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「ママ閉店」と「違法残業」

今もブラック企業は数多あろうがそれでも10年前20年前と比べればブラック企業に対する人々の価値観は途轍もなく良い方向に向かっているのだろうと思う。ブラック企業に関するニュースが出ればそれを批判する声がネットを見れば多く見かけられる。誰かがネットで「違法残業を社員にやってもらわないと会社が回らないんだから仕方ないじゃないか」と言えば「そうまでしないと回らない会社は回らなくていい。潰れてしまえ」という声が大勢になるだろう。

で、それを踏まえて「ママ閉店」である。ぶっちゃけこの話題、あんまり文脈に寄り添う気は起きない。みんな自分から見える景色を根拠におのおの自由に各自のコンテクストで各自騒いでるという印象なので、それらを踏まえて「うんうんわかるよ、でも僕が思うにはね」なんて丁寧にやる気がどうにも起きない。なので、率直に思ったことを書く。

「違法残業はダメだろ、会社は8時間の拘束時間で利益がちゃんと出るような仕組み作りをしなくちゃならない」と恐らく多くの人が首肯するだろう理屈を「ママ閉店」に当てはめるなら「ママ閉店はダメだろ、◯◯はママが24時間ママをやっていても苦じゃないような仕組み作りをしなくちゃならない」になるんじゃねえかなと思った。ここで確認したいのは、この◯◯に入る言葉は色々だということだ。そこに入る言葉は「パパ」でもあるし「家族」でもあるし「子供」でもあるし「学校」でもあるし「企業」でもあるし「社会」でもあるし「国」でもあるし「世間」でもあるし、そして時と場合によっては「ママ」でもあるかもしれない。もう一つ確認したいのはそれら◯◯に入る色々によって、現実問題として「ママ」の担うべき役割担わなくてはならない役割がどこからどこまでかという問いへの答えが人とその人の環境によってバラバラであるということだ。

俺だって馬鹿ではないので、現状の世の中が「ママ」に大きく負担の皺寄せがいく流れになりやすいことは知っている。良くないよなぁと思っている。なのでとりあえず俺は自分の妻には24時間ママでいても苦じゃないようなパパでありたいなと思っている。俺がそういうパパになれれば、彼女もきっとそういうママになれる。社会がそういう社会になれればママはきっと24時間ママでいられる。一言でいえば「目指す方向ってそっちですよね?」というのがこの文章の言いたいことである。

もちろんそれは理想論でまだまだ道は険しくあまりに道半ばで「24時間ママをやるのがとても難しいくらい何もかもを背負わされたママ」をやらざるをえないママもたくさんいるんだろうなと思う。そしてそんなママをやり遂げられない自分を情けなく思ってしまうママを助ける言葉として「ママ閉店」という言葉が周知されたんだろうこともよくわかる。ママ閉店という言葉に救われるのは何も悪いことではない。

それでもやっぱり「ママ閉店の何が悪いんだ!ママが閉店するのは当たり前だ!」みたいな感じになってくるとそれはちょっと違うんじゃねえかと思うんだ。「サービス残業を月に100時間もさせる社会はおかしいぞ!ふざけんな!」と叫ぶように「ママを24時間できないようなママ閉店しなきゃならないママの在り方はおかしいぞ!パパが家族が社会が変われば、24時間ママでいられるのに!ママを24時間やらせろ!」って叫ぶ必要もあるんじゃねえかなと思うんだ。

「それができりゃ苦労しねえんだよ!」という批判を甘んじて受け入れる気はあまりない。受け入れるというか俺が一手に引き受けなくてはならない理由がない。俺は自分の家庭が理想に近づくように努めているし、現実社会でも会社員としてワークライフバランスとか大事にしていきましょうよと言いながらやっている。それでも社会が良くなってないのが俺の力不足なのかと言われたら「そんなわけないだろ」と思う。みんなが変わらなきゃ変わらん。これはそんな感じでやっていきませんかというパパや家族や子供や企業や学校や社会や国や世間やママへの相談事だ。

「ママ閉店」をしなくちゃ回らない世の中を俺は望まない。ママじゃない俺が「ママ閉店」を全肯定するのは、ママを24時間やるのが困難なほどにママばかりが大変な歪な現状を追認してしまうことに他ならない。だから、家事もするし、子供の面倒も見るし、あとは働いたりとか、一銭の金にもならないブログを書いたりもする。「俺はお前のママじゃねえんだよ」って言葉なんかも俺も使っちゃうけど、あんな言葉もそのうちに無くなればいい。ママは全てを一手に引き受ける存在なんかじゃなくていい。ママがそんな存在じゃなくなれば、24時間営業でママをやることだってそんなに難しいことじゃない。今、ママが多くを背負いすぎてるなら、みんなでその負担を分け合えるのが一番良い。だから俺は、ママ閉店も違法残業も、無くなれば良いと思っている。

以上です。

一歳

息子が死ぬことなく一歳になったのでめでたいという気運が高まったので、先日、我が家に息子の両祖父母(つまり私たち夫婦の両親)が集結した。あとなんか僕と超絶相性が悪くて疎遠な俺の弟もいた。

僕は大阪、弟は京都でいつでも会える距離だが普段連絡を取ることは一切ない。会話が噛み合わないので極力口を利かないようにしている。以前、僕たちの祖父が死んだので葬式に出るために実家に帰った時も帰りの飛行機が一緒だったので一緒に空港まで親に送ってもらい、爺さんも孫が仲良いのは天国で嬉しかろうと思ってフライトまでの待ち時間一緒にランチを食べたが全く会話が盛り上がらなかったので、飛行機は別々の席を取って帰った。伊丹空港に降りてからも会わずに挨拶もなしに各自解散した。それくらい仲が良くないのでこの後、弟は登場しません。

一歳を祝して集まって、結果として、とりあえず一つの成果として、とてもステキな動画が撮れました。

それは15秒足らずのただの動画です。

僕が、椅子に座って息子を抱いている。その息子に妻が、彼の生誕一年を祝って誂えたホールケーキの上に乗っていたオレンジだかなんだかのフルーツを息子の口に運ばせる。息子はそれを頬張り飲み込む。スポンジとか生クリームとかはまだ少し早いかもと、フルーツくらいは食べさせてやる。息子はそれを頬張り飲み込む。そして息子は「うふっ」と声を出して微笑む。それを見て、僕も、妻も、僕の両親も、彼女の両親も、ドッと笑う。それが「おいしい」なのか「甘い」なのか「おもしろい」なのかもわからないけど「うふっ」と笑う彼を見て、その場にいた誰もが破顔してわははと笑う。きっとこれは素晴らしい動画なのだと思う。

僕が、この動画に映っていて破顔しているその僕が、その時に考えていたのは相模原の障害者施設でおきた殺人事件のことだった。そしてそれについて思いの丈をラジオで語る、爆笑問題太田光の言葉だった。

相模原の殺人事件の犯人は、他人とコミュニケーションの取れない障害者を生かしておいてはいけないと思い詰めあの凶行に及んだ。太田光は彼のそんな動機を思いの丈ぜんぶを使って否定していた。太田光曰く、彼らは主張している。コミュニケーションしている。それを受け取れるか否かは受け取る側の問題なのだ。赤子が愛されるのは、それは、赤子のコミュニケーション能力の賜物なのだ。障害者が殺されて心を痛めている人はたくさんいる。それはつまり障害者のコミュニケーション能力の賜物なのだ。本当にコミュニケーション能力がないのは誰なのか、障害者とコミュニケーションができなかったのは誰なのか。それは犯人なのではないか。受け取れず、諦めて、凶行に及んだ彼こそがコミュニケーション不全であったのではないか。たぶんそんな要旨だったんじゃないかと記憶している。

一歳になった息子が笑う。僕も笑う。妻も笑う。僕の両親も笑う。彼女の両親も笑う。みんなが破顔する。なんと幸せな風景だろうか。

しかし僕は知っている。誰しもに許せないものがあるだろうことを。誰もが差別や偏見を身にやつして生きているであろうことを。

息子は、なんと歓迎されていることだろう。嬉しく思う。彼が笑うとみな笑う。その事実は腹の底から嬉しい。

しかし、その場にいた誰もが、誰しもの笑顔に笑い返せるかというとそうではないことを、僕はその時考えていた。笑いながら、今、笑えているのはたまたまだと思っていた。

この話に結論はない。僕の両親だって、びっくりするほど誰かを軽んじる瞬間があるだろう。だろうというか知っている。彼女の両親にだって、きっとそういうものがあるだろう。俺にだってあるだろう。妻にだってあるだろう。

許せるものと許せないものは人それぞれにバラバラで、それでもあの瞬間、一同に破顔させたそれはなんなんだろう。「血」なんだろうか、「物語」なんだろうか、この、息子という生き物は、いったいなんなんだろうか。

そんな俺の勝手に考えているあれこれを他所に、息子は一年の生を十全に祝福された。それ自体は素晴らしいことだと思う。彼は十年後だって二十年後だって、その日ここにいた人たちには生きている限り、祝われるだろう。それは確定事項だ。しかし、それ以外だ。

彼の人生には何が待っているだろう。俺はその断片を知っている。身をもって知っている。愛されることも、愛することも、簡単ではないのだ。憎むことも、憎まれることも、軽んじることも、軽んじられることも、そんなこととんでもなく不毛なのに、どうもつきまとわれる実感だ。僕は彼を祝福する。彼の歩む道に花が咲いていることを望む。しかし、それだけでは彼の人生の幸せを保証するには足りず、彼の生には立ち向かうべきものが僕と同様に山積みだ。

僕は、その事実に頭を抱えながらも、彼の「うふっ」という笑みに破顔する自分の動画を見て、無責任に彼の健やかな成長を願うのであった。

以上です。

はじめての再現性

間も無く一歳を迎えようというタイミングで、また息子が入院をしていた。2ヶ月ぶり2回目。

入院理由が命に影響がないものであったことももちろんあるが、我々夫婦はたぶんやや呑気であった。入院ももう2回目だからである。前回と同じ、勝手知ったる病院だ。だから付添い入院の準備も前回に比べりゃお手の物だし、退院までの夫婦での役割分担もお手の物だ。今回は、暗中模索ではないので、大変は大変なものの、前回に比べりゃ幾らかは、どうってことないもんだった。とは言え、結婚してしばらく漸く授かった我が子だ。手放して堪るものかと思うのは、しばらくも漸くもなく自然なことであろうし、「またいつものことだろう」という楽観と「もし何かあったら」という危機感とを、我々はこれからも何度も何度も往復してゆくことだろう。

さて、その入院中の息子はというと、2ヶ月ぶり2度目の入院で、私たちに随分な成長を見せつけた。1畳ほどの柵つきのベッドにおける彼の振る舞いには目に余るものがあった。前回の入院時は掴まり立ちでナースコールのボタンをむんずと掴み押してのけたのも一つの成長だと微笑ましく思えたものだが、今回の彼にはどうしたって手が届く範囲にナースコールを置いてやってはいけない。カーテンも点滴器具もなるだけ遠ざけてやらなくてはならない。そうしなければ要らん迷惑を看護師さんにかけてしまう。

たった2ヶ月のあいだに彼の機動力はトントン紙相撲からベイブレードくらいまでレベルアップしていた。

そのなかで取り分け私たち夫婦が驚いたのは、前回の入院時にはお気に入りのおもちゃを四六時中握りしめて入院生活のストレスに立ち向かっていた彼が、今回の入院生活では自分の手の中にあるものを手放し、床に落として喜ぶ遊びに興じていたことだった。

何をしなくてはならないでもなく四方を落下防止の柵に囲まれたベッドの中で療養を迫られる彼は、所在なさげにベッドの中に転がっている絵本をむんずと掴むと、柵の隙間から絵本ごと手を突き出し徐にパッと手を離して絵本を床に落としては微笑むのであった。

その仕草を、落とすものがある限りに、何度も何度も繰り返す。何度も何度も微笑む彼なのだ。

そうか、彼は、重力を知った。いつだって上から下に物が落ちていく、永遠普遍の重力を、知ったのだ。

自分の思った通りに事が運ぶのは、さぞ面白かろう。

彼はその面白さを今ここで、初めて知ったのだろう。

我々両親はそんな我が子の新たな発見と成長を喜びながら、息子の2回目の入院を、今回も大丈夫だろうと思いながら、今回も大丈夫でありますようにと思いながら、彼の横にいるのである。

彼が何を何度とも手放そうとも、彼の手から離れたそれは、下に落ちる。彼はそれを面白がり、はにかむ。

私たちはそれを見てはにかみ、明日も彼の成長を見守りたいと願う。

彼の初めての再現性を、明日も見守りたいと思う。

何度繰り返しても何度も同じ事が起こる。

再現性は、永遠であり、奇跡だ。

物理法則は、永遠であり、奇跡だが、私たち人間は、そうではない。

私はそれを知っている。彼はそれを知らない。

初めてに再現性と出会った彼ははにかみ、何度も何度も柵の隙間から何かを落とす。私はそれが永遠には続かないと知っている。いつだって物は上から下に落ちるが、彼がいつまでも物を落とし続けないことを知っている。入院した人が必ず元気に退院できるわけではないことを知っている。昨日笑っていた人が、明日動かなくなっているかもしれないことを知っている。彼はまだそれを知らない。知らないから笑っていられる彼を見て、僕はただ一緒に笑うばかりだった。

彼ははじめて再現性と出会った。僕は再現性なんてものがほとんど人生の希望にならないことを知っている。いつも人生に起こることは、少し前に起こったこととは、いつも大抵似つかない。彼はそれを知らない。僕はそれを知っている。それでも僕は、再現性を知った彼を面白く思うし、また明日に対して身構えるより仕方がないのであった。