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岡村隆史炎上と、僕と深夜ラジオ

はじめに断っておくと、このエントリは岡村の失言やその後の矢部の説教の是々非々を考える内容ではない。岡村の発言は「そりゃ怒られるでしょ」と思うし、矢部の説教もそりゃ100点からは程遠い。が、「なぜそう思うのか」をなるだけ多くの賛同と納得を集められるように語ることが僕の書きたいことではないし、掲題のとおり僕と深夜ラジオとの20年のことを書きたいなと思った。

僕は今年で34になったわけだが、そうなるとつまり僕が初めて深夜ラジオを聴くようになったのが中学生の頃だったのでなるほどざっくり20年近くものあいだその時々でムラはあるものの僕の興味関心の中のひとつに深夜ラジオがある人生が続いているのだなと今回の岡村隆史炎上の件でなんだか感慨に浸ってしまった。

最近の若いもんのことはわからんが自分が中学生男子の時分には中学生男子とは大きく二つのタイプに分けることができて、ひとつはカウントダウンTVをみるために夜更かししているタイプと、もうひとつは深夜ラジオを聴くために夜更かししているタイプだ。これはもちろん大嘘で、深夜ラジオのために夜更かしもするしカウントダウンTVもチェックしている男子中学生も勿論多く存在していたはずだ。それなのになぜ僕がそう言い切るのかというと答えは簡単、俺がクラスで最低限抑えておかなくてはならないJ-POPシーンなどには一切興味がなく、そんなことより深夜ラジオのお笑い芸人の馬鹿話の方がよほど、むしろそればかりが大切だった根暗中学生男子だったというそれだけの話である。

深夜ラジオ好き男子中学生の人口は自分の体感ではだいたい男子の20%から30%くらいだったように記憶しているがここで気をつけたいのは一口に深夜ラジオ好き男子と言っても決して一枚岩ではないということだ。たとえば僕が当時とても楽しく聴いていたのはまず真っ先に挙げるのは爆笑問題カウボーイ、そして最初は難しくて面白さがあまりわからなかった(あと構成作家の笑い声が邪魔に思えていた)がどこかのタイミングで楽しみ方が完璧にわかるようになって今では「一番好きなラジオ」と断言できる伊集院光深夜の馬鹿力、そして意外と楽しく聴いてたけど本当にそんなに面白い内容だったかは一切記憶にない西川貴教のANN、ここらへんは欠かさず聴いていた気がする。で、ほかはまあ、色々つまみ食いして聴いたり聴かなかったりって感じだったと思う。当時は今のテレビ録画みたいにリアルタイムでA局を聴きながらB局を録画(録音)なんてこともできなかったのでスペシャルウィークなんかになるとANNとJUNK今日はどっちを聴こうかななんて毎日悩んでいたのは良い思い出だ。

さて、深夜ラジオ好きも一枚岩ではないというのはどういう話なのかというとなんかの話の折に「深夜ラジオ」になると「まじで!?俺も深夜ラジオ好きなんだよね!!何聴いてるの!?」みたいな話になってしまうわけだが、当たり前だが何が好きかは人それぞれでその各人各人にとっての「深夜ラジオ」というのは実態として全然違うのである。俺みたいな偏屈な人間はそこでナイナイのANNとか福山雅治魂のラジオとかゆずのANNとかを持ち出されると「ちょっと待ってくれ、俺の深夜ラジオ好きとお前の深夜ラジオ好きは違う、一緒にしないでくれ」と思ったものである。むしろ俺の中での勝手な偏見だが、単に「深夜ラジオ」という共通点を見つけただけで目を輝かせて「俺も深夜ラジオ好き!!何聴いてるの!?」と前のめりに聴いてくる奴らはそこらへんが好きな奴らが多かったような気がする。伊集院光爆笑問題をより好んで聴く奴らは「俺も深夜ラジオ好き」と相手に言われるとむしろ身構える。もちろんこれも大嘘でみんながみんな俺みたいな考えのやつばかりなはずはなく、伊集院光深夜の馬鹿力福山雅治魂のラジオも分け隔てなく楽しんで聴いていた人たちも沢山いるだろうし、つまり俺は20年前から今日に至るまでのあいだそれほどまでにただ自分の偏屈を守り今なお卑屈で狭量な人間であるとも言える。

もちろん「深夜ラジオ」全般に言える共通点として「身内ノリ」というやつはどの番組においても等しく存在していて、放課後の教室で仲の良い奴だけでやっている馬鹿話みたいなところはどうしたってある。それでもなんだろ、当時、伊集院光爆笑問題とが別格に好きだなぁと思えたのは何故だろうと考えてみると、他の多くの深夜ラジオが「先生が見てないところで馬鹿話」っぽかったのに対して、僕の特に好きだった二つのラジオは「あえて先生に怒られに行く計画をこっそり放課後立てている」みたいなノリを強く感じていたからかなぁ、と今言語化してみるとそんな感じになる。

もちろん、自分の好きなものを持ち上げるために他の人の好きなものを下げるのは行儀が良くないことであるのは重々承知のうえでわざわざしているので、もう少しお付き合いいただければ幸いだ。おぎやはぎアンタッチャブル極楽とんぼ雨上がり決死隊もそれなり楽しく聴いてはいたのだが、やっぱり伊集院光爆笑問題が俺はぶっちぎりで楽しかったなぁ。楽しかったというか、格好良かった。もちろんその後に出てくる芸人深夜ラジオ、山里亮太とかオードリーとかハライチとかエレ片とかもそこそこ聴いてはいるのだが、今は中学生から高校生にかけての深夜ラジオ原初体験を思い出してる最中なので割愛する。そしてこのタイミングでこんなこと言わなくても、ということを言うのだが、ナイナイのANNは最も身内感が強くトークもほんわかでそんなに格好いい笑いをとってるイメージもなくテレビ人気とハガキ職人に助けられてなんとかなってる番組だなと思って当時からあまり好きではなかった。

もちろん、深夜ラジオを初めて聴くようになってからのこっち20年、ずっとヘビーリスナーであり続けたわけではない。人生のフェイズが変わるにつれ、そんな深夜ラジオばっか聴きまくってるわけにはいかないのである。それでも、なんだか生活が荒んだ時や落ち込んだ時や、あとはどうしようもなく暇を弄んだ時期なんかになると、久しぶりに深夜ラジオ聴いてみよっかなという気分になり、やっぱ伊集院光面白えなぁとか、太田は相変わらず馬鹿だなとか、オードリーまだ同じ話してるのかよとか、やっぱ矢部いないと岡村ギリギリだなとか、山里も初めの頃は伊集院光意識しすぎててきつかったけど今はなんかすっかり山里のトークだなとか、やついだけマイクボリューム下げてくれとか色々文句を言いながら、人生の随所随所で深夜ラジオを聴いて、つまり「一緒にしないでくれ」なんて捻ねたことを言いつつ俺もやっぱり深夜ラジオ大好きっ子なのである。

そしてそんな人生の合間にラジオとは別の全然狭い話なのだが僕自身も手慰みにブログなんかを書くようになり、最初の頃は書き方がよくわかんないので伊集院光トークを参考にしたなんか馬鹿な文章を書いてみたりなんかしちゃったりして、怒られたり褒められたりしながら楽しくやってたけど、インターネットの風向きもどんどんと変わっていって「言ってはいけないライン」なんかもどんどん刷新されていった。昔は特に本旨と全然関係ないところで脈絡もなく「Google菊門ティクスみたいな名前のやつでPV数を調べたんですけど」とか書いてたけど、いつからかそういうこと書くと馬鹿認定されて本旨を読んでもらえなくなるので書かないようになったりしながら「時代は変わっていくなー」とか思っていた。ラジオの方でもそんな時代の変化はどうにもあったようである時からラジオで喋った内容の無断書き起こし転載ブログ発で深夜ラジオのパーソナリティがプチ炎上を起こすみたいな事象も出てくるようになって、特に覚えてるのは伊集院光LCCの航空会社を利用した時にちょっと揉めたみたいな話をラジオでしてて、そのラジオの内容自体は伊集院光が自身の真面目馬鹿な性格が災いしてLCCのガチガチのルールとの折り合いを自分の中でつけようとするも全然うまくいかなくてどんどん気まずい感じになっていく流れを自虐たっぷりに語ってめちゃめちゃ笑えたんだけどネットでは「自分の意見を押し通そうと航空会社を告発する悪質クレーマー」みたいな扱いをされちゃって、大変僕も憤ったものだった。まあでも、今の時代ってそんなもんよね、と思いつつ。その後も僕は、ブログもあんまり無茶苦茶なことが書けなくなったなぁと思った折には息抜きに伊集院光の馬鹿力のネタコーナーにインターネットで書いたらまあまあ怒られそうなネタを書いて運が良い時は採用して読まれたりして、採用されると伊集院光が全裸の特製カードとかがもらえるんだけど「もらってもなぁ」と思ったりしつつ、人生とインターネットと深夜ラジオとを、それなりのバランスでその時その時続けていたのだった。

そんなこともあったりしながら時は流れて2020年コロナ禍、ナイナイ岡村炎上のニュースが耳に飛び込んできた。僕は34歳で、深夜ラジオを初めて聴いてから、ナイナイのANNを初めて聴いてから、かれこれ20年前後が経っていた。とりあえず、岡村のラジオを聴いて「あー、こら怒られるわなぁ、弁解のしようもないわなぁ」というのを確認して、それからは他の深夜ラジオ芸人の深夜ラジオの動向も見守りつつ、岡村隆史のANNも見守りつつの、そんな数週間だった。久しぶりにたくさん深夜ラジオを聴いた数週間だった。

やっぱ、そんなこんなで深夜ラジオを長く聴いて、それ含めてのナインティナインを知ってる身として、あの矢部浩之の公開説教は色々思うところがあったな。その翌週のも含め。こっちが自分と深夜ラジオの20年を考えてた時に、お笑いコンビとしての30年を語られたら、そりゃこちらも思うところが出てくる。ただただ年月を感じた。そして変わっていく時代と世界とを感じたし、変わっていった自分とあまり変わってない自分とを感じたし、変わっていった人間関係を感じた。岡村隆史の女性蔑視発言を憤ってる人からしたら「そんな矮小な話に落とし込むな」と怒られるのはやむもないことだが、個人の20年とか30年はきっとそんなに矮小ではないし、1個上の先輩に説教する50近いおっさんが語った自らの人生の転換期もきっと矮小ではないんじゃないかなと思った。俺にはそうとしか思えなかった。世間一般の是々非々は問うまでもなく、岡村の失言はマズイのだが、そこを皮切りに顕になった二人の30年は、俺は彼らのラジオをあまり面白くないと思いながら20年間たびたび聴いていた人間として、とても軽んじることはできなかった。あくまで俺にとってはね。

爆笑問題太田の20年越しの言葉も俺は身につまされる思いだった。こいつはどこまで純粋で、頭が悪い癖に、頭が悪いままでいつづけるのだろう。書き起こしされてしまえば、界隈によっては「そんなこと前提の前提だろ」と一蹴されかねない、それでも本当にお前らそれを前提にできてるか?と問わずにはいられない、切実で幼稚なクエスチョンを40分もの長尺をかけて言葉を尽くして語った。本当に20年前と変わらず、馬鹿格好良かった。自分から見える世界以上のことは語らずに、自分に見えない世界のことをせいいっぱいに想像しているように見えた。それについてはナイナイもそうなんだと思った。岡村なんかはまあ、あんま現時点で加点ですよって擁護できるようなことはまだ一つも言えてないと思うんだけど、それでも彼の狭すぎる自分の見える世界の外に自分にまだ見れてない世界があるというそのことだけは、理屈では頭では理解しようとしているような気がした。伊集院光は最近はやらない危ないボケ方をしているだけだったが、まあアレも本人なりの援護射撃なのかな、アレはよくわからん。

話を戻すと、このエントリは別に岡村隆史の失言とその周辺のなんやかやをジャッジしたい批評みたいな、黒なのか白なのかみたいな話ではない。ただ、別に、俺は今の時代のこの瞬間においての黒がどこからで白がどこからでなのはある程度わかってはいるつもりなのだが、その物差しを振り回して彼らをジャッジするには20年は長すぎたな、と思う。

彼の失言の黒さを白いということはできないし、その周辺で起こったいろいろな発言をそんなにめちゃめちゃ白いと殊更に声高に叫ぶこともできないけれど、20年があるからこそ、白を目指してもがく彼らを「まだまだ全然黒い」と断罪することは俺にはできんですよ。

爆笑問題太田が口を酸っぱくして言ってたのは、わかりあえる可能性があるってことで、正直俺も何言ってんだこいつ、と思った。でもなぁ、なにかを掬い上げる手があってさ、その指の隙間からこぼれ落ちる感覚や人やがあってさ、そいつらを、また掬い上げる手はあった方がいいに越したことはないし、でもその手からもまた何かや誰かは溢れる。その繰り返しで、誰もが溢れて落ちていくし、誰もが誰かを掬いたいんじゃないかと思う。誰もが何も掬おうとしない世界なんて絶望しかないし、そうはなりたくないからこそ、みんな何かを掬おうとして、そのなかで余計な他の誰かを傷つけてしまう何かまで掬い上げてしまってるのかな、みたいな。そういう風に考えると、俺は爆笑問題太田の言うことに納得がいったのだった。

俺がそんな好きじゃなかった深夜ラジオに掬われてた人もなんぼでもいて、深夜ラジオやってる人たちみんな、誰も取りこぼさないようにみながそれぞれに掬える人を掬っていただけなんだろうな、悪いものまで一緒に掬い上げながら。深夜ラジオという総体は、深夜ラジオに惹かれる人すべてを掬おうとしていた。だから、俺があんま好きじゃない深夜ラジオがナイナイ含めたくさんあったのも、必然だったのだろう。俺が掬われなかったラジオがあって、俺が掬われたラジオがあって、俺じゃない誰かが掬われたラジオがある。ラジオという文化は、ひいてはすべての文化は、本当はすべてを掬おうとしているのだろうと思う。思いたい。

俺にはできないってだけで、そんな事情を知らない人には真っ黒に見えるのかもしれないなとは思うけど、それで全然いいんだろうなとは思うんだけど、誰の中にもそういう灰色ってあるんじゃねえのかなぁとかは思うんだよな。今この瞬間の白黒のために塗りつぶしてしまってはいけない、自分の人生の横にある、灰色ってのが誰にでもあるんじゃねえかなって俺は思ってて、他の人に本当にあるのかは知らねえけど、もしそういう心当たりがあるなら、そういう灰色を塗りつぶさない方がいいんじゃないかなと思うので、俺は塗りつぶさない。万が一にも白いとは思わない。ただ、自分の中のそれを真っ黒く塗りつぶしてはいけないと思う。だって全員が掬われたいじゃんか。以上です。

平田オリザの言い分と、コロナ禍への私見

あれはまだ2月だったか、野田秀樹が演劇への自粛要請への反論的な声明を出していて方々から非難を浴びていて、その時は俺もまだ野田秀樹を擁護する立場だったのである。他のどの業界もまだ事実上ものんびりのびのびやっていた時期であり(もちろん見えない先行きに誰も彼もがやきもきしていたことは間違いがない)、その中で「どうせ中止にしたって誰もそこまで困りはしないでしょ」って調子で劇場とかライブハウスとかばっかり自粛を要請されて、「ちょっと待ってくれよ、こっちだってそれで食ってるんだよ、そこで生活してる人間だっているんだよ」って話なんだろうなと思ったし、だからまあ外からは偉そうに見えるところもあったかも知らんが、俺は野田秀樹の発したあの声明を叩く側にはようならんかったな。

そして野田秀樹が叩かれてた時に、野田秀樹の過激とも取られる声明とそれに対する反感にTwitterでどうどうと中立を探していた平田オリザが今、このタイミングでオピニオンを発信してそれで怒られているのかはなかなか庇い立てがしにくく、なんつーか、苦虫を噛み潰すような面持ちの俺こと僕です。

野田秀樹が声明を出したあの時とは、4月も終わるあのタイミングでは何もかもが本当に違っている。野田秀樹の声明を拙速と非難することはできるかもしれないが、それで言えば平田オリザがあのタイミングで出したあのオピニオンはあまりに拙遅だった。困っているのはなにも芸術ばかりではない。誰も彼もが困っている。そういう局面に世界は差し迫っている。

その中で殊更に文化芸術の重要性、有意義性?を語ることになんの意味があるのか甚だ疑問だった。生産業への理解が足りないとかそういう話ではない。演劇業界では役者なんかは役者だけで食えてる人はきっとごく一部で、あとはたとえばわかりやすいところでは飲食とかそんなところでバイトもしながら食いつないでいるんだろうと思う。バイトの方もこの情勢だろうときっとままならないだろうし、大変なんだと思う。一方で、フリーランスとして大道具だったり音響だったり照明だったり制作だったりで色んな劇団の公演を同時並行的に支える人たちもたぶん少なくはなくて、本当に「裏方」としてそれ一本でやってる人ってのが世の中にはごく一部に存在していて、そういう奴らの口に糊する生活が自粛要請によって破綻することに心苦しくて、あんなことを言ってるんだろうなということも、まあ別に想像はつくのだ。

とは言え、とは言えだ。

そんな彼らを思ったとして、芸術や文化の崇高さを語るのが今するべきなのかが本当に俺の中で怪しい。

たとえば、今、困窮してるたこ焼き屋がいたとして(当然いる)、彼らは殊更に「たこ焼きは素晴らしい文化だから、たこ焼き屋を補償しろ」と叫ぶだろうか、叫ばないだろうと思う。「ただの飲食業」として、「もうちょっとどうにかしてくれよ」と叫ぶだろう。俺は、文化芸術の人らにも、叫びたいならそう叫んでくれよ、と思うのだった。

ここからは政治の話になるのだが、俺は、個人を救うやり方を探してくれよ、と思っている。職業の貴賎もなにも関係なく、困ってる人たちが生き長らえるそういう方向でやろうよ、と思っている。

俺は、自分の結婚式で、フリーランスの「結婚式専門のカメラマン」に発注して撮ってもらったんだけど、平田オリザは絶対そういうカメラマンのことを知らずに喋ってるんだろうなと思ったもんな。そういうのやめようよってすげえ思うもんな。

「みんな苦しい」ということを、どう解釈して、どう立ち会うかなんだと思う。それを実践する土壌が今全然ない。憎しみあうばかりで。苦しいな。

以上です。

コロナ禍日記に

息子の髪を切る用のちっちぇえ梳きバサミが家にあったのでテキトーに髪をめちゃめちゃに切った。なんの計画性もなくざくざくと切りまくってやった。右の方が長いなと思えば左側に更にハサミを入れて左が短くなりすぎたと思ったら右に再びハサミを入れるなんてことを無軌道に繰り返しやっているとだいぶサッパリはしたものの全体的に短いところと側頭部は左右ともに長いところ短いところがまだらで完全にカラスの大切にしてるとてもピカピカ光る何かを奪おうとして失敗した人みたいになってしまった。髪を切るのに失敗した結果の比喩に失敗した人を登場させる必要ってあるのか。しかし正面から見ればなんとなくイケてる感じではあるのでどうせZOOMでしか人と会う予定はないし、まぁいっか。俺の頭を叩けばきっと文明開化の音がする。3オクターブは出る。

2年くらい前からもういい歳のおっさんだし美容院じゃなくて床屋でいいだろとなって、とぼけたマスターが切ってくれる同じ店にずっと月一のペースで通っていた。初めて行って髪を切り終えた時に「なんか(ワックスとか)つける?」って聞いてきたので「じゃあ、なんかつけてください」と答えると、「犬用のリボンでええかな?」と言ってくるので「じゃあ三つ編みにしてください」と乗っかりボケをしてやったらそれがマスター的に大層愉快だったらしく、その後このやりとりが恒例になってしまった。たとえば12月ならマスターが「そういやクリスマスツリーの電飾余ってたと思うわ」と言うので僕が「ほんならちっちゃい靴下のイヤリングも頼みますわ」と返す。そんなやりとりを月一で繰り返していた。

最後にその店に行ったのは3月の最初の土曜日で髪を切ってもらっている最中も新型コロナの情勢について言葉通りの床屋談義を世間話に、切り終わった時には「なんかつける?」に対してもはや俺が食い気味で「じゃあ五人囃子乗せてください」と返答していたが、会計を終わらせた後にマスターは「ほなら、また1ヶ月後にお互い生きて会おうや」と言って僕を送り出してくれた。

4月を前に志村けんが死に緊急事態宣言が発動して自粛ムードが加速して俺の仕事も完全リモートワークに移行した。別に新型コロナにかかってしまったって死にゃあしないだろうと高を括っていることには今でも変わりはないが、必要最低限の外出しかしてないならまだしも心当たりがあってはなんとなく間抜けで後悔が残るような気がして、むしろ床屋に行った後に感染が発覚してしまってはわからんけど保健所やらなんやらがその床屋にやってきて逆に迷惑をかけてしまうのではないかとも思い、まあ、とどのつまり、マスターの1ヶ月後にまた会おうと言ってくれた約束を俺はぶっちしたのであった。自分で髪を切っている最中もそんなマスターとの最後のやりとりを思い出しては、なんだか申し訳ない気持ちになった。月にたったカットのみ2500円を落とすしょぼい客でしかないのだが、そんな俺みたいな客どもの集積がマスターの生活を支えていたのだろうと考えると、この疫病は人の命を奪う以上に世界にとって大きな爪痕を残すのだろうと改めて実感が湧く。できることならば自分で切り散らかしたぼさぼさの頭で再びお店に行って「なんやこれめちゃめちゃやん」とマスターに悪態を突かれながら整髪してもらい、「なんかつける?」と言われるのに「大きなリボンが似合うポニーテールに結んでください」と返し、「じゃあまた来月も」と挨拶をして別れたいものだが、それがいつになるのかその頃あの店はまだ店として存在しているのか、それはもう誰にもわからない。

義理の父は30年来長らくずっと個人タクシーをやっているのだがこのご時世では商売はもうさっぱり上がったりらしく、早々に営業を畳んでこのコロナ禍を人生の遅れてやってきた夏休みと割り切って毎日を謳歌しているそうだ。「わしはチャンスには弱いがピンチには強いから大丈夫や」と語っていたそうで、いつもはのらりくらりごまかしながらぼんやり生きておいて攻め時になると途端に突然生き生きし始める俺みたいなタイプの人間には到底思いつかないフレーズだなと思い、小心者でセッカチで協調性にやや欠けるが植物や動物や日々のルーチンやを愛でながらマイペースに毎日を生きる義父が言う、だからこその説得力に感心した。

義父はハゲを割り切ってスキンヘッドとして生きる道を選んでおり、いつもシェーバーで頭を整えている。俺が感傷に浸りながら髪を切っている一方で、義父は一切合切がいつもどおりのまま今日も頭にシェーバーを当てているのだろうと思う。

人の多様性とは人類という種があらゆる環境であっても誰かは生き残るようにするための遺伝子の生存戦略なのだろうとは平時からまことしやかに語られていたが、今この状況においてはまんざらなかなか馬鹿にできない論であるよなとしみじみ思う。

それでも誰も彼もまるっとみんな生き残ってはくれまいかと俺に思わせる俺の遺伝子が、今この世界において淘汰されるべき遺伝子かそうでないかは、それもやはりもう誰にもわからない。