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鴻上尚史の「いけそうな女を狙え」炎上、誤解かも説

  

えーと、普段は軽妙洒脱な回答で絶賛されてる鴻上尚史の人生相談がなんか燃えてて、もともと劇作家としての鴻上尚史(の作品)がそんなに好みじゃない僕は「ほーらそんなありがたがるような人でもないんだって」と思って横目に眺めてたんですが、内容を見てみるとあれれ?と掲題のようなことを思ったので端的にしたためます。

お話してる通り、僕は鴻上尚史の作品があんまり好きじゃないのでそれはつまりその作家の人間性があんまり好きじゃないことに直結するためとくに鴻上尚史を擁護したい意思はさらさらなく、どちらかというと普段は鴻上尚史の人生相談に何かしらの希望を感じている人が今回ので鴻上尚史に失望してしまい、そこからひいては世界に失望・絶望してしまっていたとして、もしそれが誤解によるものであれば気の毒だなと思い、最初から鴻上尚史に何も期待してないので特に失望もしていない僕が筆を取った次第です。

なので、以下を読んで「なるほど、誤解だったかもしれない」と思ってもう一度鴻上尚史の言わんとしてることを考え直すならそれもよし「いや、誤解ではない」と失望し続けるならそれもよし、各自好きにしてください、って感じです。

 

では始めます。

 

鴻上尚史の論建てを段落に分けて考えると問題になってる前半部は以下のような構成になるんじゃないかと僕には読めたんですよね。

 

1.スマートな大学生のなり方を野球のうまい大学生に置き換えてみよう。野球がうまいフリじゃなくて本当にうまくなるしかないのはわかるよね?

 

2.うまくなるためにはとにかく練習するしかないよね、バッターボックスにたくさん立つしかないのはわかるよね?

 

3.まずは大学のクラスをバッティングセンターに置き換えて考えてみよう。

 

4.それじゃうまくいかなさそうなことがわかったね、ではどうしようか?サークルかバイトか、来る球を選べない、女の子とのおしゃべりが主目的じゃない、メインの目的を遂行するためには嫌でも女の子とも喋らなくてはならない環境に飛び込もう。

 

その後の話は、本題ではないので割愛しますが、だいたいこんな感じなのではないでしょうか。

 

はい、で問題になってる箇所、まずはそのセンテンス部分だけ抜きとってみましょう。

 

 そういう時は、クラスで「男性と会話することに怯えている女性」を見つけましょう。

 ポンプ君と真逆で「6年間、女子校でした。男性とどう話していいか、まったく分かりません」なんて人がいるかもしれません。

 

で、これに対して「舐めとんのか」とみんなが怒ってるわけですけど、このセンテンスは段落構成で見てみると、「3.まずは大学のクラスをバッティングセンターに置き換えて考えてみよう」の一部になるわけですけど、ではこの3つ目の段落を全文引用してみましょう。

 

 バッティング・センターに行ったことはありますか? バッティング・センターでは、球の速度によって、バッター・ボックスが分かれています。

 90キロとか100キロとか120キロとかです。

 4月、大学のクラスでいきなり可愛い女の子に話しかけるなんてのは、130キロぐらいのバッター・ボックスに立つことです。バットにボールが当たるわけがありません。そもそも、130キロは怖いです。

 そういう時は、クラスで「男性と会話することに怯えている女性」を見つけましょう。

 ポンプ君と真逆で「6年間、女子校でした。男性とどう話していいか、まったく分かりません」なんて人がいるかもしれません。
 
 いたら、その女性は、だいたい80キロぐらいです。

 でもまあ、通常は、クラスには3割打者が何人かいます。130キロの剛速球に慣れた男達が、ポンポン、かっ飛ばしてしまいます。

 ですから、一般的なバッター・ボックスは、サークルかバイトですね。ここで、間違っても男しかいないサークルとか、男しかいないバイトを選ばないように。それは、青春の自殺行為です。

 

さて、いかがでしょうか?「80キロの女を狙いにいく」という戦法を、鴻上尚史は本当にポンプくんに推奨しているように読めるでしょうか?

僕には「だいたい女馴れしてない男って、こういう思考に陥りがちだけど、そんなことしたって相手にされるのは結局もっとイケてる女慣れした男なんだよね。だからやめとけよ」というアドバイスにも読めるのですがどうでしょう?

そしてこのあとには「話しかける女性相手を自分で選んでられる余裕なんかない環境に飛び込め」という論が展開されとりわけ「間違っても男しかいないサークルとか、男しかいないバイトを選ばないように」と強調します。これはつまり「そんな環境に身を置いたら、選り好みして女に話しかけてしまう大学のクラスくらいでしか女と喋る機会がなくなるぞ、そしてそこではお前は見向きもされないぞ」と言っているようにも見えます。

 

というような感じで、ですね。

センテンスだけ抜き取ると鴻上尚史がいかにもおっさん的な思考で「気の弱そうな男慣れしてなさそうな女を狙え」とアドバイスしてるようにも見えてしまうんですが、全体の構成を見てみると、むしろ「自分に釣り合いそうな女を選り好みする、バッティングセンターのノリで話し相手にする女性を選ぶ」といういかにも女慣れしてなさそうな男が考えそうな思考回路を先回りしてそこに活路はないぞ、と潰しているようにも見えます。

鴻上尚史の本当に言いたかったことは「いけそうな女を狙え」ではなく「いけそうな女を狙おうなんて悠長なこと言っててどうする、甘いんだよ、選り好みしてる余裕なんかお前にはないし選り好みしてるようじゃ結局負けるんだよ、緊張しようがなんだろうがとにかく女性と喋らざるをえない環境にまずは身を置け」といった内容だったんじゃないかなと思ったんですがいかがでしょう。

少なくともバイト先やサークル内でも男慣れしてなさそうな話しやすい女の子とだけ喋れとは言ってません。むしろクラスと違ってそんなん言ってられないからね、バイトとかサークルってやつは(そしてだからこそ、ポンプくんはそういう環境に身を置くべき)、ってニュアンスに僕には見えます。

もちろんそのうえでポンプくんがイメージしやすいようにという意図はあっただろうにせよ女性の接しやすい接しにくいを球速に例えるのがホモソ的で問題だと言われればそれまでですが、鴻上尚史の示したい方向は、どちらかというと「女をバッティングセンターみたいに考えるな、そんな馬鹿なこと考える余裕もない男も女もたくさんいてそいつらとコミュニケーションしなくてはならない環境に身を置け」という話に僕には見えました。

僕から言えるのは、それ以上でも以下でもありません。

ここまでを読んだ人が「なるほど、そうかもな」となるか「んなわけあるか絶対許さん」となるかは僕じゃなくてこれまでの鴻上尚史次第なんじゃないかと思います。おまかせします。

あとは、こう、段落に分けてみると、パソコンで見たときめちゃめちゃ変なところでページ分割されてるよね、編集なんも考えてないな、って程度には。そういうのもあったのかなーとかは思った。

 

ま、言いたかったこととしてはそんな感じなんですけど、それはそれとして「こいつなら俺でもいけるやろ」って思われるのは良い気はしないよね。

たとえば男同士でも2年3年のなかではめちゃめちゃいじられキャラなのに1年にはやたら先輩風を吹かしてマウント取ろうとしてくる奴とかいたらむかつくもんね。いじられキャラ自体は馬鹿にすることじゃないけど、そこで後輩に普通に接するんじゃなくてこいつら相手なら俺がいじりキャラになれるんじゃないかみたいな感じでこられたら、「あ?」ってなるもんね。おしゃべりをする相手を選ぶにせよ、選べない環境に身を置くにしろ、常に相手へのリスペクトは忘れないように人間生きたいものだよね。

まぁ、俺、人間じゃなくてワニだけど。じゃ、ぼちぼち死にまーす!!

以上です。

「自分かわいさ」ゆえのパニックは、しんどい

新型コロナウイルスの影響で日本全土が騒がしい。

先週あたりから仕事の方でも本格的にいろいろな影響が出始め「これはパニックだなぁ」と思いながら過ごしていたら、週末には国が重い腰を上げてお尻をふりふりと踊り出してくれたお陰で更に混乱は加速して気付けば1ヶ月前には想像もしていなかったような文字通り国が丸ごとひっくり返ったような大騒ぎになっている。

それで僕はというと、専門家でもなんでもないので実際のところあんまりわからんのだが現状の受け止め方としては新しい名前の風邪が流行ってるくらいの話なんだろうなくらいに思ってるところがあり、毎年風邪やらなんやらで死ぬ人や交通事故で死ぬ人の数に比べればそんなに恐ろしいもんなのかなと思っているし、とは言えインフルエンザも今でこそ今の扱いだがタミフルだのリレンザなどが登場する前はえらく恐ろしい病気として社会的に扱われていた記憶もうっすらあるのでアレと同じものなのかと考えれば過剰に恐れてパニックに陥る人がいるのも仕方がない。実際死ぬ時は死ぬやつだし。とりあえず地元の90過ぎた婆さんか死なないかは僕も心底心配だ。そういうわけで彼らを馬鹿にして断絶することもしたくはない。せめて怪我の巧妙というと少し違うか、転んでもタダでは起きないの精神でこれを契機にリモートワークなどの働き方改革とやらが少しでも前に進めばいいやくらいの気持ちで、まあ世の中のパニックを真に受けることなく粛々と生活を続けよう。

今の状況だと経済的な影響がどれくらい出るのかとか先行き不安な事柄は枚挙に暇がないことは間違いないのだが新型コロナウイルスという感染病そのものに対する僕のスタンスはそんな感じでそれは一貫しているつもり。

だもんで、「こんなパニックはきっと311の震災以来だな」と思いつつも世の中の喧騒や日々のニュースから僕が食らうダメージはあの震災のそれに比べれば極めて軽微だし、まあえっちらおっちらやっていこうてな調子でいつもどおり情報を浴びまくりながら生きてたのだが、今日になって唐突に「あれ?もしかして俺めちゃめちゃしんどいのでは?」ということになんとなく気付いてしまったのである。

そしてその理由はなんであろうかと考えた結果、今回のこのパニックは、日本人すべてが本当の意味での「当事者」として直面しているということに先の震災とは違いがあるのだなということに気づいた。

もちろん、経済的なことを考えれば日本人誰もが当事者であったという点について言えば先の震災も今回のこれも同じである。が、感染リスク、もっと直接的に言えば死を恐れるという点においては、やっぱり先の震災(もっと言えばそれより前と後にあったあらゆる災害)と今回のこれは違う。災害には良くも悪くも当事者と非当事者がいた。被災者とそうではない被災地とは遠く離れた地に住む人とがいた。

何が言いたいかというと、災害の時のパニックって非当事者による他人を思いやる善意によるパニックの部分もあったのだった。もちろん、その全てが善意だったとはとても言えるはずもなく、例えば非当事者が非当事者ゆえの自分かわいさのあまりに原発被害を受けた地域を差別したりだとかそういうのはあったし今も残ってるわけだが(余談だけど、当時の国内における被災地差別って、今世界で起こってるアジア人差別と構図がすごく似ているよね)、災害によって起きるパニックの中には当事者ではなく当事者である人たちに対して何もできることがない自分の無力感に起因するパニックだとか、そういう善意によるものが少なからず混じっていたのだが、今回のこれは自分がいつ感染者になるかわからないという当事者意識がパニックの成分構成のほぼほぼを占めていて、つまりは大半が「自分かわいさ」によるパニックであるのだなと気付いた。

ぶっちゃけ、被災地に良かれと思って家に余っている使えそうなものを送りつけるような人たちと、今回買い占めに走ったりマスクを手に入れようと奔走している人たちってだいたい同じ層なんじゃねえかなと思ってるのだが、前者はそれが適切な行動であるのかはさておいてもまだ「他人のために自分にできることはないか」という善意が原動力になっているのに対し、後者に関してはまあ完全に自分かわいさのことしか考えていない行動であると判断せざるをえない。それを殊更に糾弾するつもりはないのだが、まあ、人間のそういう部分しか見えないパニックを浴び続けるというのは、これ結構なかなかきついもんだなということに思い至ったのである。

「自分かわいさ」ゆえのパニックは、見ていて触れていて、なかなか本当にしんどいのである。

今やパニックは健康被害に留まらず、今後是々非々が検証されるべきであろう政治的判断によって、より多くの人々がより「当事者」としてパニックに陥っている。今後更に多くの人が陥っていくであろう。

その中で更により多くの人の「自分かわいさ」が露見され、より僕はしんどくなっていくのだろうと感じる。既に自分の立場の大変さを嘆くなかで、実にもっともらしく自分とは異なる立場の人を軽視した言動をカジュアルに披露する人々が少なからず僕の視界の端をちらついている。彼らを目にする機会は、彼らが僕の視界を占有する面積は、これから加速的に大きくなっていくのであろう。

もちろん、そんな中でも人の善意を目にする機会だって少なくはない。それに救われる部分もないではないのだが、それらの善意は一定の冷静さによって発揮されているものであるのだよなぁというのが僕にとって都合の悪い残念な真実だ。

人間のダメさの中に人間のかわいいところを見い出すことが生きる寄る辺の僕のような人間にとって、パニックそのものの中に他人を思う気持ちがあまり見出せないことは僕にとって実に不都合な真実の側面だ。それで僕はどうにも落ち込んでいるのだなということに気づいたのである。

とりあえず、「俺は気づいた」ということを書いて、真っ最中の真っ只中の今日のところはここで筆を置こうと思う。そして一度気づいたからには、明日からも生きるために一定の情報収集は続けながらもパニックそれ自体とは意識的に心理的な距離を置きながら生きていこうと思う。

願わくば、僕の隣人も決して平穏とは言えないまでも、平穏からは程遠いまでも、悲しみの只中に陥ることなく日々の生活をわずかばかりの喜びと共に生きながらえられますよう。

以上です。

イオンモールに見る、「男と女で見えてる世界が違う」の一事例

あのー、休みの日なんかにイオンモールなんかに行ったりするわけです。嫁さんと2歳半の息子なんかを連れて。

で、嫁さんと息子は平日に二人でイオンモール行ったりすることもあるのかな、あと、俺が土曜日ぐーすか一人で午前中寝倒しちゃったときに二人で行ったりとか。そういうわけで、だいたい主に息子には俺の知らないところで出来上がってる決まってるルーチンみたいなのがあって、家族3人でイオンモールに出向く時ってのは当然わざわざ出向く理由・目的とかがあって出向くわけなんですけど、そんなんお構いなしに彼には彼のルーチンがあるわけです。イオンモールに来たからにはこれをやらずにはおれない、みたいな。修学旅行では絶対木刀買うみたいな、修学旅行だからってもらったお小遣いを全部アイドルのブロマイド写真に注ぎ込まなくてはならないみたいな、彼なりのルールがいくつかあるんですね。

例えば、本屋さんの絵本コーナーで家にもあるはずの『はらぺこあおむし』を必ず読むだとか、ペットショップで陳列されてる子犬を見るだとかなんだったら店員さんがケージから出してくれて触らせてもらうだとか、あとは店頭販売をやってるウォーターサーバーのブースに立ち寄ってバルーンアートを店頭販売員さんに作ってもらうだとかね。そういうわけでちょっと買いたいものがあるから出向いただけのイオンモールなのに息子のルーチンをこなすだけで2時間コースとかに平気でなっちゃうわけです。

で、この時間が、まーだるい。いや、息子が楽しそうなのは何よりなんですけどね、だるいかだるくないかでいうとめちゃめちゃだるいわけです。

まずはらぺこあおむしを読みたがる下りな。いや、まーでもこれはいいや。許す。家にあるんですよ、はらぺこあおむし。もともと俺、はらぺこあおむしが大嫌いなんですけど、なぜならヴィレバンが推してたから。それだけでもう本当は虫酸が走るくらい個人的には嫌いなんですけど、なぜ俺がヴィレバンが嫌いなのかは過去エントリ*1を御覧ください。でもまぁ、俺がはらぺこあおむし嫌いな理由は俺のなかでの話であって、息子にとっては知ったこっちゃないしね、彼は彼なりになんか知らんけどめちゃめちゃ好きなわけだからそこに文句をつける必要はないよね。いやまぁ、家でいくらでも読めるんだからさ、わざわざイオンモールで読むことねえだろみたいなことは思わないでもないけどさ、わからんけどたぶん「キャンプ場で飲むビールうまい」みたいなそんな感じなんでしょう。じゃあわかる、わかるから全然いいよ。知らんけど。

で、問題は残るふたつだよね、

まずペットショップな。息子が「わんわん!わんわん!」つって楽しそうに血統書つきの子犬を眺めてるの。60万円とかすんのな。高っけ!フレンチブルドッグ高っけ!!顔の皺の隙間にカスが溜まってめっちゃ臭いくせに高っけ!しかもあいつら、子犬の方が価値あるからね、この60万がピークね、あとは加齢に伴って市場価値は下がる一方だから。今高く売りにかかって一生の家族を見つけないと、どんどん厳しい戦いになってくから、どんどん厳しい商戦になっていくから。もういわば逆ウイスキーだよね、逆ワインだよね、ウイスキーもワインも寝かせれば寝かせるほどプレミアがついて値段がつり上がっていくわけだけどフレンチブルドッグはそういうことないから、むしろ逆なわけだから。むしろワインが逆フレンチブルドッグとも言えるわけだよね、ワインを逆フレンチブルドッグって言ったのたぶん俺が人類史上初だと思うわ。

そのうえね、そうやって「わんわん!わんわん!」ってガキが喜んでるとね、店員があざとくそれを見つけて「ワンワン触ってみるー?」つってフレンチブルドッグという名の逆ワインを片手に逆ソムリエの顔で近づいてくるわけですよ。売る気まんまんの顔で。いや、実際に売る気まんまんなのかは知らないけど、店員には店員で売る使命があるから。で、「かわいいでしょー、男の子だけどおとなしいんですー、お子さんおいくつですかー?」って言ってくるわけですけど、俺が買ったマンション、そもそもペット禁止なんだよね!!ただ、それを言うのもなんだか気が引けて、なんかセールストークをなんやかんや聞きつつ、犬を抱っこなんかしたりして、息子のリアクションをみんなでうふふふーって眺めながら、セールストークされて、それでそそくさと退散するわけですよ。

バルーンアートを配ってるウォーターサーバー販売ブースも同様ですよね。息子が風船欲しさにフラフラと近寄ってなし崩し的に巻き込まれる。店頭販売員さんは、俺の息子にヘラヘラ声をかけつつ手ではバルーンアートを作りつつ、俺にウォーターサーバーがいかにQOLを高めるかをすげえ語ってくるわけ。人生におけるH2Oのクオリティの大事さをすげえ切々と語ってくるわけ、にこやかに。知らねえよ!!お前滋賀県民でもないのに水の重要さをそんなに語って恥ずかしくないのか?もっと自分は滋賀県民じゃないという誇りを持てよ??H2Oの素晴らしさを滔々と語っていいのは滋賀県民だけなんだよ、滋賀県民じゃないならば、もっと他に自信を持って売りたいものがあるんじゃないのか?

 これはさすがに滋賀県民を流れ弾でdisりすぎましたので謝りますけども、とにかく水はいいぞ水はいいぞって言いまくってくるわけ。で、こっちもバルーンアート作ってもらってる手前、邪険にはできないわけ。いや、内心は「こいつめっちゃH2O本気で売るやん笑 H2Oて」とは思ってるけど、ふむふむと熱心に聞くしかないわけ。で、結局「検討しまーす」とか言って退散するのは同じなんだけど。さんざんふむふむ聞いといて逃げるのはなんだか申し訳ないよね、そもそも買う気もなかったし。

で、俺はもうこれにいい加減うんざりしてさ、嫁に言うわけですよ、買う気もないのにあっち行ってこっち行って、向こうには向こうで見込み客でもない人を相手して時間の無駄だろうし、俺は俺でそういうセールスの相手するのめんどくさいし時間の無駄だし、買う気もないのに接客してもらって少しは心苦しい気持ちはあるしでもう嫌なんだけど、と。

それでまぁちょっと喧嘩なり議論なりが始まるわけですけど、そこから見えてきたのがちょっとびっくりな話で。嫁が言うにはね、「言われてみればたしかに営業かけられてて大変そうだった」みたいなことを言うんです、僕に対して。

どういうことかと言うとね、僕がいないときに嫁さんと息子の二人でイオンモールに行きます、と。ただ、そんなときにペットショップ行っても「触ってみますー?」なんて言われないし、息子がバルーンアートに惹かれてウォーターサーバー販売ブースに近づいても特にセールストークもされずに「買わなくて全然いいんで風船どうぞー」って軽い調子らしい。なんだったら、僕がいることで、そこらへんの販売員の態度というかセールスモードのギアがめちゃめちゃ上がってることについて嫁さんも「すごい対応の違いだな」と思ってたらしい。

つまり、整理するとこういうことだな。

現状の世の中一般で考えて、家庭の何かしら大きな買い物を判断する最終決裁者は、男である、つまり僕である。しかしそういう最終決裁者はショッピングモールにそんなに頻繁には足を運ばない。だから、まずはその外堀を埋める。まずは、鯛を釣るためのエビを釣る。女子供に「売る気はないから安心していつでも来てね」とやっておいて、その女子供が最終決裁者たる男を連れてきた時には猛セールスをかける。男は男で、女も子供もその場を楽しんでるのであまり無下には扱えないし、そうしてヘラヘラとセールストークに相槌を打っていると今度は相手の営業員にも親近感が湧いてきて、今度は買わないのが申し訳ないような気持ちになってくる。「長々話聞かされましたけど、すいませんが買いません」と断るのにもそれなりのパワーを使う。そこでパワーを出しきれないやつが根負けして買っちゃう。契約しちゃう。つまりはそういう営業戦略なのだなと理解した。

恥ずかしながら僕もちょっと、「この状況を受け入れている」嫁さんに少しイラッとしてしまったところがあった。「買わない」という結論は出ている。なのに、向こうに営業をさせている。こっちも時間の無駄だし、向こうも時間の無駄だ。それなのに、なぜにあなたはそんなことも気に掛けずにいられるんだ、って思ってたところはあったの。でも実態は違うんだよね、僕のいう「こっち」の中に、女である嫁さんはいない。「この状況」に置かれているのはシンプルに男である俺だけだったんだよね。営業をかけられているのは俺だけで、嫁さんは特に営業かけられてなかったんだよね。ただ、決裁者たる男を釣るために彼女はぬるくコミュニケーションされてたんだろうね。

だから、俺には俺の要らん営業を受けなくちゃならないストレスがあったし、そのことについてどう家族で対処するかの要らんディスカッションも発生して喧嘩もしたし「こっち」としては本当に良いことが一つもなかったわけ。明日からも息子は風船も犬見物も欲しがるだろうしね。頭が痛いよね。

こうして、俺は掲題の、男と女で見えてる世界が違うということの一端を知った。

例えば、決裁者たる女性が夫婦で車を買いに行ったのに、セールスマンは男の方の機嫌を取るに終始したとか、物件探しをしているなかでキッチンの話になった時だけ奥様にセールストークをするとかみたいな話はたくさん聞くけども、今回の僕の経験を踏まえると、そこらへんはもっとなんか狡猾で、入り組んでいて、男性と女性、もっと言えば僕とあなたを対等にすることを阻む資本主義的運動法則は、本当になかなか手ごわいぞと思ったのであった。個人や法人やその他、組織やコミュニティの利害を追求しようとする気概が、我々男女をスナック感覚で分断しようとしてるんだな、我々が変えなくてはならない奴らの正体がほんの少しわかったな、と思ったのだった。

後半、まじめに話しすぎてギャグ要素0だったな。えーと、『パラサイト ハンカチの家族』、M-1優勝おめでとうございます。CGかつAIの高倉健主演で邦画化リメイクしましょう。

以上です。