←ズイショ→

ズイショさんのブログはズイショさんの人生のズイショで更新されます!

うんこが真っ先に一人前になる

言うてる間に息子がこの世にやってきて一年になる。妻が「でもまだ私のお腹の中にいた時間の方が長いんだよ」なんて言っていた頃がもう少し懐かしい。

彼は生まれ落ちてこっちから向こう滅法右肩上がりで、日に日には言い過ぎながらもこの一年を振り返れば彼がかつて出来なかった今出来ることを数えれば両の指じゃ足りない。そのうえその両の指はあくまで俺の指で、彼はまだ両の指で数えることなんざ到底出来やしない、まだまだ雑魚と形容するのもおこがましいてんで未成熟である。カマキリに勝てるかどうかもコンディションによる。押しつぶしたら勝てるけど押しつぶす度胸があるかどうかはきっと日による。

こんな父親なので寝返りしようが掴まり立ちしようが「まあそれくらいぼちぼちやるだろ」と素っ気ない感想しか持たないのだが、最近は絵本を1ページずつ捲ろうとするようになったのを見て、少し感動した。それまで彼にとっての絵本は「掴み方によって開いたり閉じたりする何か」だったはずなのだが、いつの間にか1ページずつ捲ろうとチャレンジするようになっていたので、それには何か成長を感じた。これを取っ掛かりに彼は、このクソみたいな世界の解釈をこれから始めるのだろうと思った。捲ろうとするのは、繰ろうとするのは、知りたいからだ、納得したいからだ、この世界で生きていく腹を括ったからだ。

それにつけてもうんこである。

なんの変哲も無い赤ちゃんである彼だが、離乳食を開始してしばらく、まず、うんこが一人前になった。母乳とミルクしか飲んでいない頃はエイリアンのうんこと言われても信じるようないい加減なうんこをしていた彼であるが、間も無くそれはいっぱしのうんこになった。受け止めたオムツを見るからまだ赤ちゃんのそれであるとわかるものの、きっと便器に落としたら、きっと大人の我々のうんこと遜色ない。

僕は、この、言語も解さない、歩行もできない、何もできないに等しいこの赤ちゃんが、何より真っ先にうんこだけが一人前になったその事実について、彼が人間になるということを思わずにはいられなかった。

彼はまず何より先に、誰しもが眉をしかめる立派なうんこをひり出すようになった。もっと先にあったろ。九九覚えるとかさ。彼は人に何かを与えるより先に、てめえのうんこをより臭くダイナミックにした。それは彼の生きやすさのためだ。食ったら食っただけ糞が出る。それを出さないのは己のためにならない。だから彼は立派なうんこを出すに至った。

この調子で彼は、どんどんクソみてえになるんだろうなと思う。俺の言うことは聞くわきゃないし、てめえの欲が最優先だろうし、人のために自分のクソをぶちまけるのを我慢するなんて、どうせできやしねえんだろう。それでいいんじゃねえかなと思うんだ、俺は。

うんこはトイレで済ましましょう。

オナラは人前では控えましょう。

そういうのはもちろん覚えていかなくちゃならないのだけど、結局うんこをするだとか屁をこくだとか、そういうところから人間は始まってくんだわなー。

毎日、大人を見て生きている。家に帰れば赤ちゃんがいる。この赤ちゃんはどんな大人になるのだろうと思う。その疑問へのヒントは、赤ちゃんのする大人みたいなうんこだ。

彼は大人になるだろう。立派なうんこをするように、立派な自尊心を携えて、立派な自己満足を目指して生きるかもしれない。そうしたい欲望自体は彼のうんこの立派さと同様に仕方のないことだと思う。自己主張なんてすべてクソみたいなものだ。

僕は、彼がうんこをする時の真剣なまなざしが好きだ。ケツと反対の方向を向いている彼の目玉がうんこに集中している表情が好きだ。彼はこれから自分の見たい方向を見るたび、しばしば人に煙たがられるだろう。それはそれは世の常だ。でもそれを俺は愛おしく思う。それは俺が彼のうんこを見届けているからだ。同じことなのだ。

以上です。

『バチェラー・ジャパン』シーズン2感想文

観ました?みなさん観ましたろかい??バチェラー・ジャパンシーズン2最高だったな~~~~~!!!!

バチェラー・ジャパンシーズン2観てるけどまだ最終回まで観切ってない人は今すぐ回れ右じゃいそもそもバチェラー・ジャパンってなんじゃいって人は今からあらすじを書くけんな、それを見て「あれ、それちょっとおもしろそうじゃない?」って思ったら回れ右じゃ~~~い、とりあえずめちゃんこ面白いんでみんな観ようぜ。

あのー、バチェラーってのはそもそもなんなのかっていうと知らねえけど外国で始まったテレビ番組らしくて世界中のいろんな国に輸入されているおもしろコンセプトだそうでアマゾンプライムにて日本にもついにやってきたみたいなそんな感じらしい。セレブでちゃんと働く(少なくとも番組上は)超超優良物件の独身男性(通称・バチェラー)の心を射止めるべく選ばれし20人の女性が2ヶ月のデートロケに臨んで鎬を削るみたいな内容で、最初20人の女性に囲まれたバチェラーが適宜開かれるローズセレモニー(次のステージへの進出を意味する数限られた薔薇を女性に順々に手渡していく儀式)で本当にずっと一緒にいたい女性をどんどん絞っていって最後には一人の女性を選び抜くみたいな企画なんですけど、まぁでもせっかく選んだ最後のその一人の女性も悪魔族に取り憑かれた人間がいるらしいって情報に疑心暗鬼になっちゃった人間の悪魔狩りで殺されるんですけどね。それでバチェラーは人間に絶望するもののなんやかやあって自分と同じデビルマンになった同志を集めてサタン族との最後の結成に挑むんですけど。みんなネットフリックスもよろしくな!!デビルマンクライベイビーめっちゃ面白かったぞ!!!!

じゃあそろそろネタバレするぞ、ネタバレを見るべきではない人類への配慮にさよならでいいんだよな、シーズン2最後まで観た感慨語り始めるぞ、いいかな?いいかよな?いいんだよな、犬!!

犬「わん!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」

 

これシーズン1もそうだったのかわからないけど(なぜなら最終回間近にその番組を知ってイッキ観をし始めたから)前半戦一挙配信の形式を取ってるのはまず良かったよね、みんなどうせイッキ観して右手さん好きー!!ってなった直後に死んだところがスタートラインだったっしょ?俺はそうだったけど。20人は番組としても多いしね、どうでもいいやつがどうでもいいから落ちるっていう序盤戦はかったるいってのはあるので、そこらへんは一週間待ってられないから一挙配信ってのは良い戦略だと思う。

いや、俺今回のシーズン2を最後まで観て反省したのはさ、そのー序盤のほうが結構シーズン1と比べてイマイチだなと思ってたの。バチェラーの小柳津さんがいまいちっていうか洗練されてないなと思って。シーズン1のバチェラーの久保さんがほんまに女性のエスコートが上手すぎてさ、そういうバチェラーが女を選ぶのが『バチェラー・ジャパン』という番組なんだって先入観が今になって思えばあったんだろうね。その観点でいうと二代目日本バチェラーの小柳津さんは本当に最初イマイチだったんだ。めっちゃはしゃいでたしね、20人の女性に言い寄られるっていう自分の状況に本当にダサい感じで浮かれてたので、そこは久保さんと全然違って、違和感というかそれは一期を俺を観てたから一期バチェラーの久保さんを知ってる俺だから思ったことだし二期バチェラー小柳津さんお前も絶対穴が空くほど観たろ一期と思うんですけど、それでめっちゃ浮かれてるから二期はイマイチだなー一期のほうが面白かったなーと思いながら最初観てたんですけど、最後まで観たら「すまん、お前ら最高」ってなるんですよ。シーズン2は最初がっかりから始まりましたけど終わってみれば「バチェラーは日本でもやれるぞ!!」という完璧な感想になりました。

繰り返すに僕ってシーズン1もかなり楽しんで観てたんで、それに固定されてた感あるんですよ。久保さんという超絶男前エスコート完璧男から学びを得ながらどの女性が生き残るか考える番組、そんな感じの結果、「あーなんやかんや見た目が好みで、最後まで弱いところを見せず(めんどくさくない)、若い女の子を選ぶんやなー」みたいな結末になったのが一期っていう感じにはなってしまうんですよね。二期を観たあとでは。久保さんかっこよかったけどなー、なんかエレ片情報に寄るともう一期で結ばれた二人は別れてしまったとも聞いているので、それも踏まえると久保お前それでよかったんかと思わずにはいられない。そんな最高な二期でしたよねー。

二期は何が素晴らしいって小柳津さんが完璧からは程遠いキャラクターだった。一期との差異で考えると本当に不完全だった。初代バチェラーのドライを観ていた僕は、こいつ全然だめじゃんと思ったけど、実際は『バチェラー』っていう企画はそんな男性に完璧を求める企画じゃなかったんだな。シンプルに参加者全員の成長を描く物語だったんだな。

結論から言いますよ、僕だって倉田さん最後絶対負けるって最終回直前回観て思いましたもん。5馬身くらい離されてるやん思ってましたもん。いやー、順当やな思ってずっと観てましたよね、7人くらいなったあたりから。落ちるやつが順当に落ちるし、最後に残ってるのはこれもうどうしたって小口さんやろって思って観てた。小柳津さんは、追っかけるのが好きなんだなーってのはわかりきってたし、相手の内面を本当の意味でちゃんと理解することには興味がないし、なんやったら最終ラウンドシンガポールに臨むにあたっても「僕をときめかせてほしい」みたいなこと言うてたくらいですから、そういう人だと思うんですけど、そういう意味では小口さんなんでしょうね。そう思ってました。ずっと思ってましたよ。倉田さん勝ち目ないやろ、と思って観始めた最終回でしたよね。それが実ったっていうのが、シーズン2のすごいところでありすべてではあるんですよね。これからあの二人がどうなるかは知らんけど、応援したくないかしたいかでいうとほんまに応援したい。好きだぞーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!倉田ーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!

一期は一期で久保さんからいいろいろ学んだんでよかったんだけどなんやかや「失点が少ない女が勝ったな~~~」みたいな感想になっちゃうけど、二期は全然そんなんじゃなかったよね。そこが間違いがない。恋の楽しさを小口さんから感じて、「これやな」と思いつつ、最後の最後で絵本突きつけられてさ、あれさ、小柳津さんさん、まじであの瞬間に愛と恋の差を知ったんだなって思ったよな。あのシーンほんまヤバイな。地上波無理なくらいヤバイ。なにせ相当な馬身まくられてたしさ~~、小柳津さん、あずあず振る時に泣かなかったのを最後にその後ずっと最後別れる時泣いてるからさ~~、あの時倉田さんの絵本読んで泣いてるのも、「めっちゃこんなに好かれても嬉しいけど応えられなくてごめん」の涙だと思ってたんよね。そこまで小口さん優勢すぎたし。お前、そんな泣いて、相手まで泣かせてひどいやつやな~~~思ってたから、もう完全に諦めてたから、人は変わらないと思ってたから。小柳津さんは結婚してからも恋人みたいにワクワクしてくれる相手を求めてるから小口さん選ぶって絶対思ってたからね、だからあの結末は本当にビビったし、なんか感動したし、物語だったよね~~~~~~。

小柳津さんの物語だったよね。恋に別れを告げて愛を探す物語って考えるとすごいしっくりいってさー、いや、すごいよかったよね。バチェラーの可能性を感じた。

とりあえず一期で確立されたバチェラーは完璧が理想みたいなのはまるっとなくなったよね。それでいいんだよ。完璧な人間ばかりじゃないし。だって小柳津さん、あずあず振る以降ずっと泣いてたからね。あずあずには泣いてなかったけどね。人間な~~~~~~。人間は、本当に楽しいな~~~~~。もっと語りたいことたくさんあるけど、それを実現できるほど脳が追いついてないからもういいや。気が向いたらまた書こ。

みんな~~~~~!!!!!!!!恋しような~~~~~!!!!!!!!!!!!!!バチェラーも最高だし、俺も俺の妻も、みんな最高。全員最高。生きるの最高。愛してる。以上です。

息子の口から発せられる何かについての夫婦の見解の相違

生まれて11ヶ月とかになる息子がこの前までは「たっ!」「だっ!」「だっだっだ!」とか言ってたのが最近は「おった!」「おっだだん!」「だっだっおっだだ!」などと言うようになってるのを見て、嫁が「ほら、お母さんお父さんって言ってるよ」と言い出した。僕は「言ってねえだろ」「そう聞こえただけだろ」と思ったし言ったが嫁は「絶対言ってる」と言うので、そうかなぁと思いつつ「そうなのかなぁ、もう一回言ってみ?お母さん!お父さん!」と息子を煽る。息子は「だっ」とかもうちょっと長い「だっ」と何かを組み合わせた音を口から発する。嫁はそれを「ほら」と喜ぶ。俺はこいつが今の時点で喋ってようが喋ってなかろうがどっちでもいいんだが、俺はどっちでもいいことが「どっちか」にはさして興味はないし憶測で判断するのが大嫌いなのだが、そんなことより嫁が喜んでいることが楽しい。だからついつい「言ってるかも」「言ってるねえ」とか言ってしまう。俺と違う見解を持つ嫁に腹が立たない。それは俺が嫁を好きだからなのだろう。見解の不一致は本来腹立たしい事象であるはずだ。しかし、俺はついつい甘んじて「言ってる言ってる」とか言ってしまう。

付き合ってから結婚してから長らく二人でやってきて、なんやかんやあって、やがてこの彼が我が家にやってきた。

人間は三人集まると派閥を作ると言う。今この状況において、僕と嫁が「お母さんお父さんと言ってる派」で彼が全然そんなこと言ってない少数派なのか、嫁と彼が「お母さんお父さんと言ってる派」で僕がそれを信じない少数派なのか、それは誰にもわからない。わからないならわからないままにしておけば良い。

僕はどっちでもいいことが「どっちか」にはさしたる興味もないので、ただ楽しそうに俺には意味がわからん音を発する息子を妻と笑い合いながら見ている状況をただただ悪くないなと思った。以上です。