、ゲームにもなったし漫画にもなった。主人公のタマゴが締め打ちで豪快にブロックを吹っ飛ばすのに目を輝かせて、ガンマのとんでもない連射速度に胸を躍らせ、あとなんか褐色の男の子のゴールデンビーダマンの弾が通ったルートに焦げ跡が残るくらいの超回転で曲がりまくる大興奮したのは良い思い出だよね。あの時の感動と興奮を現代の子供達に味わって欲しいっていうたぶん俺と同じかそれより上の世代の耳の裏が猫の肛門の大人たち製作サイドの熱い思いが一目見た瞬間から感じられて俺たち直撃世代はまた胸が熱くなるんだよな。ビー玉は今の時代には馴染みが薄いからペットボトルのキャップを飛ばそうって決めたのもクール!いやすごいよ、発売が楽しみ。

だがしかし、ここで少し落ち着いて冷静になって考えてみて欲しい。たしかに俺たちはボトルマンを見てビーダマンに興奮したあの頃を思い出して一通り熱狂はしているもののだ、しっかりと思い出してみてほしい。

俺たちがあの頃のビーダマンに与えられた興奮の終着駅を。

 

いや、いざ買って遊んでみたらめちゃめちゃショボかったじゃんかアレ!?漫画とかCMのエキサイティングな演出とかあれ全部めちゃめちゃ嘘だったじゃんか、ドゴーンと発射して的をバーン!みたいな感じで売り出してたけど実際買ってみたら勢いもスピードもあったもんじゃなくてジジイの小便の方がまだ遠くに飛ぶんじゃないかくらいの勢いだったじゃないですかアレ!?ニュートンは落下するリンゴを見て引力を発見しましたけど、俺たち世代は胸の高さに構えたビーダマンから発射されたビー玉が放物線を描いて落下していくのを見て引力を発見したじゃないですか。そして大人の汚さも発見したじゃないですか。だってあいつら嘘つきだよ!!いくら締め打ちしようがそんな空き缶凹まして吹っ飛ばすとか絶対無理だったもん、それでさ、まあたしかにパワーはね、パワーはそんなにオモチャで出せるわけはないもんね?わかるわかる俺だってもう子供じゃないからさ、それくらいわかるよ?でも、でもねー、回転ならね?回転ならするでしょするよね?するする絶対する、ビー玉が回転したらカーブがかかって曲がるのは、うん、俺理科得意だから、わかる、曲がるよね?絶対曲がるよね?って買ったゴールデンビーダマンも結局「あれ?欠陥住宅かな?」くらいにしか曲がらねえしよ〜〜〜!!!!!!!汚い!!大人って汚いよ!!それでも貴重なお小遣いを叩いて買っちゃったもんだから元取らなきゃなと思って友達と遊ぶんだけど、なんか、テーブルの端に的になるような何かを置いて反対側のテーブルの端からビーダマン構えてさ、ジジイの小便みたいな速度で飛び出したビー玉が的に当たったり当たらなかったりしながら「あ、当たった」「あー、当たらなかったー」とか言いながら遊んだの、懐かしいな〜〜〜!!!懐かしいけどあの時間が楽しかったか楽しくなかったのかちっとも思い出せねえな〜〜〜!!!ビー玉発射してる時間よりテーブルから落ちたビー玉拾ってる時間の方が圧倒的に長かったしな〜〜〜!!楽しかったのかな〜〜!?いや、でも楽しかったはずだよ、だって俺その後もけっこういろんなビーダマン買ったもん!漫画読んでたら次々に主人公たちの使うビーダマンがパワーアップしていってさ、そのたびに新商品が発売されて俺買ったもん!なんとかフェニックスみたいな名前のさ、更に強力な締め打ちができてパワー倍増!みたいな触れ込みで向こうが売ってくるからまた期待して買っちゃうんだよ、それで、やっぱちゃんとパワーアップしてて、ワンカップを2杯飲んだジジイの小便くらいの速度で発射できるようにパワーアップしてて、俺、楽しかったのかな~~~~~~~~~!?俺あの頃のビーダマンをちゃんと楽しんでたのかな~~~~~~~~~~~~!!!!?????頭が痛いよ~~~~~~~~!!!!ビーダマンのことを思い出そうとすると頭が割れるように痛いよ~~~~~~~!!!!助けてくれ~~~~!!誰か俺を助けてくれ~~~~!!あの商法マジなんだったんだよ、次の新商品はもっとすごいって大人は言うけどさ、もっとも何も前買ったのがすごくなかったんだよ、全く!!全然期待はずれの出来栄えだったんだよ!!でもお前らが次の新商品はもっとすごいって言うからさ、純粋無垢に瞳をキラッキラ輝かせて耳の裏も無味無臭の俺たちは、次こそは本当にすごいかもって信じてまたビーダマン買っちゃうんだよ。何度も何度も信じては裏切られ続けたんだよ。バンドマンのヒモか?ビーダマンはバンドマンのヒモなのか?「絶対次はちゃんとするから、俺頑張るから、生まれ変わったから信じてくれよ」って毎月第一・第三木曜に言うんだけど何一つ変わらないバンドマンのヒモなのかお前は???汚いよ、大人って汚い!!!!

そういうわけだからね、ボトルマン、買おうかどうかめちゃめちゃ今迷ってる。俺たちのビーダマンの熱狂の本質は、ビーダマンが実際にすごかったかどうかとは全然関係なく、この信じたい気持ちだったと思うんよね。次こそは本当にすごい可能性を秘めたミラクルホビーなのかもしれないという信じる気持ち、それを思い出して耳の裏猫の肛門おじさんはボトルマンに興奮してるんだ。だって20年経ってるからね、人類の技術力は格段に進歩してるから。あの頃、一人一台スマホを持ってその中で買い物から映画鑑賞からなんでもできちゃうなんて未来、想像できてましたか?できてなかったでしょ?ティッシュ箱に穴を開けられるくらいの威力のビーダマンはきっと出てくるはずだって未来は信じてたけど、スマホがある未来なんてあの頃は想像することもできなかったでしょ?それくらい人類は進歩してるんですよ。だからね、ボトルマンはきっとビーダマンとは違うよ、きっととんでもない威力でキャップがすごい勢いで飛んでいって、きっと俺たちを最高にエキサイトさせてくれるはずなんだよ。当たり前だろうが!!そうに決まってるだろうが!!ボトルマンはキャップをめちゃめちゃ飛ばすんだよ!令和の800円のプラスチック玩具舐めんなよ!!!痛いよ~~~~~~~~~!!!!!!頭が痛いよ~~~~~~!!!!!!誰か俺を殺してくれ~~~~~~!!!!!!俺を裁いてくれ~~~~~~!!!!!!俺のあの頃の浪費を誰か裁いてくれ~~~~~~!!!!!!言っちゃった!!浪費って言っちゃった!!!俺はまた繰り返すのかあの浪費を!!!頭が痛いよ~~~~~~!!!!!!誰か俺の目を潰してくれ~~~~~~!!!!!!ボトルマンは買いたい!!!ボトルマンは買いたいけど、ボトルマンから発射されたキャップが自由落下運動しているところを俺は見たくないんだよ~~~~~~!!!!!!だから、俺の目を、誰か俺の目を潰してくれ、病室のベッドに横たわり、もはや陽の光を感じることもできなくなってただ窓の外から吹く秋の到来を感じさせる冷たい風に頬を撫でられるばかりの俺に、「ボトルマンのキャップ、めちゃめちゃ飛んだよ」と、ただ一言だけそう言ってくれ。神様~~~~~~!!!!!!

以上です。

MIU404最終話のあの仕掛けへのモヤモヤ

ネタバレ全開だから気をつけてねー。

 

むしろ1話から最終話まで全部観てる人を想定読者として書くので細かい説明とか省きまくるからねー。ていう、タイトルでは「モヤモヤ」って書いてるけど1話から最終話までずっと最高のずっと100点満点だから。めちゃめちゃ面白いから全国民見ろ。今すぐパラビに登録しろ。2週間無料だから1日1話見ても全11話、無料期間中に全部見て解約できるから。ほら行った行った!完全に2020年のベストドラマ。その点について異論はないんだけど、最終回もまあ客観的に見たら100点で異論はないんだけど、主観的にはひとつどうしてもモヤモヤが拭えない点があってさ。

好みの問題っちゃ好みの問題だとは思うんだ。美味しかったんだけど、パクチー入ってたな、くらいの。人によっては全然気にならないだろうし人によってはこのパクチーが堪らなくいいんだよって人もいるだろうし、多くの人々は何も気にせずおいしくいただいてたんだと思うんだけど、俺はパクチーなしでも全然別に成立して変わらず美味しいなと思っただろうし、事前にパクチー抜きでって言えるんだったらパクチー抜きで食べたかった、そのパクチーの話を、俺は今からするんだよ!!

 

MIU404は本当に第一話からノンストップで展開していく王道バディもの刑事ドラマで2020年ど真ん中の社会的なものからいつの時代にも普遍的に存在する文学的人間的なものまで決して軽薄には取り扱うことのできないシリアスなテーマを複数同時進行的にこれでもかと盛り込みながらも本当にこの世界のどこかで生きているかのように魅力的で親しみやすいキャラクターたちの関係性が眩しく変容していく様を交えながら軽やかにあくまでポップに描く完全無敵のエンターテイメントで本当にこんなドラマが見れて良かったありがとう野木亜希子、ありがとう綾野剛、ありがとう星野源って感じの本当にすんばらしいドラマでした。

特に作品全体を貫く「人は自分の人生のすべてを自分の望む通りに選び取ることはできない、そして決して時間は元には戻らない」というテーマ、「どうしてこうなってしまった」という無念や失望、「あの時ああしていれば」という後悔と諦念、決して振り返り戻ることはできない背後遠くでちらつく「あったかもしれないもっと違った未来」へ恨めしそうに伸びていく影を引きずりながらそれでも人は前を向き灰色の世界の中、光を目指し走り続ける。そしてその一筋の光に手を伸ばし触れられた瞬間、灰色の世界はほんのりとパステルカラーに色づく。理不尽と不条理に溢れた世界における人間の無力さ弱さを決して安易にご都合主義的に解決することは無く、それでもそんな世界にあっても失われない人間の強さ、温かさ、希望を描くストーリーテリングはまさに野木亜希子の真骨頂という感じで毎週毎週興奮感動しっぱなしであった。

だからこそ、だからこそ、だからこそさあ、最終回で時間を巻き戻して未来を分岐させて「あったかもしれない未来」と「選び取った未来」の両方を見せちゃう演出ってどうなのよ!?

それができないからこそ、これまでの10話まで登場人物たちはみんな悩み足掻き苦しみしてきたわけじゃん。それを最終話だけは作家のさじ加減ひとつで時間を巻き戻して、BAD ENDをTRUE ENDに上書きすることが本当に最終回に相応しいイカした演出なのかが俺にはどうしてもわからないんだよね。最終話で例外的にそれをアリにしちゃったらさ、加々見は人を殺さなくて済んだかもしれないけど野木亜希子は助けなかったし、ガマさんも人を殺さなくて済んだかもしれないけど野木亜希子は助けなかったし、助けないまま失望の中でハムちゃんを助けられた方が伊吹と志摩の絆が強固になるしそれを野木亜希子が見たかったからガマさんはあんなことになっただけだし、で、伊吹と志摩が絶望の底に沈むところも見たいし伊吹と志摩が眩しい活躍するところもやっぱ両方見たいしきっと視聴者もそうだろうから両方見せちゃえみたいな野木亜希子の一存で時間が巻き戻って両ルートが描かれたって話になっちゃうし、あれ!?このドラマってそういう話だっけ!?て感じになったんだよね、俺は。俺いつから素敵な選TAXY見せられてたっけ!?みたいなね。

いや、わかるんだよ、やりたかったことはわかるし意図もわかる、そしてそこから受け取るべきメッセージもわかる。ただMIU404の核となっていた野木亜希子の作家性というやつは、真摯な眼差しで現代社会を見つめそこに生きる人々に真摯に想いを馳せることで今世の中に実際に起こっている様々をストーリーのために婉曲したり矮小化したり誇張しすぎたりすること無く、もしかしたら私/あなただったかもしれないこの同じ世界のどこかの誰かの人生の息遣いを丁寧に描きそれがまた視聴者一人ひとりの人生が抱えるさまざまな事情にも寄り添っているように感じさせることにも繋がる、そんな現代のリアルに切り込む大胆さと自分の描きたい結論のために取り扱う現実の有り様をねじ曲げようとはしない謙虚さとを同居させる絶妙なバランス感覚こそが彼女の持つ作家性でありMIU404という作品の妙だったと考えるんだよね。

そう考えた時に、あの最終話の演出は、なんか、こう「変な色気が出たな」って感じちゃったんだよね。

現代の世の中の理不尽さ、不条理さ、暴力性に晒されながら必死にもがく人々を丁寧に描いてきたドラマだったはずなのに、最後の最後でなぜか作品の創造主・神たる作家が物語に対して持つ特権性を持ち出してしまった。そのことにすげえモヤモヤする。物語を如何様にも動かすことができる作家の特権性って、本来は不条理で無慈悲で暴力的なものであるはずなんですよ。野木亜希子は「幸せな結末」のために、つまりは善いことのためにそれを使ったけれども、その手段として用いたあの演出手法っていうのはやっぱり暴力的で不条理なものなんですよ。何を言ってるんだかわからないって奴は映画『ファニーゲーム』を見ろ。

これは想像だけどね、コロナがなかったらたぶん「伊吹の夢」みたいな感じになってたんじゃないかなとは思う。あの九重くんからの連絡で目を覚ました時の綾野剛の演技を見ても、たぶんあれは伊吹の見た悪夢だったんだよって解釈の余地を残してることはわかる。それなら良かったんだけどね、それなら、志摩の過去回の演出でも「ありえたかもしれない」と勝手に志摩が妄想するシーンをまるで過去の回想(実際にあったこと)のように視聴者に思わせるかなり際どいミスリード狙いの演出があったので、夢なら全然スッといけたんだけど、時計を逆回転させちゃったらさ、それはもう完全に「作者による作為」以外のなにものでもないからさ、それまでMIU404対俺だったのが、あのシーンだけ野木亜希子対俺になったように感じて、三谷幸喜作品を見ていてふっと気を抜いてしまった瞬間にAKB48と一緒に踊る三谷幸喜を思い出してしまった瞬間の没入が解けてしまう感覚のような、なんかそういうものをあのシーンを見た瞬間に感じてしまったんだよな。

「分岐点」というキーワード自体は作品全体通してあったじゃん、てのもわかるんだけど、何が分岐点になったのか微妙によくわからないんだもん、TRUE ENDルートに入るキッカケは九重くんが陣馬さんへの熱い想いを語ったのをキッカケに陣馬さんが目を覚ましたことだけども、BAD ENDルートの九重くんと陣馬さんのあいだに熱いバディの絆がなかったのかというとそんなこともないから、やっぱしあの分岐演出は「作者の作為」としか解釈しようがないし、この作品に「作者の作為」の演出ってどうなんだろうなとやっぱりモヤモヤしたのであった。

もちろんこれを「蛇足」とか「画龍点睛を欠く」とかそこまで言うつもりはないんだよね。好みの問題、パクチーが入ってるか入ってないかの差ではあるんだけど。どうしても俺はなー、気になったもんだからさ、大好きなドラマで「最高!」って結論は変わらないんだけども、みんな大絶賛してるなか水を差すようでほんと申し訳ないんだけど、俺が書かなきゃ誰も書かなさそうだから書くんだよ、ブログってそういうもんだからさ。

あーあ!もうアレだな!もうどうせやるなら視聴者参加型まで振り抜いてた方が俺は納得できてたな!2020年東京オリンピックが始まったところでさ、マスコットのあの警察犬、ポリまる君?がひょこひょこひょこって歩きながらフレームインしてきてさ、「志摩は死んだし伊吹は久住を殺してしまったけれど日本人の念願である東京オリンピックは無事に始まったポリ!悲しいけど僕たちは前を向いて進んでいくしかないポリ!え〜、そんなの嫌ポリか〜?それじゃあみんな、dボタンを押して投票してくれポリ!このまま東京オリンピックのダイジェストを見たい人は赤、志摩と伊吹の活躍をもっと見たい人は青を押すポリ!僕がこのメロンパンを食べ終わったら投票終了ポリ!よーい、スタートポリ!」って言って、まるごとメロンパン号のテーマが流れるなかポリまる君がテレビ画面いっぱいのメロンパンに四方八方からかじりついて、そのあいだに視聴率10%全国1200万人のみんなが青ボタンを押しまくってそれで時間が巻き戻ったなら俺はその方が納得いったけどな。世の中的には絶対その方が怒られるんだろうけどな。でもあの演出がやってることって本質的にはそういうことよ?そういうことなのよ。

いいんだけどさ、いいんだよいいんだよ、ただたぶん1200万の視聴者のうちさすがに0.1%くらいはいるだろうと思う同じようなモヤモヤを抱えて「なんだこの説明できないモヤモヤは」って思ってる人に届け!て思って書いてるから。

あと、文句しか言ってないけど、面白かったのは本当にエクスキューズとかじゃなくて本当だから!そこだけはな!そこだけ頼むわ。とりあえずUDIラボチームも交えて映画かドラマ特別編やってくれ〜、シンプルに二期もやってくれ〜。最高だったんだ〜。

以上です。

 

MIU404のキャラクターネームについての一考察

ドラマ、MIU404が面白すぎる。とうとうパラビに入会してしまったのでとりあえず最終回までに全話3回づつくらい見直す気がする。兎に角このドラマ、綾野剛が格好良すぎて本当に格好いい。今まで見た実写ヒーローで一番くらいに魅了されている。まあ、そういう話はまた別の機会にするとして、眠いので今思いついたことを書く。

全部観てる人前提で書くので、観てないやつは今すぐパラビ登録して全話観ろ。損はしないから。

あのー、9話で菅田将暉演じる久住のセリフで「久住」は「クズを見捨てる」の「クズミ」やねんでーみたいなのあったじゃないですか、あれで、あーっと思って。

MIU404の主要キャラって、示唆的なネーミングではあるんですよね、みんな。

一番わかりやすいところで言えばもちろんダブル主人公の伊吹と志摩。伊吹はたとえば「生命の息吹」とかがパッと思い浮かぶし、対する相棒の志摩は特に伊吹のわかりやすさに引っ張られて「死」や「魔」などを連想させるとか当初から言われていた。その後バックボーンが明らかになった今となっては、久住の調子に合わせれば「死をまなざす」くらいが一番しっくり来るかもしれない。

そうやって考え始めると他の第4機捜メンバーにもなんらかの意味を見出せそうな気がして、パッと思いつく当てずっぽうだと桔梗は「希求」のダジャレかもしらないし、陣馬は「人馬」、九重は「心得」かもしれない。九重が一番苦しい気はしてるので他の対案は募集します。

で、「なるほど!そんな感じで各々のキャラクターネームはそれぞれのキャラを象徴しているんですね!」という話なのかというと、そうなんだけど、そうではなくて、むしろ「それだけじゃない」ことが示唆される作りになってるんじゃないかなー思って。

たとえば志摩は、たしかに相棒の死を間近でまなざしていて自分自身も投げやりなところがあって自身の死をもまなざしていたけれども伊吹のお陰で相棒の死の真相を知って伊吹と共に今生きている市井の人々のために何ができるかをもう一度追いかけ続けたいと思うように変わっていった。

理想を希求する桔梗は、現実もしっかり見据えていてしたたかだが、もちろん生まれながらに当たり前のように希求し続けられるわけではなくいつもギリギリのところで折れそうになりながら戦っている。桔梗の花言葉としては「気品」や「清楚」があるが、麻生久美子演じる桔梗はそういった一面はありつつもそれを自分のアイデンティティとは考えず、また死別した恋人の前では酒好きで洗濯物が苦手な話をしてたりとか、桔梗の花のイメージとはあまり結びつかない一面も持つ。

陣馬を「人馬」とするならば、それ自体は「一兵卒(ノンキャリ)の叩き上げ」である陣馬にぴったりのネーミングであるかもしれないが、そのように生きていた彼にも家族がいて、家族への愛情があり、キャリアである九重との友情に近い何かもあり、警察という組織の中の駒のひとつ(人馬)だけが彼の顔ではない。

九重が「心得」とするならば、それは警察のお題目みたいな綺麗事と驕った正義感によって作られた「心得」をただインストールされたエリートのお坊ちゃんとして彼は1話から登場したわけだけれども、彼もまた当然第4機捜の面々と数多もの事件に触れて違う顔を見せるようになっていく。

伊吹もまた常に人に生きる活力を与えられるわけではなく、挫けそうになる時もある。誰かの助けがなければ「生命の息吹」を意味する伊吹で在り続けることはできない。

つまり、MIU404のキャラクターのネーミングはある程度「その人を象徴する」ようにはなってはいるが、その象徴が彼らの全てではなく、それは彼らの持つ一側面にしかすぎないと物語っているように思えるのである。

第2話に登場した殺人犯の「加々見」は拉致された夫婦にとっては息子を映す鏡のように見えたし、彼の存在は夫婦の「信じたかった」という気持ちを映す鏡となったし、その上で彼は殺人犯だった。

そう考えると、これまでの縦軸の物語のキーパーソンとなった成川岳も「上に登る」「成り上がる」というイメージが連想されるものの人生のアップダウンを繰り返し、最終的には命を懸けて「他人を蹴落として他人の命をゴミのように捨ててまで成り上がりたくはない」という選択をした。

探したらこういうネーミングのレトリックはまだまだ出てきそうな気がする。

 

そして、これらのような人間が持つ多面性こそがこのMIU404という作品の主題でもある。どんな環境に生まれるか、誰と出会うか、それ次第で人の顔は、生き方は如何様にも変わる。自分が出会す他人の分岐点でその人の行先を良い方向に変えるよう介入することは決して容易いことではない、その困難さ、それを許さない世界の残酷さ醜悪さもMIU404は容赦なく描く。それでも信じ抜きたい。それでも、人は誰かを変えられると願いたい。それは他人の可能性を信じるということであり、自分の可能性を信じるということだ。

まるで運命のように、MIU404のキャラクターネームは自らサガを象徴するやうになっているが、名前がその人の全てを表すわけではない。名前が象徴するそれとは違う一面を、人は人との出逢いによって、人生の過程によって、いくらでも変わることができる。運命は変えられる。

そういう経緯がもし脚本にあるのであれば、ラスボスとなるであろう菅田将暉演じる久住が、自分の可能性も他人の可能性も何一つ信じず、名前の意味を自分で説明して、自分の生き様を一義的に規定したあのシーンがとてもしっくり来るのであった。

あと、書いてて気づいたんだけど、蒲郡さんのネーミング全然わからんと思ってたんですけど、ダジャレじゃなくて「どこにも引き返すタイミングも見当たらないまま復讐に死ぬまで取り憑かれた男」銭ゲバ蒲郡風太郎のオマージュだったら割と納得いくな。

以上です。