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彼はもう胎内にいるより長い時間をこの世界で過ごした

 彼の羊水に10ヶ月ほどくるまりふやけにふやけた皮がすべて剥がれてつるつるの肌になった時、彼の首がすわって抱っこ紐の中にすっぽり収められても辺りをきょろきょろと見回せるようになった時、寝返りを覚えた時、楽しいゆえの笑顔を見せるようになった時、物を取り上げられたことに泣くようになった時、事あるごとに私は「成長したな、ようやくこの世界でやっていく決心がついたか」と彼に語りかけた。それを聞いた妻はいつも「でもまだお腹の中にいた時間の方が長いんだもんね」と言った。

 そんな彼もいつの間にかあっという間にか、ようやく胎児としてのキャリアよりもこの世界を生きる一介の人間としてのキャリアの方が長い月齢に差し掛かっていた。まだ彼はこの世界の何もかもを知らないが、赤子が振り回して楽しい以外になんの価値もない何かを振り回しなんの意味もわからない奇声をあげて笑う彼はすでに世界を知ろうとする好奇心は獲得したように見える。それを獲得しちゃあ、もう、御仕舞いだ。この世界が地獄だろうと、退屈だろうと、無味乾燥だろうと、貴方はもう死ぬまで、この世界とやっていくより、仕方がない。とうの昔にこの世界に御仕舞ってしまった一人の人間として、僕は貴方を歓迎しよう。ようこそは仰々しいから、ただただこんにちは。

 思えば彼は生まれた当時からのんきなもので、母親の胎内から取り出された時もぼやぼやとしているばかりでなかなか産声もあげず、初めての母親との邂逅を終えて初めて泣き出すような、言い方を選べば大したやつだった。その直後にも呼吸をしてるんだかしてないんだか曖昧なもんだったらしく何かしらの計測装置を足首につけられ、それのセンサーが弱いんだかなんだかしょっちゅうエラー音を吐くものだからひどく心配したものだが、医者の説明によると「まだちょっと呼吸するのを忘れちゃう」とのことだった。そうだよな、昨日まではへその緒を通して母親任せに酸素を摂取していたのだ、呼吸をするの忘れちゃうのも無理はないよな、っておーい!とノリツッコミをしつつも、私は彼に呼吸しろよと思うほかなかった。腹に子を宿してもいない私に親の自覚はない。しかし、呼吸を忘れてしまうタイプのかけがえのない友人は彼が初めてだ。

 思えば彼は、何もかもがよその子よりワンステップ、ツーステップ遅れている。彼には幾人かの「数日違いで生まれた」同世代の赤子が我々親視点からするとリアルだったりネットだったりで存在していて、この世に生まれ落ちたその瞬間からベンチマークが存在する人生はそりゃ大変だなと彼に同情しつつ、やっぱり比べてしまうのは親心か・人情か。首がすわるのも、寝返りを覚えるのも、ハイハイを活発にするのも、腰がすわるのも、よその子がとっくにそうなってると聞きながら心配しているうちにやっと覚えるそういう性格の彼である。そんな彼の今後が思いやられる思いやられないかでいうと思いやられるに3000点であるが、まぁだって、彼はそんな調子なのだから思いやっても仕方ないか思いやるのも仕方ないかのどちらかしかないのであった。

 彼との短い付き合いのなかでわかってきた彼の傾向であるが、彼はやろうと決めたことしかどうにかやらないようだ。呼吸ひとつとっても、「あ、ここもう胎内じゃないんだ、自分で呼吸しないとアレなんだ」と思わないと満足にそうしない。甘やかして首を大事に大事に支えて抱いていては自分の首でどうにかしようなんて夢にも思わないようで、結局よその子の首がとっくにすわってると聞いてちょっと特訓してやったらあっさり首がついてくるようになった。そのうち今度はつかまり立ちまでするようにはなったもののよその子はとっくにやっている一人でおすわりができなくてこいつ大丈夫かと思ったが、それも彼が好みそうなDVDを買い与えたりとかしていたらいつの間にか座れるようになっていたので、もともととうの昔から彼には一人で座る能力があったのだけど一人で座る必要がなかったのだろうなと思った。彼がうつ伏せにしてテレビが見にくかったって、何一つ問題はなかったのだ。

 最近の彼はずいぶんな甘えん坊で、母親にひとつ抱きつくだけでもできるだけ自分の表面積の多くを母親と密着させようと本当にベタッと抱きつく。それを見て僕も彼女も笑い、こんなに甘えん坊な彼もいつか反抗期なんて時代が来るのかしらと話す時、今は0歳の彼の反抗期が仮に14歳でやってくるとして、それってとっくに僕と彼女がしているのは2030年以降の話なのである。この前まで2020年の東京オリンピックだって全く実感は湧いていなかったというのに、ずいぶんと不思議な話だなと思う。

 彼はもう胎内にいるより長い時間をこの世界で過ごした。漸く最初のゴールテープを切った彼は、彼の意思に関わらず今後時間に追われて何もかもを追い抜いてゆく。立て、歩け。喋れ。好きに出会え。傷つけ。笑え。その一切を我々夫婦は祝福しよう。そりゃあいざとなりゃ助けはするのだが、貴方の一切の禍福と貴方が出会う一切の浄不浄を、私個人は否定することなく貴方の隣にいたい。この世界は、驚くほどにどうしようもなく遊び甲斐があるのだ。

 そうして貴方の成長にかまけているうちに、貴方がもう胎内にいるより長い時間をこの世界で過ごしたように、我々夫婦はそれぞれの親と過ごしたより長い時間を夫婦として過ごしたことになるのでしょう。そしてその向こうには貴方との別れがあり、その向こうで貴方は誰かと誰かたちと、我々と過ごしたより多くの時間を過ごすのでしょう。

 我々が立ち会えないそれらの時間と、それらの時間のなかの禍福との、そのすべてを抱きしめるべく、我々には今の時間があるのだろう。こちらの都合で悪いのだけれど、それでも僕は貴方という友人を歓迎しよう。ようこそは仰々しいから、ただただこんにちは。貴方の世界が輪郭を帯びるまで、もう少しだけは友人でいよう。

チームで仕事をするうえで1番大事だと思ったこと

ごめん、これそのうちちゃんとブログ用に書き直そう思ってたけど直近まとまった時間取れなさそうなので取り急ぎTwitterに書いてたのだけまとめとく。

※「最適解」は微妙な言い回しだったがつまりは「こういう言い方をすれば伝わるんだ、こいつ相手の解法はこれなんだな」みたいな認識を持たせれば勝ち。

 

今までももちろん対取引相手でのコミュニケーションはやってたけど対身内に対しては全然どうでもいい、一人でやっときゃいいポジションだったけど、なんか事情が変わって最近ここらへんのこと考えながらやらなあかん人を日常でやっている。で、だいたい一区切りまとまって基礎はここらへんだなぁと思ってツイートしてたらこれに対するリアクションのなかで「夫婦も全く一緒だよなぁ」みたいなことをつぶやいてる人がいて、そう言われてみりゃこれまでブログで書いてきた夫婦のバランスの話とかと内容一緒やな思って、まぁ同じ人間が他人とどうやっていくかについて書いたら仕事でも夫婦でも同じようになるのは当たり前かぁと思った。ただ、ここらへんの話になってくると、俺が他人とうまくやるのははっきり言ってめちゃめちゃ簡単なんだが、他人同士をうまくやらせるってのは今まで以上になんとなくじゃない言語化されたロジックを根拠にやってかないと、ちょっとのズレがぐいぐいずれて軌道修正するのもえらい大変になっちゃうので、まぁなんかこれからも書いた方が良さそうやなみたいなのは出てくるんかなと思うのでその都度書きます。

 

 

じゃあ傘取りに行きます。以上です。

映画『グレムリン』感想文

あのー、最近なんか忙しくて。仕事が忙しいんですよ。働きたくないってほどではないんですけど、あんまり忙しくてちょっとワークライフバランスが崩れ気味なのでこれはもう仕事を減らすしかないなって。そうなると手っ取り早くもう取引先燃やすしかねえなって思って。ちょうどよく、取引先のオフィスは屋根がだいたいバナナの葉だったりするんでめちゃめちゃよく燃えるだろうと思うんですけど、ここらへんでそろそろ身バレがヤバイんで、エセハワイみたいな町おこしをしている海の街のサーフボード業者か、ファンキーコングに機械部品を発注して頂いてる人のどっちかふたつにひとつだろくらい簡単に特定できちゃうんでこの話はここまでで切り上げますけど。

それでなんだっけ、結構もう夜遅い時間に家に帰ってきて、嫁と子供はもう寝てるのでラップで包まれたご飯をチンして晩酌しながら食べるんです。みたいな書き方したら、冷たい嫁だなって思われるかもわからんのでね、最初は皿によそってラップしてってのは味気ないんじゃないかって鍋とかに入れた状態で帰ってきたら起きてきてあっためよう嫁も思ってそうしてくれてたんですけど、なにせ自分が最近帰って来るのが遅いから。だいたい会社を出て電車に乗ったところで窓の外見たらもうほとんど真っ暗ですから。まぁ青函トンネルなんですけど。

ハンバーーーーーーーーーーーグ!!!!!!!

まぁハンバーグ師匠厳密には何一つ関係なかったですけどね、それで、どうせ僕が帰る頃には嫁さんはぐっすり寝てるんだから、それなら火を使って温めるより電子レンジの方が俺がラクだろうつって、火を使うのは怖いから。それは俺がものすごく手先が器用な羆だから、なんだかんだ野生動物だからっていうのもあるし、家の屋根がバナナの葉だから火事とかちょっと怖いよねつって、それでこれね、タイトルがグレムリン感想文で、夜飯食いながら一人でグレムリンを見たっていう経緯を説明したいだけなのに全然進まない。なんやったら八戸でりんごを握りつぶすバイトをしていて、でも実家は北海道のあの函館とかあるらへんの21エモンの側近のロボの手先みたいな形をした半島の灯台守だからバイト終わったら青函トンネルを通って毎日家に帰ってるんだよねみたいな話をしてもいいんですよ?別に僕はそれでもいいんですよ。実際は青函トンネル一本の半年定期券を買ってるんだけど会社へは函館空港から青森空港までフライトしてその後バスっていう通勤ルートで報告してるから交通費だいぶ大目に申請してるっていうトリックまで全部喋っても全然いいんですけど、これも今の世の中だったら炎上しちゃう話かもしれないんで仕方ないのでいい加減グレムリンの話します?

最近本当に忙しくてね、仕事も忙しいし休日は休日で最近ハイハイ覚えたようなガキがいると手間がかかって仕方ねぇやね、ブログを書く時間だってなかなか満足には確保できない。よっぽどですよ、よっぽどのことでもないとわざわざ書きたいことがない。保育園も落ちなかったし、だからと言って日本が死ななくていいという話ではないけどとりあえず保育園落ちてなかった書くこと一つなくなった日本死ねってなりますけど、とか散々ブログ書く暇がない暇がないって言ってるやつがわざわざ書くのが1984年の映画『グレムリン』の感想文ですよ?需要どこよ? 今朝電車でスマホドラクエⅣやってるやつ見かけましたけど、あれが1991年とかなんでまだマシですよ。今『グレムリン』の感想文書いて一体なんの意味があります?書く時間ないんですよって言いながら久々に書くのが『グレムリン』感想文。もうこれはブロガーとしての死だと思うんですけど。しかもまだ書き始めてないからね。この行を書いている時点の俺にですら本当にグレムリンの感想文書くかわからないわけですから。読んでる人らはスクロールバーの現時点での位置と長さを見て、果たしてこいつは本当にグレムリンの感想文を書くのかネタバレを推察してくださいね。俺にはそのヒントすらないから。今書いてるこの文字以降は真っ白だからね。

それでやっと観始めた話ですからねこれ、家帰ってきてレンジで飯あっためてとりあえずテレビの前に座ってクタクタでなんか疲れないものでも見るか、と思っても録画してた番組一覧を見てもそんなに見たいものがない。じゃあAmazonプライムビデオだと思って何かあてもなく探したところ出てきたのがこれ『グレムリン』、こんなもんコメディだしちょうどいいでしょ、なにも考えないで軽い気持ちで見られるでしょと思って。ぼんやり見始めたんですけどね、これ作られたん僕が母親の股から出てくるよりちょっと前ですよ、あのー全然話変わるけど「その頃はまだ親父の金玉にいた」みたいな言い回しあるじゃないですか、あれ聞くたびに「いやわかるけど、ええねんけど、君なんかすごい精子に魂宿ってる派だね?受精卵になって初めて生命になる派じゃないんだ?」って思っちゃうよね。いや気持ちはわかるんですけど、卵子精子のどっちに魂がありそうかでいうと精子にありそうな気がするのは分かるんだけど、だから別にいいんだけど、特に「わたしそういうシモネタとか言うの全然気にしないから」みたいな感じで親父の金玉みたいなこと言う女性とかを見るとね「あ、この人も顕微鏡越しに見た何かしらの精子の活発さにど肝を抜かれた幼少体験があるのかな」って思っちゃうんですよね。はい、この段落も『グレムリン』の話ゼロ。いつ始まるの?っていうか始まるの?本当に?

でもなんか子供の頃って、グレムリン、コメディとかじゃなくて普通に怖かった。始まった!グレムリン話始まった!唐突に!なんか、うまく言えないんだけど、見たの小学校に入る前か後かそこらへんだったんだけど、すんごい怖くて。で、今回はね、大人だし怖くねえだろって。それを子供の頃は何があんなに怖かったのか分析してやろ思って観始めたんですけど。普通に怖かった……。むしろ31のおっさんでも怖いんだからそりゃ子供は怖いだろと合点がいった。え、なんで2018年の31のおっさんがこんなに怖がらなあかんの?これ1984年の映画でしょ?スピルバーグ怖っ。

なんか国語のテスト的なことを言うとね、まぁなんだろ、人間の傲慢さというか、たとえばそのまんまの意味で、ペットを飼っておきながら、人間じゃない生命を不遜にも飼っておきながら無責任で身勝手な人間、みたいなそういう話なのかなとはひとつ思いましたよね。人間への苦言的な。モグワイ仕入れ先が中国語圏だとかね、なんかそこらへんからも西欧が世界中ってかアジア圏とかガリガリ世の中を意のままに自分らの価値観に染めていく感じみたいな、そこらへんは出してましたよね。一方で、グレムリンがまた文明とよく遊ぶのが面白いところであり怖いところでもある。グレムリンたちはバーで飲んだり乗り物運転したりとかなかなかの芸達者揃いで、それがかわいくもあり脅威でもある。これは、さっきの西欧対その他で考えると、日本人筆頭にアジア圏の奴らが西欧文明取り入れて調子こいてるみたいな見方もできるし、でももっと単純に我々の文明は何もかも便利に使えるものではなく「危険」に人を傷つけるためにも使えるんだよみたいなメッセージにも見える。

あとなんやかやグレムリンの殺され方エグいのも面白い。まああいつら悪いんでエグい殺され方しても仕方ないんだろうけど、もとを正せば雑に飼った人間のせいだよね?みたいな。飼えなくなって捨てられた動物とか、悪質ブリーダーの都合で繁殖させられすぎた動物とか、そういうものに思いを馳せると愉快なパニック映画ながら考えるところがあって脳が暇しなくて良かったですね。

だからなんでしょう、あの全体的な脱力感、モグワイグレムリンもそれなりにかわいくてコミカルで生活圏で日用品で戦うスケール感、そこらへんがマッチして生まれる脱力感がなんか日常の中で現代人が意識か無意識かで感じてる後ろめたさとリンクしてるような気がして。なにかを犠牲にしてなにかを利用してなにかをぞんざいに扱ってなにかへの敬意や誠実を忘れて、そのうえで僕らはご機嫌に快適に生活してるんだみたいな後ろめたさを具現化した存在がグレムリンなのかなーって考えたらすごい俺の中でしっくり来て。だから、見てて面白いし全部シャレなんだけど、25年ぶりに見てもやっぱこの映画おれの中ではすごく「怖い映画」なんだなー思って。

書けたじゃん!!俺、グレムリンの感想書けたじゃん!!書き終わってみたらどうして俺はあんなに頑なにグレムリンの話をしたがらなかったのか、自分で自分がわからなくて怖いよね。忘れてしまうんだ僕たちは!!書き残さなくては、その時の気持ちはいつかきっと思い出せなくなってしまうんだ!!怖いよーーーー!!書かなきゃ!!怖さから逃げるために書かなきゃ!!忘れないために書かなきゃ!!ブログもっと書こう!!俺もっとブログ書いた方がいいよ、お前もそう思うよな、犬!!

犬「わおーーーーーーーん!!」

あとグレムリンはエンディングテーマがすごく良い。完璧。みんな聞いて。出来ればAmazonプライムで見て。無理ならYouTubeでテーマ曲だけでも聞いて。後生だよ。いや、2018年にグレムリンで後生使うやついる!?死だよもうブロガーの。死のう。俺死のーーーー!! 以上です。